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週間つぶやき日記

第二十五回

081203up

11月28日(金)

リーダーが不在の国の冬厳し

 久しぶりの党首討論が国会で行われた。録画しておいたものを、夜、帰宅してから観た。あくびが出た。この原稿を書くために観たのだが、録画する価値などまるでなかった。
 なんだろう、この緊張感のなさは。話がまるで噛み合わない。論理は一応、小沢一郎民主党代表のほうが通っている。だが逃げまくる麻生太郎首相から、きちんとした答えを引き出せない。

 「政局よりも政策。その政策もスピードが第一と麻生首相はおっしゃる。ならば、この経済危機においては、とにかく早く第2次補正予算案を国会へ提出して危機を乗り越えるのが筋じゃないか」
 「年末の中小企業などの資金繰りは、第1次補正で間に合っている。このところの貸し出しは、1日1千億円を越えている。これでなんとか年末は乗り越えられるはずだ」
 「それなら、他の経済対策は必要ないのか」
 「それについては、年明けにきちんとした形で2次補正案を提出する。審議拒否などしないでいただきたい」
 「2次補正が来年ということなら、いま解散総選挙できるじゃないか。12月中になぜ解散しないのか」
 「いまは、百年に1度の経済危機。選挙による政治空白を作っていいような状況ではない」
 「来年まで補正予算案を出さないなら、それこそが政治空白ではないか。解散しないなら、第2次補正予算案をいますぐ国会に提出すべきだ」
 「2次補正は、来年早々に出すと再三申し上げている」

 ただただ、同じやりとりの繰り返し。最後に付け足しのように「首相の言葉の軽さ」について小沢氏が触れた以外は、これ以外のテーマはまったく出ない。リクツは小沢氏に軍配が上がるけれど、まるで緊張感がない。麻生首相は、失言を警戒してペーパーを見ながらの慎重答弁に終始した。
 相手がああ言えばこう答える。紙の上に書かれているとおりの受け答えなのだから、会話など成立するわけもない。
 小沢代表も、2次補正案という1点しか考えていなかったのか、ほかのテーマには踏み込まない。あげく、討論時間がまだ終了していないのに、「もう時間もないようですので、これで終わりますが…」と言って終わりかけ、身内の奥村役員室長に「まだ時間は残っていますが」と質問を促される始末。なんとも情けない党首討論だった。
 なぜ小沢氏は、山積みされている諸問題に踏み込まなかったのか。討論に自信がなかったのか。資料収集を怠ったのか。ボロが出るのを恐れたのか。

 「年金」「地方交付税・交付金」「定額給付金」「医者不足と医療制度」「郵政会社」「後期高齢者医療制度」「介護保険」「非正規社員」「経済危機対策」「中小企業への貸し渋り」「経済危機に伴う失業者増大」…。闘わされるべき問題は、ほんとうに山のようにあったではないか。
 特に、不況と円高のダブルパンチによる大企業の生産調整、それに伴う派遣社員や期間工など非正規労働者の大量解雇が目立ち始めたことなどを、なぜ小沢氏は追及しなかったのか。
すでに職を失った人々がこれほどいる現状を、まさか知らないわけではあるまい。それを防ぐための具体的な政策を、それぞれの党が作ってその正否を闘わせる。なぜそういう討論が、私たちの国では成立しないのか。
さらに、これからの日本は世界の中でどういう位置を占めればいいのか、そのためには何を世界に向けて提案していけばいいのか。それこそ百年に一度といわれる危機のときに、国際的な展望が何ひとつ語られない。聞いていてあくびが出てしまうのは、当然ではないか。
 残念ながら、現在の日本における政治リーダーのふたりには、切実な街の声を政策に生かす心積もりも、世界へ向けての発信能力も、ほとんどないことが露呈した党首討論だったのだ。

 オバマとマケインの討論は、アメリカを、そして世界をどう建て直していくか、という闘いだった。どちらが正しいか、政策立案能力はどちらが上か、それは実現可能か、どちらがより具体的か、未来への展望・希望を体現しているのはどちらか…。
 少なくとも、それらの論争はアメリカ国民の耳に届いた。投票率の驚くほどの上昇が、それを示している。
 だが、日本はどうか。
 こんな程度の党首討論が投票率向上につながるとは、とうてい思えない。言葉が国民に届いてはいない…。

11月月30日(日)

この世界 驚きと恐怖に満ちていて

 カレンダーを見て、えっと思った。もう11月が終わる。明日から12月、師走だ。なんとも月日の経つのは早い。
 「歳を取ると時間は速く過ぎ去る。60歳の人間にとって1年は人生の60分の1にすぎないが、10歳の子どもにとっては1年は人生の10分の1である。子どもの時間と大人に時間は、それほどに違う」と誰かが言っていたけれど、私にもその感覚はよく分かる。そういう年齢になったのだ…。
 あるとき、そんなことを言ったら、毛利子来先生に叱られた。
 「そんなことはないよ。することがたくさんあれば、懸命に生きていれば、時間はゆっくり過ぎる。何もしなければ、寝て起きるだけ。気づかないうちに時間が過ぎてしまうんだ」
 うーん、そうですよね。
 それから私も、いろんなことをして、いろんなものを見て、少しだけ仕事をして、緩やかな時間を感じるように努めている。
 でも、もう師走かあ…。

 「世界は驚きと喜びに満ちている」と言ったのはシェークスピアだったか? しかしいま、「世界は驚きと恐怖に満ちている」と言い換えなければならない。
 日本では、“厚生省元幹部へのテロ”か、と騒がれた事件の容疑者のどうにもよく分からぬ動機に、メディアも専門家も思考停止状態に陥っている。
 そんなとき、今度はインドでの壮絶な大規模テロ襲撃。ふたつの最高級ホテルが狙われた。ターゲットは主に英米人だったようだが、日本人まで巻き込まれて死亡した。
 声明などから“イスラム過激派”の犯行ということらしいが、ここでも主な標的はアメリカだった。そして、日本はそれの巻き添えを食う。なんだかいつも同じみたいだ。
 タイでは、空港がデモ隊によって占拠されたまま。多数の旅行者が、着の身着のまま空港ロビーで夜を明かす。文明の脆さが露呈している。
 イラクでの自爆攻撃は止まない。
 アフガンの米大使館付近でも大きな爆発。
 ほんとうに世界は、恐怖に満ちている…。

 Changeを唱えるオバマ次期大統領は、アメリカをChangeし、この恐怖に満ちた世界を変えることができるだろうか。

 「私は、5000万の人々を自由にし、平和達成を手伝った大統領として名を残したい」―。ブッシュ大統領は全米公共ラジオ(NPR)とのインタビューで、2期8年間の業績を振り返ってアフガニスタン、イラクの圧政から人々を解放した意義を強調した。世論調査では第二次大戦後、最も不人気な大統領の烙印を押されたブッシュ氏だが、後世の再評価に期待したい心情を吐露した。 (毎日新聞11月30日)

 こんなことをいまも言い続けるブッシュ大統領よりは、少なくともオバマ氏のほうがマシだと信じたい。

12月1日(月)

舞台から 躰を射抜く言葉の矢

 あとひと月で今年も終わりだなあ、などと溜め息つきつつ、少しは楽しいこともしなけりゃと、芝居を観に行ってきました。井上ひさしさんのこまつ座公演『太鼓たたいて笛吹いて』です。
 これは、『放浪記』で有名な作家、林芙美子の評伝劇です。芙美子役は大竹しのぶさん、大熱演。
 全体に喜劇仕立ての芝居ですが、第2幕はやや様相が違います。ここに、作者の想いが込められているからでしょうか。

 林芙美子は先の大戦の折、従軍作家として中国やインドネシアなどを訪れます。彼女はその見聞を、数多くの「従軍記」として発表します。華々しい活躍だったといいます。単純化して言ってしまえば、芙美子は戦争を鼓舞し、日本を煽り続けた作家のひとりだったわけです。
 しかし戦争末期、芙美子は長野に疎開、そこで「この戦争はきれいに負けなければならない」と小さな講演会で話し、警察に目を付けられることになります。これが第2幕です。
 戦場で何を見て、芙美子がそう思うに至ったか。芙美子の心の揺れと日本人。それが芝居のメインテーマだと思いました。
 「あなたは非国民だ。日本が嫌いなんだ」と罵る刑事に、芙美子は反論します。
 「私は日本が大好きです。好きだからこそ、きれいに負けなければならない。日本が外地で何をしてきたかを見てきた私にはもう、そうとしか言えない」
 (台詞は私が理解したもので、実際の台本とは違います)
 芙美子の苦悩が、大竹しのぶさんの熱演で表現されます。

 井上ひさしさんの想い。井上さんが、いまのこの国に寄せる想い。それが舞台の上から、林芙美子が憑依した大竹しのぶさんの言葉の奔流となって、観る者の躰を射抜きます。

 観終えて外へ出ると、そこは新宿。溢れんばかりの光のページェント、クリスマス・イルミネーションのトンネル。さざめきながら行き交う人の波。
 さっきの舞台との落差に、私は、たじろぎました。

(鈴木 耕)
目覚めたら、戦争。

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