ホームへ
もくじへ
もくじへ マガ9的!2006ワールドカップ
KのW杯
 
編集長K
サッカー専門のwebマガジン『football weekly』の編集長。ドイツW杯は、現地より「W杯試合レポート」を発信中。
Vol.2
W杯はサッカーだけではない!
Vol.1
行き過ぎた商業主義を問う
Vol.2
W杯はサッカーだけではない!

日本戦で息をふき返したロナウド

ブラジルに完敗

 淡い希望もロナウドの強烈なヘッドで、消えました。今回のブラジル戦の予想は誰でも、理解できるものでしたから、それを覆してくれるかもしれない「希望」を持っていました。 それもわずかなものです。もしかしたら、「奇蹟」が起きるかもしれないという願望での観戦です。

 実力差といえば、それまでですが、ジーコを選んだのはこの日のためで、試合前にジーコが懸命に選手に電話してくれているからという愚にもつかない冗談で、紛らわすしかありません。

 結果は玉砕という言葉もいらないほどの、完敗です。

 日本代表のドイツW杯は勝ち点1、得点2、失点7の最下位です。日本サッカーの実力が如実に現れた結果ですから、今後の対応策は重要なものですが、さてどんなことになるのでしょうか。具体的な総括は我がウエッブ=football weeklyを参照して下さい。

 日本がいなくても、W杯は当然続いています。ベスト16の戦いはかなり順当な結果ですから、面白い戦いが展開されそうです。

 32カ国の参加になって、ベスト16以降が本当のW杯だと、口さがない連中は言っていますが、今回の残ったメンバーを見てみると、かなり面白そうです。

プレスルームで、世界各国のジャーナリストと情報交換

 W杯はサッカーだけではありません、今回のドイツでも、面白い出会いがありましたので紹介します。商業主義が跋扈している大会ですが、キャッチフレーズは「A time to make frends」なのです。

 実際のところ、各国から記者などが集まるW杯は世界中の人間に会うチャンスであるので、批判はともかく、本当にいい機会なのです。ことに今大会は会場が広く、プレスのスペースも多く取れるので、かなりこれまでの大会よりもプレスの数は多いようです。

 ブラジルから来た二人組みのプレスもその拡大の恩恵を受けたようで、初めてのW杯で要領が分からないので、少し一緒に行動させてくれといわれたほどです。彼らはサンパウロから少し離れた州の地元の新聞のスポーツ担当で、ジーコのファンだといいます。ブラジル戦で久しぶりに会いましたが、元気そうで、少し意地悪く今日はどっちを応援するんだと訊くと、少し困ったような顔をして、ブラジルは勝ち上がりが決まっているから、ジーコにがんばって欲しいという余裕な答えでした。

 ほかにもタイ人の以前からの知り合いと再会しました。

 エストニアから来たジャーナリストはいきなり、覇瑠都のインタビューをしたいけど、できないかと訊かれ、とにかく電話をしてみればと答えしかありあませんでした。そんな風なことが日常的にあります。


フランクフルトの母なる川、マイン川です。対岸はビクセンで、りんご酒で有名ところです。両岸でパブリックビューイングが行われていて、試合カードによっては入れないほどの大賑わいです。

我がベースキャンプは、イラン人の若者の家

 記者だけでなく、街中、電車の中でも出会いはあります。中でもハイライトは我がベースキャンプの大家さんです。W杯期間中に家を貸してくれるというインターネットのサイトで、見つけたのですが、シャムルーというラストネームから、アラブ系もしくはユダヤ系かと検討はつけたのですが、空港に現れた少し棟の立ったイラン人の若者だったのです。

 今回、イランはW杯に出場していますが、現職の大統領がとんでもない人で、反イスラエル主義が行き過ぎていて、ユダヤ人の虐殺はなかったとか、とんでもないことを言っているので、こちらのネオナチの連中にやんやの喝采を浴び、対イラン戦は警戒厳重な警備がひかれているのです。

 イラン人といってもすべておなじではありませんが、一瞬大丈夫かなと考えたのは事実です。しかし、DJで音楽家であるピノ君はまったく大統領とは似ても似つかない人物だと彼の家に案内される途中の電車の中で理解できました。

 彼のおじいさんはイランを代表する現代詩人で、ホメイニ政権が誕生した「イラン革命」に反対していた「抵抗の詩人」として世界中に知られる人だったのです。革命時にはイランを離れたのですが、その後テヘランで死にたいという祖父自身の意思で、イランに戻り、2000年に75歳で亡くなったのです。

 彼自身も14歳のときに、一人でイタリアに出され、その後、ドイツに来て20年立つという人だったのです。テヘランには父親が居て、祖父の意思を継いで祖父の詩集を出し続けているのですが、イラン政府からはなにくれとなく、プレッシャーがあり、版権管理が事実上できないような状態にされているそうです。さらには月に一度は家に石が投げ込まれ、窓ガラスが割れるといいます。

 そんな環境で育ったピノ君なので、政治的にもまっとうで、やたらいい人で、親切です。イラン人の知り合いがいますが、彼らは本当に親切ですが、ピノ君は育ちのよさを感じさせる人のよさがあります。

 テクノ系の音楽をやっていて、サッカーには興味がまったく無いのです。イランが試合をしようが、日本がしようがまったく関係ありません。しいて言えば、試合の終わった後の各国ごとのお祭り騒ぎは好きなようで、パーティだと行って騒いでいるぐらいです。さすが、音楽とこよなく女性を愛するミュージシャンです。


ピノ君とジャーナリストの勉強中のナディア。ピノ君のガールフレンドの一人で、母親がパレスチナ人で、父親がスイス人だそうです。


イラン人の若者と日本の改憲論議

 というわけで、サッカーの話でなく、日本やイランの話をピノ君に聞きました。彼は当然今の政府に反対で、馬鹿呼ばわりです。現実的ではないし、原爆の開発などもってのほかだと怒っています。

 このサイトに彼の話を書きたかったので、日本の「改憲」の動きについても、意見を求めました。当然9条の説明をしましたが、彼自身は知らなかったようで、それはすばらしいものだと感心しつつ、「改憲」はアメリカの「陰謀」だと一刀両断です。得をするのはアメリカだというわけです。

 悪いのは、すべてアメリカという親アラブ的な単純な意味合いだけでなく、20世紀後半からの戦争や侵略に関してはすべて、アメリカが関わっているという本質的なところから、そう思っているようです。アメリカの「悪さ」をある意味では身をもって知っているだけに、リアリティはあります。

ピノ君はドイツ語、イタリア語、スペイン語、ペルシャ語、イラン語そして英語をしゃべれるのですが、英語は苦手だといいます。確かに、時々すべりますが、それはこちらも大して変わりはありませんので、十分に通じ合えます。

 英語は必要だから使うけど、英語しかしゃべらないアメリカ人を怒ってもいます。自分たちの基準を押し付けられているよう気になるので、嫌なのです。確かに、そう思うことは多々あります。そういわれれば、英語以外の言葉を喋れるアメリカ人は教養があります。少なくとも知っているアメリカ人はみんなそうでした。なんだかそんな話をして結構盛り上がってしまい、わずか2日ほどで、友達付き合いになりました。

 あげくには、本来僕らが借りている期間中彼はイタリアに行く予定でしたが、4日ほど経ってから、イタリア行きはやめたといいます。だから、いつでも電話してくれという始末です。

 日本には関心があって、自然とサムライがすばらしいといささか今風なことをいいます。一度は絶対に日本に行きたいといいますし、話しのトーンも合うので、イタリアよりも面白いようです。そんなわけで試合が近場のときはピノ君とお付き合いの連続となったのです。

 そのうち、できれば、いつか彼の祖父の詩集を日本で出してみたいと思うようになりました。ピノ君の日本でのDJデビューと、詩集の翻訳出版が今回のW杯終了後の個人的な課題となったのです。
(写真・La Strada)


ご意見募集!

ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。
このページのアタマへ