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柴田鉄治のメディア時評(09年11月25日号)

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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「のりピー騒動」にみる日本のメディアの『スタンピード現象』そんなことより「官房機密費」になぜ迫らない?

 日本のメディアについて、外国からよく指摘される批判の一つに「スタンピード現象」というのがある。スタンピードとは、野牛の群れが怒涛のごとく走るさまをいう言葉で、一頭が走り出すと、たちまち一斉に走り出し、草木をなぎ倒して驀進する状況が、日本のメディアによく起こる現象にそっくりだというのである。

 「一色なだれ報道」といった、言い換えの言葉もあるように、何かある事件が起こると、どのメディアも一斉に走り出し、そのニュース一色に染まってしまうことがよくあるからだ。近年の事例でいえば、1995年のオウム真理教事件、98年の和歌山毒カレー事件、2001年の大阪・池田の児童殺傷事件、やや性格は違うが02年の北朝鮮による拉致事件などを思い起こしてもらえば、言わんとするところは分かるだろう。

 これらの事例のなかには、なだれ現象が起きても不思議でないものもあろうが、ときに、なぜこんな事件が、と思われる事例も混じるところに「反論」のしにくい部分があるといえよう。

 たとえば、最近の「酒井法子事件」通称「のりピー騒動」などはどうだろうか。「清純派タレントと覚せい剤」という取り合わせの妙はあろうが、あのように朝から晩までどのチャンネルを回しても、というのは異常ではないか。

 11月9日の判決の日には、21席の傍聴席を求めて3030人が並ぶという騒ぎがあり、144倍という競争率がまた、新たなニュースのタネになった。しかも、抽選のために並んだ人たちの大半は、メディアが雇ったアルバイトの人たちだったと聞くと、この国のメディアはいったいどうなっているのだろうと、クビを傾げざるを得なくなる。

 そんな感慨を抱いてメディアを眺めていたら、英会話講師の英国人の女性が殺された事件にからんで指名手配されていた市橋達也容疑者が大阪で逮捕された事件で、またまたスタンピード現象がみられた。

 容貌を変えるために美容整形外科で手術を受けたことが逮捕のきっかけになった、という世間の異常な関心を呼ぶ要素があったとはいえ、深夜に東京駅から千葉県の行徳警察署に連行する車を追ってNHKがヘリコプターで空から生中継したり、警察署前のロープをくぐって車の前に立ちふさがったTBSのプロデューサーが逮捕されたり、といった騒ぎが続いた。

 どんな事件だろうと、メディアが大騒ぎをすることにいちいち目くじらを立てることもあるまい、という冷めた見方もあろうが、騒ぎ方にもおのずから限度があろう。メディアに対する視聴者や読者の信頼感に関わる問題で、「ほかにもっと追及すべきものがあるだろうに」という疑問を抱かせてしまったら、そのマイナスは決して小さくない。

 たとえば、このところ連日のようにメディアをにぎわせている「官房機密費」なども、メディアがもっと力を入れて追及すべきものなのではないか。

 官房機密費というのは、正確には「内閣官房報償費」と呼ばれ、予算上は「情報収集及び分析その他の調査に必要な経費」と分類されている。毎年、年間14億円余が計上され、2億円は内閣情報調査室に振り分けられるが、あとの12億円余、毎月1億円は官房長官が自由に使えるカネとして知られている。

 今回の騒ぎの発端は、政権交代があって官房長官に就任した平野博文氏が、直後の記者会見で「そんなものがあるのですか。全く承知していない。承知していないからコメントできない」と発言したことだ。

 これは真っ赤なウソで、あとでわかったことだが、平野長官は、前任の河村官房長官から引継ぎを受けており、しかも、「そんなものがあるのですか」と言った記者会見の1週間後には早くも6000万円を振り出して使っていたのだ。さらに、その3週間後にも6000万円を振り出している。

 そのうえ、その使途については「公表するつもりはない。私が責任を持って判断するので、私を信頼してほしい」と述べたのだ。

 民主党が野党だった時代には、何と言っていたか。2001年、当時の鳩山代表は国会の党首討論で「機密費は徹底的に情報の公開を求めていく。いますぐ公表できないものでも10年後、20年後には必ず公開するようにする法案もすでに作成した」と語っていたのだ。

 それが、平野官房長官の「公表しない」発言を受けて、当の鳩山首相まで「国民にすべてをオープンにすべき筋合いのものとは思っていない」と語ったのだから驚く。

 野党時代と発言が変わってくるのは、ある程度やむをえないところもあるが、政権交代の最大のメリットは、前政権の隠された不正や失政が明るみに出てくるところにある、といわれている。それなのに、「領収書も要らない、使途も公表されない、そんな便利なカネがあるのなら、今度は自分たちが使おう」というのでは、政権交代の意義までなくなってしまうだろう。

 しかも、民主党政権になって、行政刷新会議の「事業仕分け人」が公開の場で予算を厳しく査定し、細かいところまで削り込む作業を、その効果はともかく、国民は新鮮な思いで好意的にみているときだけに、一方に、こんな「巨大な暗闇」が手つかずに残されたままでは、その「新鮮さ」まで吹っ飛んでしまうに違いない。

 こうなればメディアの出番だ、と待っていたところ、やっと1週間後の朝日新聞の夕刊社会面トップに、「官房長官経験者に聞く」という記事が出た。「90年代に官房長官を務めた複数の政治家に取材した」というものだが、それだけでもその内容は驚くべきものだった。

 まず、「官邸内の長官室に腰くらいの高さの金庫があり、いつも数千万円入っていた。何に、いくら使っても、翌日には同じくらいになるよう補充されていた」というのである。

 その使途は「多かったのは国会対策と海外旅行への餞別だ」といい、「与野党を問わず、国会の委員長クラスに法案をうまくまとめてくれという趣旨で、1人200万~300万円手渡した」。餞別の額は「東南アジア諸国なら50万円、ヨーロッパなら100万円といった具合」。また、政治家の資金集めのパーティー券も「慣例ですからと100万円単位で買っていた」というのだからすごい。

 このあと、平野官房長官が明らかにした事実は、もっと驚くべきものだった。自民党政権時代の9月1日といえば、総選挙で歴史的な敗北が決まった翌日だが、この日に河村官房長官名で5000万円ずつ5回にわたり計2億5000万円が振り出されて、その半月後に平野長官が引き継いだときには金庫はカラだったというのである。

 敗北が決まって下野する直前のドサクサ紛れに、2億5000万円ものカネを政府・自民党はいったい何に使ったのか。

 これこそ、まさにメディアの出番である。いま各新聞社には、隠された事実を掘り起こす調査報道取材班のような組織をつくっているところが少なくない。なければ、いまからでも優秀な記者を選んで組織すればよい。

 そして、その調査報道班が、官房機密費のすべてをというのは大変だから、この2億5000万円と民主党政権になって使った1億2000万円に絞って、その使途を徹底的に調べ上げたらどうだろう。

 各紙が競ってその全貌を明らかにすることができたら、その記事に読者は「おお!」と声を上げ、読者の「新聞離れ」も止まって、いま各新聞社が直面している「新聞の危機」など、どこかに吹っ飛んでしまうに違いない、と私は思うのだが…。

総選挙での自民党惨敗後に「消えた」2億5000万円。
「何に使ったの!?」とは誰もが抱く疑問のはず。
平野官房長官が「使途調査は行わない」との考えを示している今、
まさに「メディアの出番」なのでは?

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