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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.043

沖縄移住で見えてきたこと

 筆者が沖縄に定住するようになって5年が過ぎた。『噂の真相』を休刊して今年の3月で丸5年が経過することになる。当初は、なぜ沖縄移住なのかという事を友人たちからしきりに聞かれたものだが、「長く住んだ東京を離れて、沖縄という異文化の国で、しばらく人生の休養をとりたい」と答えてきた。それは、嘘偽りのない本音だった。しかし、住んでいるうちに、自分の中で少しずつ血が騒ぎ始めたのも事実である。いくら、沖縄でのんびり過ごそうと思っていても、日々のニュースをみていても、沖縄が米軍基地と無縁でないことは否が応でも感じざるを得ない。こちらに来てすっかり趣味と化したゴルフをしていても、激しいファントム戦闘機の音が耳を劈くような轟音を発して飛び去っていく。腹が立つなんてレベルではない。心臓にも聴覚器官にも悪影響があるはずだ。歴史も時代状況もかなり違うが、筆者がいつしかチェ・ゲバラのような米国に対する怒りの正義派になるのに時間はかからなかった。

 筆者が沖縄に移住してすぐ発生したのが、04年8月の沖国大キャンパスへの普天間基地所属のヘリの墜落事故である。その後、女子中学生に対する暴行事件もあった。米軍の我が物顔の基地私物化の数々も目に余る。何せ、米軍は沖縄では本土からの目が届かない事をいいことにやりたい放題なのだ。にもかかわらず、カンジンの日米地位協定の見直しなど一顧だにしていない。沖縄県民がいくら反対運動を起こし、日米両政府への要求を重ねてきても、少なくともこの5年間は全くの完全黙殺だった。米国は何様だと思っているんだという怒りが個人的には極限に達することもしばしばだった。

 しかし、実は、これは米国のせいではなく、日本政府が一番の元凶であることに気がつかされたことも沖縄に来たことの大きな収穫だった。米国の核の傘に入り、日米軍事同盟に身を置いていることが、日本にとって最大の国益になるという外務省、防衛省の思い込みが沖縄県民を生贄にしているのだ。その代わり、沖縄にはおとなしくしていれば金はやるぞというアメ作戦も忘れてはいない。沖縄のあらゆる海をコンクリート護岸にし、環境を省みることなく橋、ダム、道路をつくる。最近では、辺野古新基地、泡瀬干潟埋め立て工事、大学院大学構想も米軍基地に対するご褒美作戦の一環である。米国至上主義政策の下に、日本が沖縄に押し付けているのは、結局は霞ヶ関官僚たちのご都合主義,省益や利権にすぎないということである。

 戦後、一貫して変わることのなかった日本政府、というよりも霞ヶ関の沖縄に対するヤリクチが、ようやく変わるかもしれないというささやかな期待を抱かせたのが、差別の痛みがわかるであろう黒人初の大統領・オバマの誕生であり、民主党の国務大臣・ヒラリー・クリントンコンビの登場である。国務大臣として初来日したクリントンの初仕事がいきなり「在沖米海兵隊のグアム移転に関する協定」というのも、日米両官僚のお膳立てにまんまとのせられた感は否めない。これも、日本が民主党政権に替わる可能性があるので、沖縄海兵隊のグアム移転の費用を日本に払わせようという米国防衛省の思惑だろう。ならば、小沢代表は、「日米地位協定の抜本的見直し」くらいはクリントンに交換条件として堂々と要求すべきである。しかし、それにしても、麻生総理の支持率9,7パーセント、中川財務大臣のG7での大醜態記者会見などを見ていれば、オバマもクリントンもいつまでも馬鹿ではあるまい。クリントンは北朝鮮の拉致被害者家族にも会うというのだから、沖縄も米軍基地の惨状を訴える絶好のチャンス到来だと思うのだが、イマイチ反応が鈍いのが気になる。それでいいのか、薩摩侵攻400年の沖縄、チャチャチャである。

2009年は、薩摩藩の沖縄侵攻から400年、と同時に、
明治政府による「琉球処分」から130年にも当たるのだとか。
沖縄にとって大きな節目といえるこの年、
新たな「変革」は成るのか。
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