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マガ9レビュー

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本、DVD、展覧会、イベント、芝居、などなど。マガ9的視点で批評、紹介いたします。

vol.10
『藤森建築と路上観察』公式ホームページ

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第10回
ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展帰国展
『藤森建築と路上観察』

日時:2007年4月14日(土)〜7月1日(日)
場所:東京オペラシティアートギャラリー

新聞の報道によれば、迎撃ミサイル「パトリオット3(PAC3)」が配備される予定の市ヶ谷・防衛省のグラウンドのすぐ横に、38階建ての高層マンションが建設中だ。東京は今、「再開発」を名目にした建設ラッシュと、国民の生活の実体をきちんと把握せぬまま、早急に進められている「防衛」によって、正気の沙汰とはいえない事態に陥っている。

建築は、「国家」のイメージを表現する重要なジャンルである。だから、むろん「再開発」にも「防衛」にも関わる。しかし、そうした建築が現在、人々の「住み暮らす」ということと真摯に向き合っているのかどうなのかは、甚だ疑問におもう。建築はいったいどこへ向かおうとしているのか?

このような疑問を解く鍵となる展覧会が東京オペラシティのアートギャラリーで開かれている。住宅の屋根や壁面にタンポポを植えた「タンポポハウス」や、2本の柱で地上6メートル上に建つ「高過庵(たかすぎあん)」など、“野蛮ギャルド”な建築デザインで知られる建築史家・藤森照信の仕事を網羅的に紹介した好企画である。

メイン会場には、温暖化で水没した100年後の東京の姿を構想した「東京計画2107」なる全長9メートルの大きな模型が展示されている。海と化した関東平野。廃墟となって倒れた東京タワーがぶざまな姿を海面にさらしている。その遠方の海上では風力発電のプロペラが何機かまわっている。やがて何処からかはじまる陸地には整備された農園が広がり、その先の丘陵には巨大な埴輪のような、蟻塚のような白い集合住宅の塔が何棟かそびえ立つ。皮肉の利いた絶望的な「計画」ではあるが、どこかユーモラスで牧歌的ですらある。けれど、この計画は空想的ではない。

というのは、模型から秩父盆地を連想させるからである。周知のように、関東平野の終わり、秩父山脈の麓は「化石の宝庫」として高名な地域である。今から2500万年前の太古、そこは海であった。発掘によってそれがわかっている。とすれば、温暖化で再び海に戻ることに、いったい何の不都合があろう。もと もと海だったのだから、海に戻ったっていいじゃないか。むしろ不都合なのは、いつ頃からかある生物が占拠して、豊穣なその土地をほんの僅かな期間にメ チャクチャにしてしまった、その事実の方ではないのか。

よく見ると、藤森建築のいたる箇所で、そんな「永い時間」が<時>を刻んでいるのがわかる。ときには技術に、素材に、様式にと様々な創意工夫によって顔を出しているのである。

例えば「タンポポハウス」は、五月ともなれば、家屋の屋根一面にタンポポが咲き誇り、庭に繁茂する雑草や、裏の農地の野菜や新緑などとの境界が曖昧に なって、どこからが家屋でどこからが風景で野菜なのか、ほとんど区別できないほどになる。家屋があたかもそれにまつわる森羅万象に溶け込んで、その一部になってしまったようなのだ。どこからか種子が飛んできて、建物の壁の僅かな隙間に入って、そこから芽を出すまでの<時の流れ>。誰も住まなくなって朽ち果てて、やがてそこは植物の王国となるのだ。「タンポポハウス」においては、年月そのものが<建築>となるのである。

確かに、ぼくらの住まいから、さまざまに流れる複数の<時間>が消え去ろうとしていることは紛れもない事実だ。それは、いわば高速度で回転する巨大な独楽みたいなものだ。そこから見えてくるのは、もはや攪乱的な幻像以外の何ものでもない。つまり回転しているときに浮き出て見える文様を、ぼくらは実像のように錯覚しているというわけだ。

最大の不幸は、この国の多数の人々が、息せき切って回転し続けなければ生きてはいけないと思い込まされているところにこそある。実際には、そう思い込んでいる人々やその暮らしこそが、この回転から真っ先に吹き飛ばされているというのに、だ。自分だけは該当しないとおもっている。それも単なる思い込みにすぎない。買えようが買えまいが、商品の生産と消費のサイクルに振り舞わされ、人がマネーの道具と化してゆく。今やマネーこそが主人なのであり、人がそれに隷従しているのである。振り落とされないように必死にしがみつくこと、ただそれだけが人の生となったのだ。これがこの国の惨めな実像ではないのか。この都市の「再開発」が、この国の「再チャレンジ」が、ぼくには薄っぺらな虚像にしか見えない。

だが、それゆえに問うべきである。人々に幻像を植え付けるその回転が止まった後にも尚、営まれる暮らし、残る文化とはいったいどのようなものなのか、と。ぼくらはもう既に日々生きているわけだが、それでも「生きる」ということの根本とは何なのかと問わずにはいられない。アーティストや文学者のみならず、人が生涯の中で問わなければならないのは、ほんとはたったこれだけのことなのかもしれない。「憲法」を考えることはだから、このことと密接に関係していなければリアリティなんて何もない。

藤森建築の「見たことないのに懐かしい」という印象から演繹するに、なかなかどうして日本国憲法の理念にしっくりくるようにおもうのである。どのように? むろんそれを知るには『藤森建築と路上観察』展に足を伸ばしていただくほかないのだが。誤解を恐れず簡単に云うと、かの建築からは日本国憲法と同様のもの、すなわち矛盾と仮象を孕みつつ歴史の機微が明文化(結構化)される、その際どい局面がしっかり捉えられているとおもうのである。

ところで、氏が護憲派なのか、改憲派なのか、ぼくは知らない。しかし肝心なことは、建築家は改憲派に日和ったけれど、建てた家屋は断乎護憲である、なんてことが起こりうるということだ。「残る文化」とはこういう意味である。むろん家屋に国民投票の権利はないけれど、しかし家屋が平和を愛するというのは特に不可解なことではない。街や家が平和を守ったなんてことは、誰もが一度は耳にしたことのある話しではなかろうか。要塞都市だけではない。無防備都市だってそうだ。

いずれにせよ、大切なポイントとはこうだ。つまり建築は、ときに自然の側にまわって愚かな人間に審判を下し、あるいは窮地に陥った者を救いもするのである。だがそれは、マネー御用建築家の「ポストモダン・アーキテクチャー」の遥か先にあるものだ。家屋いっぱいにタンポポが咲き乱れ、風に乗ったワタボウシの無数の種子がばら蒔かれるその辺り。むろんタンポポがどこに芽吹くのか、あらかじめ予測することなどできはしない。けれど、可能性とはそういうものである。

(北川裕二)

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