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2013-08-07up

立憲政治の道しるべ/南部義典

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、
現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。

第26回

「原発は憲法違反」の国会決議は可能なのか?

議論は、原子力規制委員会に

 東京電力福島第一原子力発電所事故の発生から、880日が経ちました。この間、2回の国政選挙が行われました。原発政策に対する民意がどのように集約され、政治に反映されていくのか、多くの国民が確信を抱けず、先行きは不透明です。民意は置き去りになる一方、原発再稼働に向けた「政治・行政・業界のスクラム」は、ますます強固になっていきます。
 改正原子炉等規制法に基づき、2013年12月18日までに核燃料施設等に係る新しい規制基準(原子力規制委員会規則)が策定される予定です。現在、その骨子案が策定され、パブリックコメントが実施されています。福島第一原発事故の検証も含め、原発政策の議論が続いていますが、前記規則で定められる基準(運用)に焦点が当たり、技術的な内容に議論が深入りしています。
 稼働・再稼働を検討するさい、技術的な観点は当然不可欠です。しかし、憲法、法律という高位の法レベルで、議論の対象である原発そのものの適合性を問うことが前提であるはずです。とくに、原発は合憲か、違憲かという憲法適合性の判断が重要です。

新規制基準の前に、「憲法」のチェックを

 というのは、憲法の制定時(67年前)に原発は存在せず、建設・稼働は想定されていなかったため、憲法上禁止するか否かという議論は存在しなかったわけですが、2011年3月、これほどの重大事故が発生し、いまだに数多くの地域住民が被災状態を強いられている以上、もはや憲法の「縛り」から逃れられないと考えられるからです。
 過去を振り返れば、原子力基本法(1955年12月19日法律第186号)をはじめ、種々の原発立法が整備され、原発行政、原発自治が粛々と推進されてきました。これらは原発(原子力エネルギーの平和利用)が憲法に適合しているという評価が前提です。この評価に今後も従うのか、このさい捨て去って、新たな評価(立憲的拘束)を行うのか。憲法を武器に持つ国民の自覚と覚悟が問われています。「立憲主義と原発」という観点での考察を、主権者・国民から問題提起することにより、政治部門(国会・内閣)での議論を促すことが肝要です。
 本稿は前記のような問題意識から、「原発を憲法違反と認定する国会決議」を行うことを提案します。原発立法、原発行政及び原発自治に対し、有効な歯止めを掛けることが目的です。

 憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と、憲法の形式的最高法規性を定め、憲法に違反する法律、命令は、無効であるとしています。原発法制に関し、形式的効力の強い順に上から並べていくと、憲法を頂点とする図のようなピラミッドになります。
 法律(国会が制定)、政令(内閣が発する命令)、府省令・外局規則(経済産業大臣、原子力規制委員会等の行政庁が発する命令)は、福島第一原発事故を受け、様々な改正が行われ、現在なおその途上です。核燃料施設等に係る新しい規制基準は、原子力規制委員会が定める規則です。憲法98条1項に出てくる「命令」の一種です。
 法制度の宿命ともいえますが、ルールの具体的内容の定めは、法律→政令→規則という順に、下位の法規範へと委任されていきます。原発法制も例外ではありません。事故後、議論のレベルは法ピラミッドの下に向かい、いまは底辺に到着しています。
 この点、憲法、法律のレベルまでは国会の権限に基づく一定のコントロールが効きますが、原子力規制委員会規則は国会が関与するものではないため、直接のコントロールができません。「原発は憲法に違反しない」という暗黙の了解の下、もっぱら技術論の土俵で、原発法制のスキームづくりが進行しているのです。内容が具体的、技術的になるほど、知らず知らずのうちに議論のリセットがしづらい空気が広がってしまいます。議論のポイントを憲法に立ち返らせる理由はここにもあります。

憲法違反の事実

 福島第一原発事故で、地域住民一人ひとりの生活がどのように一変したか、今更いうまでもありません。事故が直接の原因となり、尊い生命が犠牲になりました。放射線被害により私有の財産、仕事を奪われ、故郷には住めなくなり、いまだに苦しい避難生活を強いられている方が30万人に上ります。憲法上は、22条(居住移転、職業選択の自由)、25条(生存権)、29条(財産権)が保障されていない状態にあります。原発の立地自治体、周辺自治体では「自治」(憲法第7章)が全うできていない状態にあります。事故の発生とは関係なく、「放射能の恐怖のない社会で暮らしたい」という市民の平和的生存権(憲法前文)も侵害しています。さらに、国土の一部を居住不能にすることは、それ自体が重大な主権侵害です。
 以上により、原発そのものは憲法違反と評価されるべきであり、原発を推進する立法、行政は無効と評価されるべきものです。

「原発=憲法違反」と評価する国会決議

 「原発=憲法違反」と、いずれの国家機関が評価するのでしょうか。直感的には、「憲法の番人」である司法の権限であり、裁判所の役割と考えられます。この点、裁判所でもちろん可能なのですが、司法権は特定の事件に関して訴訟が提起されてはじめて発動されるものであり、また、原発の憲法適合性を特定の事件を離れて抽象的に判断する権限はありません。
 憲法の有権解釈は、裁判所の専権ではありません。国会、内閣でも当然可能です。内閣には内閣法制局という専任の部署があります。国会はこれまで、内閣法制局が主導する政府解釈を追従する側にありましたが、意識して憲法解釈を行い、「決議」として議院ないし委員会の意思として明示し、憲法に準ずる事実上の規範力を及ぼすことが可能です。
 その最たる例が、非核三原則です。

非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する衆議院決議(1971年11月24日)
○政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるべきである。
○政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来の縮小整理の措置をとるべきである。
 右決議する。

 前記の決議は、衆議院本会議で全会一致で行われています。
 その後、衆議院外務委員会(1976年4月27日)、参議院外務委員会(1976年5月21日)、衆議院本会議(1978年5月23日)、衆議院外務委員会(1981年6月5日)、衆議院本会議(1982年5月27日)及び参議院本会議(1982年5月28日)においても、国際的な核軍縮の潮流に沿って、同様の決議が行われています。
 非核三原則は、憲法にも法律にも明記されていません。国会決議とはいいながら両院の統一意思ではなく、いずれかの議院(又は委員会)の意思にすぎません。法的拘束力もありません。しかし、憲法と同程度の規範的拘束力が認められ、現在に至るまで政治権力を拘束しています。
 憲法第9条第2項の「戦力」とは、自衛のための最小必要限度を超えない実力をいい、その範囲であれば核兵器の保有を禁止するものではないというのが政府見解ですが、非核三原則という国会決議がこの政府見解に優位しています。安倍首相ですら、非核三原則を放棄することまで言及できません。国会決議が強度の政治的拘束力を有していることの証左です。

国会決議を行う意義

 国会自ら「原発=憲法違反」という、一定の憲法解釈を行うことは、政治過程に与える影響に関して、重要な意義があります。
 国会を中心とする間接民主制のプロセスにおいても、原発国民投票のような直接民主制のプロセス(ただし、憲法原則との関係で諮問的なものにとどまる)を経るにしても、どちらを取るにしても、「原発=憲法違反」との国会決議がフィルターとなり、核燃料サイクルを含む原発政策の選択肢を絞り込むことにつながります。憲法違反の状態を拡大することは当然許されないわけですから(一票の較差を拡大するような選挙制度改革が許されないのと同様です)、「原発の数を減らす」という選択肢しか無くなります。あとは、時間軸の問題で、即時廃炉か、一定期間内に廃炉か、という政策判断が加わるのみです。原発立法、原発行政及び原発自治なるものは、憲法に違反し許されず(憲法98条1項)、いずれ廃止されることになります。ピラミッドの図でいえば、憲法の下位にある原発法制がすべて無くなります。
 前政権において「2030年代までに原発をゼロとする」というスローガンが言われたことがありましたが、「原発=憲法違反」と評価し、憲法違反の存在をこの社会から解消していくと宣言するのが、立憲政治の本来の道筋でしょう。

国会決議をどのように行うか

 非核三原則の国会決議と同じことを、原発に関しても行うべきと考えます。決議においては、問題となる憲法の条章を適示し、結論と理由を簡潔に述べれば足ります。
 実務的な話になりますが、衆議院本会議でこれを行う場合、衆議院議院運営委員会の場で、いずれかの会派(野党でも可能です)から文案を提議し、各会派で持ち帰り、合意を得るというプロセスを経ることになります。
 政治が主体的に動かない場合には、請願権(憲法16条)に基づき、各議院で「原発=憲法違反」との決議を行うよう、国民がイニシアティヴをとることも可能です。国会の会期中、国会議員(衆参どちらでもよい)に請願の紹介議員になってもらい、議論を前進させるのです。受理された請願は、議院運営委員会等、然るべき委員会に付託されるというシステムになっています。
 2013年7月31日現在、本会議で行われた決議は、衆議院354本、参議院257本に上ります(筆者調べ)。本会議でなくても、委員会、審査会でも行うことが可能です。内容に制限はありません。北朝鮮による核実験の非難決議、オリンピックの招致決議も出来るくらいですから、国政上の重要問題として原発の憲法適合性も当然、決議の対象となりえます。

 本日は、第184回臨時国会の閉会日です。これからしばらく閉会となり、次の国会召集は10月中旬ともいわれています。つまり、2か月間は立法機能が停止状態に陥ります。参議院の会派構成もリニューアルし、衆議院に続いて「原子力事故調査特別委員会」がようやく設置されましたが、参議院における実質的な調査は少なくともあと2か月待たされることになります。国会事故調の報告書(2012年7月5日)から1年以上が経過し、何とも無意味な時間が流れていきます。
 原発に関しては、再稼働の是非に係る技術的な話に傾注しがちですが、憲法という根本論に立ち返ることが重要です。憲法改正、憲法解釈変更だけが憲法論議ではありません。憲法を武器に、原発という違憲実体に立ち向かうことも一つの有意な憲法論です。「言っても仕方がない」と、主権者の心持ちが折れたときが、もっとも危険です。

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原発法制に関する議論は、
「原発は違憲ではない」という暗黙の了解のもとに行われている。
言われてみれば当然なのですが、
なんだか「眼からうろこ」な思いです。
これだけさまざまな人権を侵害する原発が、
そもそも本当に「違憲ではない」のか。
改めて議論してみるべき問題ではないでしょうか。

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南部義典さんプロフィール

なんぶ よしのり慶應義塾大学大学院法学研究科講師。1971年岐阜県生まれ。1995年京都大学卒業、国会議員政策担当秘書資格試験合格。2005年から国民投票法案(民主党案)の起草に携わり、2007年衆参両院の公聴会で公述人を務めた。近時は、原発稼働をめぐる各地の住民投票条例の起草、国会・自治体議会におけるオンブズマン制度の創設に取り組む。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社、2007年)がある。ツイッター(@nambu2116)フェイスブック

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