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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.029

サトウキビ畑に墜落した米軍セスナ機

 すでに報道されたとおり、沖縄県名護市真喜屋の国道58号線近くのサトウキビ畑に米軍所属のセスナ機が墜落した。このセスナに乗っていた4人の米兵は救急車で搬送され死者こそ出なかったものの、機体の前部は壊滅状態で、サトウキビ畑も一部炎上した。原因は燃料切れで、不時着の場所を探しているうちに電線に引っかかって墜落したと報道されているものの、墜落の真相は不明である。というのも、米軍は沖縄県警・名護署員を形式的に現場に立ち合わせたものの、墜落したセスナ機は米軍が解体してトレーラーで嘉手納基地に持ち帰ってしまったためだ。墜落の真相を知るはずの4人の米兵は氏名すらはっきりしないのだという。またしても、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した時と同じような、米軍の治外法権的やりくちに優柔不断な仲井真県知事を先頭に県民の怒りが高まっている。

 このセスナ機は嘉手納基地内の米軍の航空愛好会「カデナエアロクラブ」がレジャー用に使用している中の一機。つまり、この4人の米兵は公務以外の時間に事故を起こしたのである。いってみれば、米兵が基地外で私的な時間で交通事故を起こしたようなものである。当然、その場で沖縄県警が身柄拘束することもありえる事件ではないか。米軍側は、セスナ機は鹿児島県の奄美空港を出発する前に給油したと発表していたが、その事実も奄美空港側は否定しており、真相はこれまた不明。沖縄県警としては、航空危険行為処罰法違反容疑で立件するために,機体やフライトレコーダーの提出を求めているが、米軍側がそれに応じる可能性は極めて低い。

 今回、04年の沖国大ヘリ墜落事故の後、日米間で新たに規定した米軍機事故対応に関するガイドラインが初めて適用された。それは、事故機の近くに「内周規制線」を引いて名護署と米軍側が共同で設定したり、交通整理や見物人の規制のために名護署が「外周規制線」を引いたという点である。しかし、機体そのものも事故を起こした容疑者も米軍が嘉手納基地内に完全隠匿してしまった。またしても、沖縄は泣き寝入りするしかないのか。幾度となく浮上した日米地位協定の抜本的改正は、今回も進展の兆しまったくなしだ。

 その最大の癌は何度でもいうが、日本政府の対米追従一辺倒の外交政策にある。そのことを如実に証明する米国の密約文書が先週公表された。密約の存在は米国の公文書でこれまでも知られていたが、国際問題研究者の新原昭治氏が文書じたい(議事録)や当時の外電を記者会見で公表したのだ。この文書は1953年の日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会での議事録だ。内容は簡単に言えば、「重要案件以外、日本側は第一次裁判権を放棄する」というもので、日本代表が米国に対して「日本当局が米軍容疑者の身柄を確保する事例は多くないだろう」と迎合した発言まで記録として残っていた。

 この新原氏は会見の席で「沖縄などの基地周辺の住民の人権と生活が痛めつけられてきたにもかかわらず、日本政府が野放しにしてきた根本が見つかった」とも述べたという。今回のセスナ墜落事故でもいえることだが、まさにその通りである。この密約は日米地位協定の前身である日米安保に基づき締結された日米行政協定17条(刑事裁判権)の改定交渉過程のことである。この主権意識ゼロ、国民不在の迎合ぶりもさることながら、米国側はこの合意事項の公表を望んだにも関わらず、日本側は世論の反発を恐れて公開を強く拒否したのだという。日本政府の隠蔽体質とその官僚的独善は度し難いものがある。西山太吉事件、しかり。まったくもって、何をかいわんや、だ。

外国の兵隊が、しかも休暇中に起こした事故について、
取り調べさえもその国の政府は行えない。
誰がどう考えても、どこかオカシイ!と思うだろうこんな状況、
いったいいつまで続くのでしょうか?
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