今週の「マガジン9」

 先日、国連総会で採択された核兵器禁止条約の制定に向けた交渉を来年始めるという決議に、日本は反対しました(123カ国が賛成、38カ国が反対)。

 「唯一の被爆国」という表現は使い古された感があり、用いることは憚られるのですが、毎年8月6日、9日に核廃絶の願いを世界に向けて発信している国として、どうしてこの判断なのか。

 核保有国は軒並み反対、もしくは棄権しています。うち米国の主張は、「核の抑止力に基礎を置く国際安全保障のバランスが崩れる」というものです。日本はそれに同調。北朝鮮による核実験も後押しになっているのでしょう。

 平和主義を国是として掲げる日本が、今回のような判断をせざるをえないとき、えてして使われる話法は、「国際情勢が〇〇だからやむをえない」といったものです。しかし、本当に「やむをえない」のか。

 加藤陽子著『戦争まで』(朝日出版社)は、「歴史を決めた交渉と日本の失敗」(副題)として、リットン報告書、日独伊三国軍事同盟、ハルノートの3つを挙げています。うち、リットン報告書とハルノートは日本に突きつけた最後通牒であり、前者は「国連脱退」、後者は「対米戦争」を「やむなし」と思わせた――というのが多くの日本人の歴史観ですが、同書は、リットン報告書は満州事変から満州国設立にいたる動きを歴史的背景も踏まえてリポートしており、日中双方による交渉を提案していたこと、ハルノートの執筆者であるコーデル・ハル米国務長官は、最後まで戦争回避を模索していたことを多くの資料から明らかにしていきます。

 『戦争まで』をこの場で取り上げたのは、冒頭の核兵器禁止条約の制定に向けた交渉への日本政府の反対は、本当に「やむなし」の判断だったのか、を疑ってかかる必要があると思うからです。

 そもそも「やむなし」は、「(アベノミクス)この道しかない」といった文言同様、「思考停止」と等しくないか。考えうる限りの事態を想定し、知恵を絞って解決策を模索する、といった行為をあっけらかんと否定してしまうような響きがするのです。

 「やむなし」という言葉を聞いたら、眉につばをつけながら、「ちょっと待てよ」と立ち止まってみましょう。

(芳地隆之)

 

  

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