今週の「マガジン9」

 ザッツライフ――。

 ニューヨークの貿易センタービルならびにワシントンにあるペンタゴンにハイジャックされた旅客機が突っ込むという衝撃的な事件の起こった翌日、2001年9月12日の朝。当時、家族とベルリンに住んでいた私は、アメリカ人の保育士さんが働く幼稚園に子どもを預ける際、そのなかの一人の女性にお悔やみの言葉を述べました。すると冒頭の言葉が返ってきたのです。憤りでも悲しみでも絶望でもない、どこか諦観したようなトーン。

 人生なんてそんなものよ――。

 テロ事件に慣れている国民性だからなのだろうか、と私は思ったのですが、米国史上初めて本土が直接攻撃されたことに衝撃を受けたブッシュ政権下の同国はにわかに好戦性を帯び、それがアフガニスタン、イラクへの爆撃へとつながっていきました。

 あれから15年が経った現在、パリで、ブリュッセルで、テロが日常のようになった世界に私たちは住んでいます。

 その原因についてここで言及するつもりはありません。「テロとは持たざる者による持てる者への攻撃」としばしば言われるところですが、私には、貧富の格差に加えて、「居場所のない人間が居場所のある人間をターゲットにすることで、世界中の人々から居場所を奪おうとする行為」のような気がしています。とすれば、すべての人々が居場所をもてるような世界を私たちは目指していくしかないのでしょうが、どうすれば実現に近づくのか。

 ザッツライフ――。

 私たちの日常はテロから逃れられない。その現実を直視することからしか、私たちは出発できないのかもしれません。

 数日前、 パキスタン東部ラホールの遊園地で自爆テロが起き、死者が少なくとも72人、負傷者が300人を超えたというニュースに接した際、その事実にさほど驚かない自分がいました。またかと聞き流していたのでしょう。それは諦観でなく、己の感覚が鈍化している証であり、それに気づいて空恐ろしい気持ちになったとき、日本では集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が施行されました。

 国民の生活を守るためと政府が主張する同法が、世界に拡散するテロへの抑止力になるのか。私には現実とかけ離れたものに思えてなりません。

(芳地隆之)

 

  

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