今週の「マガジン9」

 4年前のこの日、私は東京・中央区にある職場から大手町を抜けて皇居を迂回し、日本武道館や靖国神社を横目に靖国通りを新宿方面に向かって歩いていました。後に「帰宅難民」と呼ばれる流れのなかにいたのです。

 震度5強のレベルの地震により通勤電車はストップし、徒歩での帰宅となった「難民」たちには、どこか非日常を楽しむ面も見受けられました。地震に慣れた国民ゆえかもしれません。しかし、そんな余裕も、東北地方を襲った巨大な津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故のニュースを知らされるまでのこと。私は自らの認識の甘さを恥じました。

 翌日、首都圏では流通網の寸断により、ミネラルウォーターや牛乳、バター、即席麺などが買い占めによってスーパーの棚から消えました。公共交通もすぐには回復せず、電力供給が不安定になり、街灯は一本置きに光を消し、自動販売機の消灯も検討され始めます。

 私はこの不自由さにショックを受けました。日常生活に不便が生じたことに、ではありません。自分の生活のほとんどが自分以外のものに依存しているという事実に、です。

 自然災害に見舞われたら、自分で食べるものを調達することができない、非常時に自分の周りを見渡してみたら、互いに助け合える隣人がいない、原発が事故を起こせば、それを制御できずに立ちすくむしかない……。

 ほどなくしてマスメディアは「がんばろう、にっぽん」「日本の力を信じている」と連呼を始めました。それらの言葉は、私には、被災者の方々への連帯の表明というよりも、大震災によってショックを受けた首都圏の住民が自らを慰め、励ましているように聞こえました。

 バリバリ働く優秀なビジネスマンが集まったところでは「共生」よりも「競争」の原理が働きます。東日本大震災後に「絆」の大切さが訴えられたのは、世の中のいわゆる「勝ち組」が、自分たちは実はバラバラで「寂しい」存在であることを思い知らされた反動だったように思えるのです。

 ところが時が経つにつれて、私たちの多くは、あのとき痛感したおのれの弱さを忘れつつあるように見えます。

 しかし、「3・11の前と後では同じような生き方はできない」と思った人は少なくないはず。とはいえ「明日からどんな暮らしをしたらいいか」と問われても、「このままでいいのだろうか」と思いつつ、答えが出せない自分がいる。

 そんな模索の中に、いまも私たちはいるのではないでしょうか。

(芳地隆之)

 

  

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