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蓮池透さん×森達也さん「拉致」解決への道を探る(その1)硬直状態を何とか打破したい

かつて拉致被害者家族連絡会の事務局長であった蓮池透さんは、「家族会」のスポークスマンとして、時に強硬な姿勢と発言で、メディアに頻繁に登場していました。しかしその後、事務局長を辞め、家族会とも距離を置いていた蓮池さんは、今年5月に『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』(かもがわ出版)を出版されました。当事者による核心をついた問題提議の数々に、私たちは蓮池さんの覚悟を知りました。かねてより、この問題に関心を寄せていた森達也さんにインタビュアーになってもらい、対談形式でさらに深い問題と解決の糸口について考えていきます。3回に分けてお届けします。

蓮池 透●はすいけ とおる1955年、新潟県柏崎市生まれ。1997年より2005年まで「北朝鮮による拉致被害者家族会」の事務局長をつとめる。著書に『奪還 引き裂かれた二十四年』、『奪還 第二章 終わらざる闘い』(新潮社)、近著に『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』(かもがわ出版)

森 達也●もり たつや1998年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年、続編「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に『死刑』(朝日出版社)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)、『視点をずらす思考術』(講談社現代新書)。近著に『神さまってなに?』(河出書房新社)、『きみが選んだ死刑のスイッチ』(理論社)がある。

●『拉致』を書いたのは、硬直状態を打破したい一心から

編集部  この本『拉致』を読んで、ぜひお話を伺いたいと思ったのですが、蓮池さんがなぜこの本を書いたのか? まずそこからお聞きしたいと思います。

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蓮池  2002年9月17日の日朝首脳会談(*1)から7年が経ちました。それぞれの家族も、5人の帰国から2年近く経ってから還ってきましたけれど、それ以外のことは全く動かないし、情報も何一つ入ってこない。週刊誌やワイドショーネタみたいな、不確かな情報はちょこちょこ出てましたけど、本質的な解決に向けた糸口が全くつかめない。そんな中で、拉致問題について、だんだん世の中の関心が低下していくとともに、どんどん日本の世論が右傾化していくような気がして、何とかここで歯どめをかけないと、この問題が本当に「北方領土化」しちゃうんじゃないかと。そう危惧しているのです。

 北方領土はまだ島ですから、時間が経っても残っているでしょうけれど、拉致というのは、どんどん時間が経てば、被害者も家族も亡くなってしまうのは自然の摂理ですから、タイムリミットがあります。どうにかして突破口を開かなきゃいけない、そういう思いがあって、じゃあ、どうしたらいいんだろうか、ということをずっと考えていたわけです。

 昔、私は、「家族会」(*2)の事務局長という立場にあり、スポークスマン的な役割をしていて、どっちかというと体制寄りのことを言っていたわけです。しかし今、冷静になって考えてみると、今の家族会のやり方には疑問があるんですね。こう言うと、「おまえのとこは(弟家族が帰ってきて)、もう解決してるからだ」と言われます。しかし、他の被害者の問題が解決していない限りは、弟夫婦らも含めて、我々家族も自由な暮らしってできないわけですよ。喜んでいれば、「まだ(横田)めぐみちゃんがいるじゃないか」と言われますし、怒っていれば、「うれしくないのか」と言われます。じゃあ、黙っていようかと言うことになるわけです。

 実際、黙っているのが一番楽ですよ。しかし、今、この拉致問題解決のための運動が、おかしな方向に向いて突っ走っているというか。それにブレーキをかけてくれるような人が、声を挙げてくれる人がいれば、私はその人の後について行くとか、サポートするとかして、黙ってます。でも、それをやってくれる人がどこにもいないもどかしさというのがあって・・・。じゃあ、俺が言うしかないのかなと。それで、まず「本」を書くなりして、現状の方向性に異を唱えようかと思ったんです。

*1)2002年9月17日の日朝首脳会談…この日、小泉純一郎首相(当時)が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都平壌を訪問。金正日国防委員会委員長と会談した。この席で、北朝鮮側は日本人13人の拉致の事実を初めて認め、公式に謝罪。その後の交渉を経て、2002年10月15日に、蓮池透さんの弟・薫さんを含む拉致被害者5名の帰国が実現した。

*2)家族会…正式名称は「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」。拉致被害者の家族・親族らにより、1997年3月25日に結成された。

編集部 運動が変な方向性に向いているとは、具体的にどういうことでしょうか?

蓮池  今、一方的な議論だけが通っていて、多様な意見が全く通用しない、いわば思考停止状態になっているでしょう。それは、政府もそうだし、外務省もそうですし、家族会も支援団体の救う会(*3)もそう。みんな思考が停まっている状況で、それで、「制裁」「制裁」といって、どんどん時間が経ってしまっている。確かに「制裁」も一つの手段でしょう。しかし私は、「制裁は有効な手段ではない、拉致問題解決には効かない」というのはこの本にも書いた通り、歴史が証明していると思っています。でも「制裁」をし続けても効果が出ていないのは、「やるのが遅すぎたから」と言う人もいるし、「制裁が弱いからだ」と言う人もいる。だから「もっと強めろ」と。今はもうそういう論調になっていますよね。とにかく制裁以外の方法は考えようともしない、まさにそれは、思考が停止してると思うんです。

「制裁」を強めたときに、どういうメカニズムで、どういうシナリオで、どういうビジョンがあって、拉致被害者が帰ってくるのか? それを、国や家族会は持っているのか? と問いたいのです。彼らは、「締め上げれば泣きついてくる」と言うんですね。「ごめんなさい。被害者は還します」と。そんなことはあり得ないですよね。制裁じゃなくて、やはり交渉だろうと。コミュニケーションをとって、ネゴシエーションしなきゃ、どうにも動かないんじゃないか。

*3)救う会…正式名称は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」。1998年4月、結成。

●「9・17」以降に一変した日本の世論

蓮池 拉致事件が公式に認められた「9.17」の以前というのは、日本の世相、世論、メディアも国民も、ほとんどの人は北朝鮮を無視、あるいは無頓着、あるいはアンタッチャブルな存在だったわけですよね。ところが、「9.17」以降、急に北朝鮮に関心というか、興味を示し始めた。とにかく「拉致」は、けしからん、悪い国だと。この平和な日本の国土に、工作員が侵入してきて、善良な日本人をさらっていくなんて、けしからん、そういう反北運動みたいのがわーっと盛り上がって、一気にそういう世論ができてしまったわけです。で、それ以前のことは、すっぽりと抜けちゃってる。その前に日本が何をしてきたのかとか、過去に朝鮮半島にどういうふうな関与をしてきたかというのは、ほとんど議論されないままに、「9.17」以降、今があると思うんですね。

 じゃあ、北はどういうふうに考えているのか。要するに、北の視点というか、考え方というか、北の言動のバックグラウンドに何があるのかとか、そういうものを考えないと、一方的に、「9.17」以降の思考で、「おまえら、けしからん」と言って怒りをぶつけても、向こうには向こうの論理があるわけですから。昔のことと今と「ちゃらにする」というのは、まずいと思いますけど、昔のことは昔のこと、拉致は拉致ということで、ちゃんと両方考えながらやらないと、向こうとの交渉はうまくいかないんじゃないか。そういうことも、簡単にですが、まとめてこの本には、書きました。

 ところが、北朝鮮が核実験をやったり、ミサイル実験をやったりとかしてしまって、また世の中が強硬制裁一色になってしまっている。そうなると、自分の意見がますます言いづらくなってしまう。しかし私は、「核」と「ミサイル」と「拉致」は別問題だと思っています。北朝鮮の制裁について、国連の安保理決議が出て(*4)それを国連で日本の大使が、日米で一緒になって「強硬制裁を」と言っているあの姿を見て、なんかおかしいと感じていました。そして、日本は単独の追加制裁をやったわけですね。それで、「拉致」を後づけしたわけです。そうすると、家族会、救う会は喜ぶわけですよね。それは自分たちが主張していることですから。私は、この一連の流れを見ると、もう完全に便乗制裁だと思うんですよ。核と拉致とミサイルを包括的に解決すると言いますけど、それは聞いて美しい言葉かもしれないけど、これは単なる言いわけというか、ごまかしの表現のような気がする。核が解決したら自動的に拉致が解決するわけがないんですよね。その辺をよく考えてほしいなと思っています。

*4)国連の安保理決議が出て…2006年10月14日、国連安全保障理事会は、北朝鮮が同月9日に核実験を強行したことを非難し、核実験の中止や国際原子力機関への復帰を求めるとともに、北朝鮮に対する経済制裁を実施することを定めた「決議1718」を全会一致で採択した。

 制裁が解決に結びつかないどころか逆効果になる可能性があるということは、普通に考えれば、誰だって想像できると思います。だからずっと不思議でした。なぜ家族会や救う会は、拉致被害者を救出することを最優先にするはずなのに、これほどに捩れた主張ばかりを続けるのだろうと。もしかしたら自分の感性のほうがおかしいのかと思ったこともあります。

だから蓮池さんが書いた『拉致』を読んで、それ以前に蓮池さんが受けたインタビューも含めて、やっぱりそう感じる人が家族にもいたという意味では、とてもほっとしたし、主張にもほとんど同意できます。そして何よりも、これはある意味で内部告発になるわけですから、おそらく相当な決意が必要だったと思います。沈黙し続けたほうが楽でしょうから。その意味では、あえて意見を表明し続ける蓮池さんに、変な言い方だけど、僕はありがとうございますと言いたい。

そのうえでいくつか質問します。そのひとつめ。運動を続けながら蓮池さんは、この運動自体に少しずつ違和感を覚え始めたと記述されていますが、家族会には他に、同じような違和感を口にする方はいなかったんですか?

蓮池  残念ながら、いないんですよね。

 それが不思議なんですけど。

蓮池  いないんです。私のちょっと被害妄想かもしれないんですけどね、私が会議で意見を言っても、1人責められているようなところがあって・・・。

 かつて家族会の事務局長という要職に就き、副代表の時期もありましたよね。今はこれらの任からは解かれているわけですけど、運動の方向性への違和感を口にし始めたことで解かれたのか、あるいは蓮池さんが自発的に自分でおりたのか、どちらですか。

蓮池  弟が帰ってきて、子供たちが帰ってきた時に、一応、うちは片づいたというか、奪還したので、私は事務局長をやっている意味がないかもしれないという、そういう疑問を呈したら、「そう言わないでまだ続けてくれ」という意見があったんです。しかしその後、だんだんおまえの言うことには説得力がないとか言われるようにもなり、あと、増元照明さんが事務局長をやりたいとの意向を示したので、じゃあ、やめますと、どうぞ譲りますよと。別に私はその肩書きにしがみついてどうこうという話じゃないので、増元さんに譲りました。

 今は蓮池さんから家族会に連絡することはありますか?

蓮池  とらないですね。

 連絡が来ることは?

蓮池  山崎拓さんの話を聞きに行ったとき(*6)、電話がかかってきましたけど。あれは、おととしの正月ぐらいですから、丸2年半ぐらいは電話ないですね。

*6)山崎拓さんの話を聞きに行ったとき…2007年1月、元自民党副総裁の山崎拓氏が「議員外交の一環」として北朝鮮を訪問。「(北朝鮮に対しては圧力で臨むという)政府の方針に反する」などとして、政府内からも批判が相次いだ。蓮池さんは山崎氏の帰国後に同氏と会談している。

 増元さんだけじゃなくて、家族会関係からは全然?

蓮池  来ないですね。

 救う会からは?

蓮池  全然ないですよ。

 蓮池薫さんに対しても同じですか?

蓮池  弟には、たまにあるようです。弟は、断絶はしないけど、一定の距離を置いておく、そんなやり方をやってますし、被害者ではありますが、家族会の一員ではないですからね。

●言論封鎖は、解決への糸口を消している

編集部  拉致問題が、7年経ってもちっとも進展がないどころか、迷走を続け硬直状態に陥っているように見えます。なんでここまで こじれているんでしょうか?

 硬直状態のひとつの要因は、家族会のプレゼンスと今のこの世相にあります。例えばこの4月25日、田原総一朗さんが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で、「横田めぐみさんと有本恵子さんはもう死んでいる可能性がある」と発言しました。これに怒った家族会と救う会は、田原さんとテレビ朝日社長宛に抗議文を送りつけ、さらにBPO(放送倫理・番組向上機構)に提起しました。そのときの抗議文では、田原さんが『世界』(岩波書店)に書いた「北朝鮮側が“死亡した”と発表した8人を“生きている”と主張している日本側に無理があるのではないか。(略)私は、いつまでも頑迷にフィクションの部分にこだわって圧力一辺倒をつづけるのではなく、現実的な交渉をすすめるべきだと思う」との記述に対しても、「著しい人命軽視であり、家族と多くの国民の気持ちを踏みにじるものだ」と強く批判しています。

 もちろん、拉致されたとする8人が今は生きているか死んでいるか、それは現状ではわかりません。家族としては、まだ生きているし救出を待っていると思いたい。親族としては当然です。死んでいるなどと他人が不用意に口にすべきじゃない。それはまず、たしなみとして当たり前。でも同時に、何万人もの人の命がかかっている北東アジアの安全保障を考えるうえで、拉致問題がとても重要なイシューになっている現状を考えれば、たしなみより優先される順位があることは当然です。つまり、いかなる言論や主張も、封殺されるべきではない。

 蓮池さんが指摘するように、核とミサイルと拉致は同一平面のイシューではない。それぞれ位相はまったく違います。核実験や頻発する最近のミサイル発射実験など、今の北朝鮮の対外的な強硬姿勢の背景には、この7年間の拉致問題をめぐる日本と北朝鮮とのこじれた位相が働いていることは明らかです。
 その意味では、拉致問題は絶対に風化させてはいけない問題です。でもその提起と解決の方向性は、政府広報のポスター「私たちは忘れない」式の、北朝鮮への憎悪をセットにした形ではなく、もっと冷静に、他のイシューへの影響や優先順位なども考えながら、考察されなければいけない。

 田原さんが「めぐみさんはもう生きていない」という情報を入手したと主張するのであれば、「人命軽視」とか「踏みにじる」などの情緒的な語彙で反駁するのではなく、情報の出自や検証も含めての論議が、まずはあるべきです。ところが発言と同時に「謝れ」。しかも世相もこれを後押しする。だからメディアはさらに萎縮する。多様な視点が消えてしまう。家族会や救う会、さらには拉致運動そのものが聖域化されてしまう。そんな悪循環がもうずっと、この社会に醸成されてきたことは確かです。

●政府の方針に従わない意見は、認められないとする「言論封殺」

蓮池  テレビ朝日の一件については、田原さんみたいな影響力のある人がそういうことを言うと、死んでいなくてもまるで死んだことになっちゃうからだめだと。死んだということは、日本政府の方針と違う。だから、けしからんと言うことなのでしょう。

 そういうロジックなんですか?

蓮池  日本政府は、全員生存を前提に救出活動をやっている。それを全く否定するようなことを、影響力のある人が言うのは、絶対にまずいと。

 政府の方針と違うから言っちゃいけない、言わせてはいけないというのなら、これはまさに「言論封殺」です。もう一度言うけれど、人としてのたしなみや配慮はもちろん大切です。でも拉致問題が北東アジアの安全保障を考えるうえで重要なイシューになっている現状において、たしなみや配慮の次元に必要以上にこだわるべきではない。それは家族会としても覚悟せねばならない。

蓮池  田原さんもテレ朝も一度謝罪して、手紙でも謝って、さらに番組でテレ朝のアナウンサーと田原さんが釈明しているんですけど、それでも家族会は気に入らないと。テレ朝関係者と家族会はじかに会って話し合いを持っているんですよ。それでも納得いかんから、BPOに訴えた。

 何度も謝罪をしてる。でも家族会は納得しない。すでに論理の位相ではないからだと思います。

蓮池  確かに家族からみたら、亡くなったと言われれば、感情的にそれはおもしろくないし、単に悪かったと言われても済む話じゃない、と言われればそうかもしれない。しかし、田原さんも何らかの情報源はあるんだとおっしゃっていたわけで、それは言えないということも、いち取材者としては成り立つわけですよね。

●メディアの萎縮

 ただし家族会が感情的になることは、当然だと思う。だって彼らは当事者ですから。冷静になれないことはある意味で当たり前です。問題は彼らが抱くこの感情的な領域が、メディアや政府、そして社会という非当事者に、そのまま感染してしまっていることです。しかも社会が抱くこの共感には、愛する家族を突然失ったという悲嘆や苦しみが、実のところは欠けている。あくまでも想像の領域です。つまりリアルではない。だからこそ表層にある北朝鮮への応報感情ばかりが突出する。これは死刑制度存置を8割以上の国民が支持するという、今のこの国の状況にも共通しています。

 当事者である家族会が感情的になることは当たり前であるけれど、でも同時に僕は家族会が表明するその感情の回路が、何となく不自然だという感覚をずっと持っています。言葉を選ばなければいけないところだけど、何らかのバイアスが働いているような気がして仕方がない。
 たとえば経済制裁。もしも政府がそんな方針を決めたとして、それに対して「制裁などされたら逆に殺される」と家族会が反対するという構図ならば、まだわかる。でも現実には反対です。家族会と救う会が「強攻策をとれ」と世相をリードしている。それがずっと不思議でした。

 2002年の小泉首相訪朝以降、違和感や不自然なことはたくさんありました。特にめぐみさんの遺骨のDNA鑑定あたりから、「経済制裁」を主張する声がとても強くなってきた。このDNA鑑定も、実はとても疑惑だらけの鑑定だった。これについては、また後で述べます。とにかく拉致問題は、混迷するばかりでこの七年、ほとんど進展しなかった。

 この七年を振り返ります。まずは蓮池さんも書いているように、拉致問題について政府とメディアが、完全に萎縮した時代がありました。例えば、2003年、『週刊朝日』が一部の拉致被害者のインタビューを掲載したとき、掲載しないという約束だったと抗議されて大騒ぎになった。最終的に編集長は降板して、副編集長は違う部署に飛ばされた。謝罪文も一ページ載せています。とても過剰な対応です。なぜここまでするのだろうと思って副編集長に連絡したら、「“虎の尾”を踏みました」との言葉が返ってきました。
 あるいはその前年、『週刊金曜日』が平壌で曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんへの独占インタビューを敢行したとき、これも政府と家族会の方針に背いたということで、凄まじい批判を受けました。取材をすれば叩かれる。とても異常な事態です。

 そもそも最初に5人の拉致被害者が帰ってきたとき、メディアスクラムはいけないから被害者への取材のルールを決めようとの声が、メディア内部にいきなり提起されました。
 メディアの一極集中的な取材が、あまりに常軌を逸していることは確かです。これを自覚して是正することは悪いことじゃない。でもあのときは、なぜかいきなり、とってつけたように自主規制的な雰囲気が強くなった。救う会からの強硬な申し入れが、背景にあったようです。要するにこの段階からすでに、メディアはある意味で牛耳られていた。そしてこれ以降、ずっと自粛状態が続いています。
 つまり拉致問題の聖域化です。「虎の尾」にしてしまった責任の8割は、メディアにあると僕は考えます。

 

その2へつづく

蓮池透さんと森達也さんは、今回が初めての対談となりました。
対談後、これを機会に、二人でいろいろな場所に出かけていき、議論を広げていきた
いとお話されていました。そして、このお二人による講演と対談が、
8月22日(土)熊本にて、行なわれます。
詳しくは、「お知らせメモ」をご覧ください。

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