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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』(13)

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

「こわい」は怖い

 だいぶん前に、「怖がる人たち」とかいう映画があった。かなり、おどろおどろしい場面ばかりだったと思う。
 サスペンスが必要な映画だから、無理もないし、面白かった。

 ところが、近頃は、現実に、「怖がる人たち」がやたらと増えてきた。それも、見当違いに、怖じ気づく人が多くなった。
 ぼくが生業とする医療では、もはや大多数だ。

 子どもが熱をだしたりすると、たとえ元気でも、なにか「こわい病気」ではないかと心配になる。そして、その心配に耐えきれず、すぐさま医者に駆けつける。
 医者のほうも、親の心配をなだめるためと、いや、それよりも責任を問われないよう「念のために」と、薬を処方する。

 幸い大した病気ではないとなると、次は「うつる病気」かどうかが気になる。「うつる病気」なら、ほかの子からは隔離しなければいけない。うつしては悪いと思うのだ。
 そして、この場合は、医者のほうが熱心。絶対に他の子どもと接触させてはならぬと命じる。

 そんな心情は、いかに呑気なぼくでも、分からないではない。
 それが偽らない親心だし、医者の使命感でもあるだろう。

 だが、皮肉なことに、「こわがり」は、かえって「こわい」事態を招きかねない。もちろん、度を過ごせばの話だけれど。

 早い話、軽くてひとりでに治る病気なのに、薬を飲ませるとすれば、およそ薬の害を与えるだけだ。
 「うつる病気」も、特別に重いものはともかく、避けるばかりしていると、そのうちに、むしろひどくやられることが多い。「うつる病気」の大半は、幼いうちにかかったほうが軽く、大きくなればなるほど重くなりがちだからだ。

 そのほか、子どもに対する犯罪も、いささか「こわがられ」過ぎている感を否めない。GPSを使って居場所を常に把握しようとするのは、子どもから行動の自由を奪うことに通じる。それでいて、その端末を付けているランドセルなどを身から離せば、効能もなくなってしまう。
 だからといって、親たちがいつも送り迎えをしていたら、ますます子どもの自由を奪うことになるだろう。
 それに、そもそも、殺害のような凶悪犯罪は、路上より家庭内のほうが多いというではないか。

 そういえば、古代ギリシャの哲学者が、満天の星空を眺め、流星が頭に落ちてくるのが心配のあまり、上ばかり見ていて、ドブに落ちて死んでしまったという故事がある。
 日本でも、かつて「アカ」がこわい、米英人は「鬼畜」だといって、戦争をしかけ、散々な目にあった苦い体験がある。
 そんなテツは踏みたくないものだ。

必要以上にいろんなことが「こわい」のは、
何が本当に「こわい」のかを察知する本能が、
現代の私たちからは失われつつあるということなのかも?
みなさんのご意見もお聞かせください。
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