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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

強さへの憧れ

 国会で、首相が「強い国を目指す」といった。

 飲み屋で、それに感激している男と隣り合わせた。目を輝かせている。まだ三十台のサラリーマンとみえた。

 首相といえば、あの「自民党をぶっつぶす」とタンカを切ったお方の人気も、まだ相当らしい。
 井戸端会議で、「あの人にやってほしいわね」とうなずきあっている若い母親たちがいた。

 もしかすると、いま、「強いこと」への憧れが、堰を切ってあふれ出そうとしているのかもしれない。いや、もう、あふれ出ているのではないか。

 例の、スポーツの国際大会で、選手の父親が、轟くような大声で「コンジョウだぁぁぁ」と叫んでいる姿が、その典型的な風景だ。 もちろん、スポーツだから、「強さ」を競うのはよい。だが、「勝つ」ことばかりに執着し、それも「コンジョウ」で成し遂げようとするのは、なんとも、みっともない。

 スポーツ以外の身近なことでも、或る自然体験の合宿で、中学生たちの寄せ書きに、「根性」と「力」というのが少なくなかったのに驚いたことがある。みんな男の子だったので、たぶん親からそういう価値観を吹き込まれているのだろう。

 そういえば、ちかごろ、「力」をタイトルにした本がやたら多いのも気になる。例外はあるが、その大半が「強いこと」を意味しているからだ。
 「勝ち組」「負け組」という流行り言葉だって、そんな「強さ」のニュアンスで語られている。

 それやこれや、いまは、どうも、おおかたの人が、自信をなくしはじめているかのようだ。
 それどころか、ウカウカしていると、落ちこぼれてしまうという恐怖に捕らわれているかのようでもある。
 そのために、表向きだけでも、「強さ」を誇示しようとしているのではなかろうか。

 たとえば、「コンジョウ」を叫ぶのは、皮肉にも、それだけ根性が欠けていることを告白するものだ。
 他人をけなすばかりしたり、「オレが、オレが」を連発する御仁にかぎって、内心は劣等感に焦っている。
 そんな威勢のよい真似などできない向きは、「偉い人」とか有力な組織とかに身を寄せて、自信の代行をしてもらう。

 こうした風潮は、なんとも、辛く、みじめだ。
 である以上、「強さ」への憧れは、いい加減にしておいたほうがよさそうだ。
 だいいち、そうしないと、ますます、みじめになりかねないことは、もう、だれの目にも明らかなのではないか。

「もっと強い人に首相になってもらいたい」とか
「強い人に投票します」などは、
街頭インタビューでよく聞くコメントです。
この場合の「強い」は、何を意味しているのでしょうか? 
私たちひとり一人も「強い」という言葉を使うときには
注意深くなっていないと、
危ういことになりそうです。
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