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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』(15)

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

精神的勝利法

 「精神的勝利法」とは、植民地時代の中国の作家魯迅が主著「阿Q正伝」で戯画化した民衆の処世術だ。

 それは、端的にいって、地主や軍閥や外国の支配と搾取に対し、真っ向から闘いを挑めない民衆が、自らを慰め、プライドを維持するために、ひねりだした「ごまかし」の方法にほかならない。

 その核になっているのは、どうやら「自分は、ほんとは、偉いのだ」という思いなしにあるらしい。
 自分にそう言い聞かすことで、軽蔑され罵倒されても、なんとか我慢ができる。

 ところが、口惜しいことに、その自尊は、まま揺るがされてしまう。
 公衆の面前で完膚無きまで叩きのめされでもすれば、とてもじゃないが、「自分は偉い」とは思いなせない。

 だが、そんなときは、屈辱を「我慢できている」自分は「偉い」と思えばよい。
 あるいは、ダメな「自分を軽蔑できる」のは、大したものだと思えばよい。

 それでも気が治まらなければ、「こんな世の中なっとらん」と悲憤慷慨する手がある。ひとりでは物足りなければ、同じく悲憤慷慨している者どもと愚痴を言い交わせば、なにがしかは、強いヤツどもを「やっつけた気になれる」。

 それでもなお気が治まらなければ、「自分より弱い者をやっつける」という手がある。 男なら少女、親なら子ども、教師なら生徒に、嫌がらせをしたり、暴力をふるえば、自分は「強い」と思うことができる。

 それほどの勇気もなければ、「有名人と知り合い」になるという手もある。
 実際に知り合いになれなくても、熱烈なファンになればよい。そのことで、自分まで有名になったような気分に浸れる。

 とにかく、こうした「精神的勝利法」は、どれも、なかなかに狡猾。
 これらを巧みに使えば、「意気軒昂」でいることができそうだ。

 しかし、しかしだ。それでは現実は一向に変わらない。
 個々人の「意気軒昂」も、およそ、その場限り。長続きするはずもない。

 魯迅が「ごまかし」と喝破した「精神的勝利法」が、今の日本にも蔓延していなければよいのだが...。

事態に立ち向かう困難を避けて、「精神的勝利」に逃げ込むことで、
もっと大きな問題を先送りにしてしまってはいないか…
自戒を込めて、ちょっと立ち止まって考えてみたいものです。
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