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2010-10-27up

柴田鉄治のメディア時評

第23回

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

「報道の原点」を見失うな

 10月は毎年、新聞週間のある月である。今年も東京で新聞大会が開かれ、大会宣言の採択や新聞協会賞の表彰などがあった。新聞週間の月だからというわけではなかろうが、今月は報道のあり方や報道の重要性について、あらためて考えさせられるニュースが相次いだように思う。

 そのなかで私がテレビの画像に最も釘付けになったのは、チリの鉱山で地下に閉じ込められた33人の鉱員が70日ぶりに救出されたニュースだった。世界中から3000人近い報道陣が集まり、推定10億人の人々がテレビを見守ったと報じられた事件である。

 私は41年前、アポロ宇宙船の月着陸を米国で取材したが、あのときも世界中から報道陣が集まり、世界中で5億人が月からの中継を見守ったといわれた。チリ鉱山の事件は、月着陸ほど珍しい出来事でもなければ、珍しい画像でもないのに、なぜ、あれほど多くの人たちの心を惹きつけたのか。

 恐らく、状況の分かりやすさが人々の想像力をかきたて、「自分だったら」「家族だったら」と考え、「絶望から希望へ」の大転換を疑似体験して、「よかったなあ」と心から喜べたからだろう。

 想像力が広がって、各国で過去の鉱山事故やロシアでは原子力潜水艦の沈没事故まで取り上げられて「あのとき、もっと努力すれば救出できたのではないか」といった報道が相次いだことも、なかなかよかった。「簡単に諦めるな」という教訓が今後の事例にも生きてくるに違いない。

 ところで、一連の報道のなかで、私が「おや?」と思った記事があった。救出の始まった10月14日付の読売新聞の社会面に「現場の報道規制厳しく」という見出しで載った特派員電で、短いので全文を紹介すると――。

 「チリ政府は13日、サンホセ鉱山の救出作業で、厳しい報道規制措置をとった。カプセルが出入りする救出現場の取材が許可されたのは、国営テレビと政府直属のカメラマンだけで、放映される映像は30秒遅れだった。政権に打撃となるようなトラブルが起きても、そのまま映像が流れないようにしたとみられる」

 かつての独裁政権の時代ならともかく、しかも政治性のある事件でもないのに、なぜそんなことを、と不思議に思いながらテレビ画像を見ていたが、救出も終わって約1週間後の22日の朝日新聞の夕刊に「チリ救出『生中継せよ』大統領直前命令」という記事が出た。

 それによると、当初は録画中継の予定だったが、「12日、救出直前にピニェラ大統領が現地に入り、『作業員が地上に引き揚げられた時に死んでいたとしても、隠さず、すべて放送しろ。最善を尽くした。何も恥じることはない』として、救出口の周りの国旗を外させた。かつてテレビ局のオーナーだったピニェラ氏が、生中継で見せることにこだわったという」のだ。

 この二つの記事だけでは実際に30秒遅れの映像が全くなかったのかどうか、よくわからないが、それはいずれ詳しい検証記事が出るのを待つとして、「国家権力と報道の自由」という問題としては、中国で、今年のノーベル平和賞に劉暁波氏が選ばれたというニュースを国内メディアには全く報道させず、CNNやNHKなど外国メディアの画像はその瞬間に真っ黒にした、という事実には驚いた。

 中国政府の言い分は、劉暁波氏は国家反逆罪で有罪判決を受けて服役中の犯罪者であり、平和賞の趣旨にふさわしくないということのようだが、それならそういう政府声明でもつけて報じればいいことで、情報そのものを勝手に遮断するようなことは許されるべきことではない。

 中国の憲法には言論の自由を認める項目もあるそうだから、民主化を求める「08憲章」を起草した劉暁波氏の逮捕・拘留それ自体にも疑問が湧くが、政府に都合の悪いニュースは伝えないというのでは、とても民主国家、近代国家とはいえない。それでは戦前の日本社会や「戦前の日本とそっくり」な現在の北朝鮮の状況を笑えないだろう。

 ただ、中国政府がそうした措置をとったことや、国民の間にはネットなどで受賞は広く伝わっていること、さらには民主化運動を秘かに進めている人たちの間で受賞が歓迎されている様子などが、日本のメディアにどんどん報じられたことには、多少の救いがあった。

 というのは、かつて文化大革命のときには、中国政府に都合の悪いニュースを報じた日本の特派員が次々と国外追放となり、追放を恐れて大事なことまで報じなかった朝日新聞の姿勢が「過去の汚点の一つ」といわれている、あのときに比べれば、ずっとよくなっているともいえるからだ。

 それにしても経済の自由化を認める中国が、政治の民主化をなぜ認めようとしないのか。こんな状況を見せ付けられると、尖閣諸島をめぐる反日デモの多発も、政府の認める「官製デモ」なのか、それとも政府への不満をぶつける形を変えた「反政府デモ」なのか、判断さえ難しくなる。

 北朝鮮といえば、44年ぶりに朝鮮労働党の代表者会が開かれ、金正日総書記の後継者として金正恩氏が党中央軍事委員会副委員長に指名されたのも、今月のニュースだった。社会主義の国で権力者の世襲とはなんとも奇妙な話だが、それはともかくお披露目の軍事パレードが珍しく世界中に生中継され、海外からも多くのメディアが招かれて取材の便宜も図ったと報じられた。これを機会に北朝鮮の社会に「報道の自由」が少しでも広がるよう期待したい。

 ところで、日本国内に目を転じると、政府機関のなかで「メディア・コントロール」の最も激しいところは検察庁だったといえよう。とくに最強の捜査機関といわれる特捜部のやり方が際立っていて、都合の悪い記事を書いた記者をただちに「出入り禁止」にするという方法でメディア支配を強めていったのである。

 もちろん権力犯罪を暴くという特捜部の使命にメディアが共感する部分があったことも確かだが、検察庁に対するメディアのチェック機能が極めて甘くなっていた原因の一つは、こうした検察庁の「脅し」にひるんでいた面がないとはいえない。

 「前代未聞」といわれる大阪地検特捜部の「証拠改ざん事件」も、検察庁の組織の劣化が論じられているが、その陰にはメディアのチェックの甘さがあったわけで、メディアの責任も免れない。検察庁の組織の見直しと同時に、メディアの側にもこれまでのやり方に対する反省と新たな再構築が必要だろう。

 メディアについてはもう一つ、NHKの記者が大相撲の賭博事件に関わる親方に警察の捜索情報を事前にこっそりメールで知らせていたという不祥事もあった。NHKには抗議や苦情が殺到し、メディアも一斉に「報道倫理を逸脱したNHK記者」と厳しく糾弾した。

 各メディアの報道では、04年から06年に頻発した番組制作費の着服事件や、08年にあった局内情報をもとにした株のインサイダー取引などの例を挙げて「またもや」と批判していたが、今回の事例は同じ不祥事ではあっても、制作費の着服やインサイダー取引とは性格が違うのではないか。

 私の見るところ、取材先によく思われようと「擦り寄った」ケースであり、2000年にあったNHK記者による「森首相への会見指南書」事件に近いのではなかろうか。森指南書事件というのは、森首相の「神の国」発言が問題となり、その釈明の記者会見が行われる前にNHKの政治部記者が「質問をはぐらかせ」「時間を切れ」などと報道倫理に反する指南書を書いて届けた事件である。

 この記者に対しては、NHKは一切、不問にしたままになっている。今回の事件に対しては「記者も処分し、局内での教育も徹底する」といっているが、スポーツ記者が相撲の親方に擦り寄るのはいけないが、政治記者が政治家に擦り寄るのはかまわない、ということなのだろうか。この機会にすっきりさせてもらいたいものである。

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柴田鉄治さんプロフィール

しばた・てつじ1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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