今週の「マガジン9」

 衆院憲法審査会で自らが招聘した学者が安保法制を違憲とすると、「なんであんな学者を呼んだのだ」と相手に失礼なことを言って、「合憲だという学者はたくさんいる」と述べ、学者の名前をたくさん挙げられないことを指摘されると、「数ではない」と開き直り、元内閣法制局長官が「安保法案は違憲」と述べれば、「憲法についての最高の判断機関は憲法学者や内閣法制局でなく最高裁だ」と反論し、元最高裁長官が違憲だとの見解を示せば、「最高裁長官を経験した方が少数意見を書くこともある」と言ってのける。

 こういう言動の数々は、国民に対して極めて不誠実なものであり傲慢でもあり、政治に関心がない「普通の人たち」にとっても、不信感や怒りを抱かせるものです。

「ラブソングを歌えば、失恋はなくなるのか」――これは雑誌『ロッキング・オン』の編集長、渋谷陽一氏が同誌のコラムに書いた言葉でした。数十年も前のことなので、記憶が曖昧で申し訳ないのですが、話の発端は、読者が「(映画や音楽で)政治をテーマに取り上げるべきではない、政治を変えたいのであれば選挙権を行使すればよい」といった趣旨を述べたことへの反論だったと思います。

 芸術の作り手は自分の関心に忠実であるべきであり、それが恋愛であっても、政治であっても、違いはない。そもそも、その論理に従えば、「ラブソングをいくら歌っても、失恋はなくならないのだから、ラブソングは歌うべきではない」というようなものだ――渋谷氏はそんなふうに続けました。

 当時は、政治は私たちの生活とは離れた次元の違うことという思いが多数派だったのでしょう。現在、連日国会議事堂前をはじめ、全国各地で行われている安保法制反対のデモは、いまこの国で行われている政治が、自分たちの生活と密接につながり、しかもそれが危険であることを多くの人々が察知している証だと思うのです。

 15日に行われた中央公聴会には、SEALDsの奥田愛基さんが公述人として意見を述べました。「国会前の巨大な群像の一人として、国会に来ている」と語った奥田さんは、「たしかに若者は政治的に無関心といわれています。しかしながら現在の政治的状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか」「この法案が強行に採決されるようなことがあれば、国会前は人であふれかえるでしょう。次の選挙にも影響を与えるでしょう。私たちは決して、今の政治家の発言や態度を忘れません。3連休を挟めば忘れるなんて国民を馬鹿にしないでください。むしろそこからまた始まっていくのです」

 大学4年生の彼の発言は、一人の特別な若者の意見というわけではなく、ごく普通の感覚を持った今の時代の代弁者、そう感じています。

 ジョン・レノンの『平和をわれらに』を若い世代が口ずさむことの意味を現政権が過小評価すると、手痛いしっぺ返しを受ける気がします。そのときになって彼らは知るのです。政治がラブソングのように歌われるようになった世の中の変化の意味を。

(芳地隆之・水島さつき)

 

  

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