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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.031

追悼/筑紫哲也さん

 筑紫哲也さんが、肺ガンで亡くなった。この欄は、毎回「沖縄の深層」を書くようにしてきたが、今回は、沖縄にも造詣がふかく、基地に囲まれた沖縄に対してジャーナリストとしての特別な思いのあった筑紫さんを書くことをご容赦願いたい。それにしても、今年の夏すぎから、筑紫さんが鹿児島在住の放射線治療の権威にポイント照射の治療を受けていたという事実すら不覚にも知らなかった。治療は1,2度でなく、それを繰り返し何回もやったというから、そのことで体力は急激に弱っていったのではないだろうか。もっとも、ガンは肺の小細胞ガンだけではなく、他への転移も進んでいたようで、冷静な筑紫さんは医者を信じて最後の賭けに出て勝負したのかもしれない。肺ガンの末期の痛みは尋常ではなく、七転八倒してのた打ち回るほどだという。当然、これまた最後のモルヒネに頼らざるを得なかったのではないだろうかと推測する。

 今年の3月から筑紫さんが「NEWS23」のキャスターを正式に離れて、ガン治療に専念することになった。その後、筑紫さんを支えてきた「NEWS23」の中心メンバーが他の番組に次々と異動させられたあたりから、内部での人事改変が進み、筑紫さんの不定期出演じたいもかなり少なくなるのだろうという気がした。同時に、筑紫さんの後任キャスターとなった共同通信元編集局長の後藤謙次キャスターや膳場アナによる番組つくりは、筑紫色が薄れてパッとしないレベルに落ち込んだ。後藤氏の自信なさ気で落ち着きのない語り口と膳場アナのいつもニコニコ・ブリッコ的表情には大きな違和感がある。特に、政治家のゲストが出てくると、後藤氏の方が完全に呑みこまれている感じになる。記者としては、それなりに優秀だったのだろうが、その接し方じたいが番記者の態度なのでキャスターとしては腰が軽く、どっしりと構えた風格がない。やはり、せいぜいが、コメンテーターの役回りがお似合いの人物だったのではないのか。

 「NEWS23」だけではない。まだしも「報道ステーション」古舘伊知郎キャスターは政治家のゲストにたいしても喰い下がる姿勢をみせている分、期待は持てるかもしれない。しかし、他の報道番組は広く浅くニュースを通りいっぺんで取り上げるだけで、本質を鋭く衝くというような展開は少ない。筑紫さんが優れていたのは、本土復帰前の沖縄特派員をつとめた経験がかなり大きいのではないか。若い頃、沖縄の先輩記者たちからいろいろと学んだという話も聞いた。日本であって日本でなかった、米軍政下の沖縄で培った視点が、その後のキャスターとしての筑紫さんの原点になったのではないかと思う。

 田原総一朗、鳥越俊太郎、関口宏にしても、筑紫さんのスタンス・視点の確かさから来る信頼感や安定感とは比べようもない。同じTBSで北野武を起用した「ニュースキャスター」などは、ニュースそのものがお笑い扱いであり、報道番組というよりもエンターティンメントのバラエティではないか。視聴率にこだわっているのかもしれないが、報道を舐めすぎていないか。「国営放送」NHKの最近の御用番組ぶりにもクチあんぐりである。こう見ていくと、筑紫さんの存在は傑出していたし、二度とテレビ界には出現しない逸材だったというべきだろう。とりあえず、沖縄の人々の悲しみを代表して、筑紫さんの功績をたたえた上で、合掌しておきたい!

大田昌秀・元沖縄県知事が訃報に際し
「沖縄の恩人を失った」と語ったように、
常に沖縄の問題を積極的に取り上げ、
全国に発信し続けていた筑紫さん。
その思いを継いでいくために、
私たちには何ができるのか、
何をすべきなのか、
考え続けていきたいと思います。
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