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2013-06-26up

立憲政治の道しるべ/南部義典

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、
現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。

第23回

衆議院憲法審査会の6年
―まだ残る、手続上の課題―

通常国会が閉会に

 本日(2013年6月26日)、第183回通常国会が閉会しました。2月上旬から5月上旬にかけて、憲法96条先行改正論が熱を帯びるなど、否が応でも政治の場で「憲法」が語られた会期となりました。
 会期中とくに、現職の内閣総理大臣が、委員会や本会議の答弁で23回も憲法改正に言及(取り組む姿勢を表明)しました。これは、まな板の上のコイが調理人に包丁を突き付けるがごとく、立憲主義に対する無理解・反逆に他なりません。「近代立憲主義とは一つの考え方にすぎない」と、思想価値を相対化する試みも。異様な光景が常態化しつつあったものの、会期末にかけてはアクセルペダルから足が離れ、憲法論議は“自然減速状態”に陥ったと言っていいでしょう。
 今回のテーマは、衆議院憲法審査会についてです。永田町の憲法論議の“土俵”に焦点を当てます。
 「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する」。国会法102条の6、衆議院憲法審査会規程1条には、憲法審査会の目的と権能がこう書かれています。
 果たして、法の目的に沿った活動が行われてきたかどうか。6年間の審査会史を振り返ります。

憲法審査会「活動期の区分」

 活動期は、3つに区分できます。空白期(2007年8月7日~)、第1期(2011年10月20日~大畠章宏会長)、第2期(2012年12月27日~保利耕輔会長)です。
 まずは、年表をご覧ください。

空白期(2007年8月7日~)

 憲法審査会には、4年2か月に及ぶ空白期が存在しています。完全な空白であって、停滞期ではありません。審査会史上、この期間は無視しえないものと考えます。この期間、審査会は何をなすべきだったのか、なぜ空白期間が生じたのかなど、事実を検証し、国民の記憶に留めておく必要があります。
 憲法審査会は、国会法の規定に従い、2007年8月7日に設置されました。この日は、第167回臨時国会の召集日でした。憲法審査会の設置等に関する国民投票法第6章(第151条・憲法改正の発議のための国会法の一部改正)の規定は、「国民投票法が公布された日(2007年5月18日)以後初めて召集される国会の召集日」に施行されることとされていたからです。

実は、内部ルールが決まっていなかった

 しかし、憲法審査会が設置されたといっても、国会法という法形式の上で「存在することになっている」というだけで、実体を伴っていませんでした。
 実体を伴い、活動を始めるためには、憲法審査会の委員の数、定足数(議事を開くために必要な出席委員数)、表決数(議事を決するときに必要な数)、その他議事の運営に関する事項等を定めた「憲法審査会規程」という内部ルールをあらかじめ定めておく必要がありました。第167回臨時国会の冒頭、衆参の本会議でそれぞれ議決しなければならなかったのですが、実現しなかったのです。
 ご承知のとおり、臨時国会の直前に行われた第21回参議院通常選挙(2007年7月29日)では、民主党が第一党に躍進し、「ねじれ国会」となりました。民主党ほか野党は、早期の衆議院解散を実現するべく、消えた年金問題への取り組み等、政権交代に向けた対決モードに入り、憲法論議は“無期限延期”という扱いになったのです。「いま、憲法どころではない」という空気が、参議院側から蔓延し(参議院では衆議院以上に、憲法審査会規程が議決される政治状況では無くなりました)、国会全体を覆うような状況になっていました。
 結局、憲法審査会規程が衆議院本会議で可決されたのは、それから2年以上経った、2009年6月11日のことでした。麻生内閣のときです。

国民投票法の全面施行までにやるべきだったこと

 2007年8月7日に憲法審査会が設置され、国民投票法が全面施行される2010年5月18日までの約3年間、本来、政治が真摯に取り組むべきだったことがあります。以下の1.~3.です。

1.憲法審査会規程の議決

 第167回臨時国会の冒頭、憲法審査会を実質的に始動させるために、衆議院、参議院が憲法審査会規程を議決しなければなりませんでした。先に述べたとおり、憲法審査会の運営規則が整備されなければまったく活動することができません。

2.国民投票法附則「3つの宿題」の検討・措置

 国民投票法附則に定める「3つの宿題」(第20回・第21回・第22回で解説)のうち、(1)選挙年齢、成年年齢等の年齢条項の見直し検討・措置、(2)公務員の国民投票運動等を自由とするための公務員法の見直し検討・措置、の二つは、国民投票法が全面施行される日までの期限付きの宿題でした。
 (1)に関しては、政府において見直しに向けた議論が適切に、スケジュール通り進んでいるかどうかを憲法審査会で監視すること、(2)に関しては、公務員が行う国民投票運動等で法的に許される行為について、公務員法の政治的行為の制限規定を適用しないというルールを定めるため、「国民投票法の一部改正案」を憲法審査会で審査することが想定されていました。

3.衆議院憲法調査報告書の内容の精査

 憲法審査会が始動し、国民投票法が全面施行されるまでの約3年間は、「凍結期間」と呼ばれていました。何が凍結されていたのかといえば、憲法改正原案を審査する権限です(国民投票法附則4条)。「憲法改正をテーマとして扱わない3年間」と理解していただいて構いません。
 2.の国民投票法附則の宿題に関する検討措置が講ぜられ、条件整備が整った場合には、理論的にはいつでも憲法改正原案の審査を始められるはずです。しかし、あえて審査権限を凍結(封印)し、憲法改正手続きの一歩手前で立ち止まることが、法律で明記されていたのです。衆議院憲法調査会報告書(2005年4月20日公表)の内容をレビューする等、“復習”を兼ねて憲法に関する調査を粛々と続け、与野党の合意形成に努めることが想定されていました。

政権交代、動かない参議院

 2009年6月11日、ようやく衆議院憲法審査会規程が議決され、会議体としてはいつでも活動可能な状態になりました。 しかし、2か月半後の衆議院議員総選挙の結果、民主党を中心とする連立政権が発足しました。鳩山内閣が発足し、民主党内では「政策決定プロセスの政府一元化」という政策決定システムが導入され、党の政策調査会、憲法調査会は設置しないという方針が敷かれました(後に少しずつ修正されていきます)。以後、憲法問題を扱う党内組織が存在せず、政治の現場からは“憲法”の二文字が消えていきました。
 衆議院では、解散前に憲法審査会規程が制定された一方、参議院では憲法審査会規程が制定されない不作為状態が、衆議院以上に続いていったのです。
 国民投票法の全面施行日(2010年5月18日)が近づくにつれ、憲法審査会が始動していないのは国会法違反で政治の怠慢に他ならず、憲法審査会規程の制定を終えている衆議院だけでも始動させるべきという強硬論もみられましたが、そうもいかないという政治判断が支配的でした。
 そんな中、2010年7月の参議院通常選挙で再び「ねじれ国会」となり、憲法審査会の未始動状態に異議を唱える会派勢力が拡大し、間もなく参議院でも憲法審査会規程を整備すべきという声が強くなっていきました。
 参議院憲法審査会規程が参議院本会議で議決されたのは、2011年5月18日のことでした。東日本大震災・福島原発事故からわずか2か月後のことです。国民投票法の公布から、ちょうど4年を要したことになります。

空白期をどう評価するか

 憲法審査会規程の議決がないと、組織としての実体が伴いません。国民投票法附則の宿題の検討も進められませんし、衆議院憲法調査会報告書という過去の実績をレビューすることすらできません。憲法論議がないまま、時間だけが過ぎていくことになります。
 憲法施行以来60年間、国民投票法の未整備が立法不作為にあたると言われてきました。憲法審査会規程が制定されなかった期間も、第二の立法不作為が続いていたといえます。
 国民投票法附則「3つの宿題」の検討・措置、衆議院憲法調査会報告書の再検証が、等閑になってしまいました。これは、国民投票法が制定された2007年当時、およそ憲法論議に関与していた与野党議員が想定していなかった事態です。
 何百年、何千年と永続するであろう日本国憲法の、法典としての生命からすれば、わずか数年間の空白は、まったく誤差にすぎないのかもしれません。しかし、国会における憲法論議は、健全な立憲政治を維持するためにも必要です。政治・行政は常に動いています。時代を通じて、たえず憲法に基づいた、立法府としての主体的な検証作業が必要です。

 何も議論しなければ、政治家の認識レベルで憲法の存在が小さくなる、つまり政治の場で憲法が意識されなくなってしまいます。そして、「憲法をネタに政局的に利用してはならない」など、憲法論議の政治作法が忘れ去られてしまいます。挙句の果て、「突飛な憲法観」「珍説」が幅を利かせることになってしまいます。事実、そうなっている面があるでしょう。空白期では、政治に立憲主義を根付かせる機会を、総じて見失う事態になってしまいました。遅れを取り戻すには、相当な政治的努力が必要です。

いよいよ始動 現在に至る

 野田内閣が発足し、2011年10月20日に召集された第179回国会から、ようやく衆議院と参議院が揃って、憲法審査会が始動しました。
 年表をもう一度ご確認ください。第1期(2011年10月20日~大畠章宏会長)は、2012年12月の衆議院議員総選挙まで続き、政権再交代となった後、第2期(2012年12月27日~保利耕輔会長)が現在まで続いている状況です。
 衆議院憲法審査会は会期中、木曜日が定例日とされています。議題としては、国民投票法附則「3つの宿題」に関する政府当局者に対する質疑、憲法各条章(前文、第一章~第十章)に関する論点の整理、各会派の意見表明、委員間の自由討議、が行われています。空白期のうちに行うべきだった2.と3.がメインです。本稿では内容には立ち入りません。
 憲法改正原案は、一度も審査されたことがありません(後述)。国民投票年齢が確定しない、公務員の国民投票運動がどの範囲まで許されるのか確定しないなど、法的な障碍(疑義)が生じるわけですから、具体的な改正論議に踏み込むことができないのは当然です。これらを無視しても、何の政治的成果もありえません。決して、「総議員の3分の2以上の賛成」が現実性を帯びることはありません。

手続上の検討課題

 憲法審査会は、国会法に根拠を有する常設の機関です。どの政党が政権を担おうとも、どの政党が野党に転落しようとも、国会の構図とは関係なく、憲法論議は終わりなく続いていきます。
 憲法論議の具体的内容と評価は別稿に委ねることとし、手続に係る問題としていずれ検討しなければならない点を二つ、指摘しておきます。どちらも、各議院の議院運営委員会と十分な協議を行うことが必要です。

1.「両院憲法審査会合同審査会規程」の整備

 年表をご覧ください。衆参の各審査会は憲法問題に関する調査の段階ですが、これまでずっと跛行的に運営されているということが分かります。この点、議院の独立性、自律性からみれば、何ら問題はありません。
 しかし本来は、衆議院憲法審査会と参議院憲法審査会による「合同審査会」が、憲法論議の「扇の要」となることを、国民投票法の制定に携わった与野党担当者は念頭に置いていました。その旨の国会答弁もあります。合同審査会は、一般には「党首討論」が知られています。衆議院と参議院の国家基本政策委員会の合同審査会です(国会法42条)。
 国会法102条の8は、憲法改正原案に関する合同審査会の設置、合同審査会による各憲法審査会に対する「勧告権」を定めています。法文にはありませんが、勧告に先立つ「調査」も合同で行うことが必要です。衆参が合同して憲法問題を調査し、一致点を探りながら、およそ合意が整ったところで、合同審査会が各審査会に勧告を行うというスキームです。勧告に従い、いずれかの憲法審査会長が審査会を代表して憲法改正原案を提出するのです。
 憲法が「総議員の3分の2以上」という高い表決・発議要件を課している以上、他院のことを絶えず意識し、調整しながら議論を進めなければ、成案を得るにはほど遠いのです。両審査会が跛行を続ける限り、憲法改正発議の現実的可能性はありません。
 そう遠くない時期に、細目を定めた「両院憲法審査会合同審査会に関する規程」を制定する必要に迫られます。これをいつ行うか、誰がその判断をするかがポイントです。
 逆に言えば、合同審査会が「扇の要」にならないうちは、与野党間の幅広い合意形成をまったく無視した意見表明、態度が現場を覆います。これまで通り、憲法改正の発議を空想の領域に囲い留める状態が続くことでしょう。

2.会派による機関承認制度の見直し

 憲法改正原案に限った話ではありませんが、国会議員が発議する議案は慣例上、所属する会派の承認(機関承認)が必要とされています。衆議院議員が超党派で数名集まり憲法改正原案の発議者となり、発議者とは別に100名以上の賛成者を以てすれば、衆議院に憲法改正原案を発議できるというのが法律の建前ですが(国会法68条の2)、「機関承認」という隠れた要件が存在しています。  
 議員だけでは、自由勝手に議案(憲法改正原案、法律案、決議案など)を発議できません。自民党の発議者、民主党の発議者、維新の会の発議者等、それぞれの所属会派の承認決定が必要です。これが無いと、議院は受理しません。
 こんなエピソードがあります。2012年4月27日、衆参対等統合一院制国会実現議員連盟(一院制議連)のメンバーは、憲法42条等の「日本国憲法改正原案」を横路衆議院議長に提出しました。しかし、上記の機関承認を経ていませんでした。事実文書として物理的に受け取ることはできても、その後は正式な議案として扱えない状態が続きました。結果、正式に受理されることなく、事実上の“廃案”となりました。
 一院制国会のテーマに限らず、また、同じことが問題となります。憲法改正原案に限っては、発議者のほか賛成者が100名以上集まったら、機関承認を要せず、憲法審査会に自動的にその議案を付託する旨の国会法上の“特則”を設けるべきか、この点に絞った議論が必要です。そうでないと、自民党、民主党ともに一院制国会の導入は党是ではないことから、憲法改正原案の発議、審査は入り口論として排除されるということになってしまいます。何らかの打開策、調整が必要です。

むすびに

 衆議院憲法審査会の前々身の憲法調査会(2000年1月~2005年4月)は、5年余のうちに460時間ほどの調査を行いました。前身の憲法調査特別委員会(2005年9月~2007年4月)は、1年半のうちに100時間程度、国民投票法制の調査を行いました。
 憲法審査会は形式的な設置からまもなく6年、実質的な始動から1年8か月が経ちます。空白期が長かったために、通算して50時間ほどしか議論が重なっていません。議論の方向性を国民が受け止めきれていない現実があります。小委員会(複数)における論点の深掘り、地方公聴会の開催なども効果的と考えます。
 現在、憲法審査会に対して様々な請願が寄せられています。従来は憲法9条に関連する内容のものが多かったのが、この通常国会では96条改正問題に関するものが増えました。憲法論議に対する国民の距離感、向き合い方も変わってきています。会期末にまとめて「保留」にしてお仕舞いにする、旧来型の請願審査のあり方も見直すべきでしょう。

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こうして振り返ってみると、
いかに憲法論議が政局に振り回され、
「道具」として使われてきたのかを改めて実感させられます。
本来であれば南部さんが指摘するように、
「憲法に基づいた立法府としての検証作業」が、
政局とは無関係に、常に行われてくるべきだったはず。
その怠慢が、「立憲主義を理解していない国会議員が多数いる」ともいわれる、
危機的な状況を生み出してきてしまったのかもしれません。

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南部義典さんプロフィール

なんぶ よしのり慶應義塾大学大学院法学研究科講師。1971年岐阜県生まれ。1995年京都大学卒業、国会議員政策担当秘書資格試験合格。2005年から国民投票法案(民主党案)の起草に携わり、2007年衆参両院の公聴会で公述人を務めた。近時は、原発稼働をめぐる各地の住民投票条例の起草、国会・自治体議会におけるオンブズマン制度の創設に取り組む。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社、2007年)がある。ツイッター(@nambu2116)フェイスブック

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