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こども医者毛利子来の『狸穴から』:バックナンバーへ

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「マガジン9条」の発起人の1人でもある小児科医、「たぬき先生」こと毛利子来先生。
お仕事や暮らしの中で感じた諸々、文化のあり方や人間の生き方について、
ちょっぴり辛口に綴るエッセイです。

こども医者毛利子来の『狸穴から』

もうり・たねき(小児科医) 1929年生まれ.岡山医科大学卒業。東京の原宿で小児科医院開業。子どもと親の立場からの社会的な発言・活動も多い。「ワクチントーク全国」元代表、「ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議」元副代表などを経て、現在は雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集代表、『マガジン9条』発起人などを務める。著書に『ひとりひとりのお産と育児の本』(1987,毎日出版文化賞)、『赤ちゃんのいる暮らし』、『幼い子のいる暮らし』などがある。最近は、友人でもある小児科医・山田真氏との共著である『育育児典』(岩波書店)が、評判を読んでいる。HP「たぬき先生のお部屋」

【最終回のご挨拶】

 たいへん勝手だが、この「狸穴から」は、今回をもって終わりにさせてもらう。

 ほんとは、もっと続けたいのだが、穴に籠もっている狸としては、おこがましい気がしてならない。

 それに、化かしを生業とする狸には、だらだらと続けるのはみっともない、という美意識がある。

 そこにもってきて、単行本を書き下ろせとの天命が降下した。テーマが狸のツボを突いてきたので、それに全力を傾けたくなってしまった。

 そんなわけで、唐突に最終回とはなるが、ドロンは狸のお家芸。お許しあれ。

歴史のスケール

 「熱しやすく冷めやすい」のが日本人の特性だという。
 たしかに、そんな例はたくさんある。
 大きなことでは、太平洋戦争に身も心も入れあげ、負けたとたんにエゴにこもった。
 卑近なことでは、オイルショックのときにトイレットペーパー騒動を起こし、大腸菌O-157事件ではパニックになったが、いずれも、ものの1、2年で鎮まっている。

 だが、一方で、「同じことを長く続ける」という性分も、日本人には備わっているかのようだ。
 あの徳川300年の治世がその典型だろうが、もっと驚異的なのは天皇制なのかもしれない。神話のレベルから朝廷の時代、明治憲法の時代を経て、今日の象徴天皇に至るまで、天皇への敬愛の念には根強いものがある。 

 とすると、「日本人の特性」なるものは、さほど単純には決めつけられそうにない。
 むしろ、日本の出来事を日本人の特性だけで説明しようとすると、とんでもない見当違いを犯しそうだ。

 ただ、そうはいっても、日本人は、どうも、自分から世の中を変える気概と実行力に乏しいような気がしてならない。
 少なくとも日本の民衆には、その傾向が強いのではないか。

 日本が近代化の道を歩みはじめた明治維新からして、黒船による外圧と侍たちの画策で「なし崩し」に行われた。開明的な一部の市民の支援はあったが、幾百万の民衆の行動によってもたらされたわけではない。つまりは「革命」ではなかったのだ。
 太平洋戦争後の「民主主義」にしても、占領軍によって与えられた。民衆が、自分たちの力で勝ち取ったものではない。そのことで、根の深い民主主義にはなっていない。

 もちろん、そんな日本の民衆も、不甲斐ないばかりではなかった。
 明治になっても、圧政に抗しての百姓一揆は散発していたし、貧困にあえぐ主婦による米騒動も起きている。
 太平洋戦争後は、めぼしいだけでも、政権を揺るがす60年安保闘争があったし、市民が主体になったベトナム反戦運動や学生による全共闘運動もあった。

 ところが、ことの是非にかかわらず、いずれも限定的または自滅的。目に見える成果をあげずに挫折している。
 さらに、その後遺症からか、闘争とか運動に対する自信と期待までもが、しぼんでしまったかのようにみえる。

 だが、しかし、こうした経験は、そう簡単に消え去るものではなかろう。
 それらは、魂を揺るがすほど激しかっただけに、民衆の奥底に沈潜して、今なお息づいているにちがいない。

 それに、そもそも、闘争とか運動は、起こそうとして起きるものではない。やむにやまれぬ窮状に突き動かされて、底辺から吹き出てくるものだ。
 そして、そうした窮状は、今まさに日本の民衆を覆っている。いきおい、底辺からの必死の闘争も吹き出しはじめている。

 しかも、今は、「新自由主義」に端的に露呈した資本主義のあり方が土台から崩れかけている。
 これからは、新しい経済社会の構造が模索され始めるにちがいない。

 このように状況を辿ってくると、歴史というものは、相当に長い目で見る必要がありそうだ。とりわけ、民衆の側からは、歴史は、ロングスパンで捉えたほうがよさそうだ。

 とするならば、その時その場の出来事で、一喜一憂するのは、なんとも、つまらない。 どんなに展望がなさそうでも、スケールを大きくとれば、そのうちには、かなりの変化を遂げるはずだからだ。
 ちなみに、明治初期に自由民権運動が掲げた主張は、当時としては空想に近かったが、100年以上も経った今では、主権在民の原則をはじめ女性の参政権や労働者のストライキ権など、そのほとんどが、曲がりなりにも、実現されている。

 そうであるからには、どんな事態にあろうとも、決して、諦めてはなるまい。
 たとえ細々とでも、なすべきと思うことは、諦めずに、続けて行くにかぎる。
 そうした根気によってこそ、やがては、民衆の手による変化を勝ち取ることができるはずなのだ。

 幸か不幸か、今は、まさに、そのひとつのチャンス。
 経済社会構造の根本的な変動の時期を迎えている今こそ、大いなる希望を持って、行動を強めていきたいものではある。

「何をやっても変わらないから」と絶望せず、
細々とでも続けていくことが変化をもたらす。
後から振り返れば、今こそが「変化のとき」なのかも。
たぬき先生、1年間どうもありがとうございました!
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