この人に聞きたい

左翼思想と保守思想

編集部
 もう一方の保守勢力のほうはどうだったのでしょうか?

中島
 それについては、僕はまず、日本に保守政党、保守勢力というものが、どこまで存在したのだろうかということ自体に疑問を持っています。

編集部
 どういうことですか? 自民党は保守政党じゃないんですか?

中島
 これは、左翼の定義から考えたほうが分かりやすいと思うのですが、左翼というのは、基本的には人間の理知的な側面、人間の努力によって平等社会がつくれる、進歩が可能だとする考え方です。これが左翼の大枠の合意としてあって、あとはその平等社会をどうつくるかという手段の問題になる。
 一つは国家を通じてつくろう、国家が金持ちからたくさん税金をとって弱い立場の人たちに再分配することが必要だ、という考え方。今なら有力なのは社会民主主義や福祉国家論ですね。かつてなら国家社会主義や共産主義です。一方、やっぱり国家というものはどうしても抑圧する側・される側という二分構造をつくってしまうから、個人ベースの連帯でやろうと考える立場もある。その極端な例がアナーキズムということになります。
 しかし、保守というのはこの左翼の前提の合意部分をどこかで疑っているんです。つまり、人間の理知的な側面によって人間が進歩した社会を設計できるのかといえば、無理だろうと考える。つまり、人間には嫉妬ややっかみ、エゴイズムといったマイナス感情を捨てきれないし、たとえば生まれ育つ場所や母語、親を選べないとか、さまざまな限界があります。もっと言えば、誰でもいずれ死ぬわけだから、「身体」「生命」という限界もあるわけです。
 であれば、その「無限の理性」を信じるのではなく、「人間の限定性」ということから考えて、人知を越えたもの——伝統や慣習や経験値、良識、あるいは神といった形而上学的なものに依拠したほうがまともな社会になるんじゃないか、と。その上で時代状況に合わせた、漸進的な改革をしていくべきだというのが保守の合意なわけです。
 だから、簡単に言えば保守というのは過去も未来も全面的には信じていないんです。人間が限界を持つ不完全な存在である以上、過去においても人間社会は不完全だったし、未来においても不完全なまま推移せざるを得ない。その中で、時代状況に合わせて漸進的な改革をしていこう、という考え方であって、過去の一点に戻れば理想社会になるとも、未来に理想的な社会をつくれるとも考えない。そういう立場を保守というんだと、僕は考えているんです。

編集部
 そうすると、日本の保守政党、保守政治家というのは、どうなるんでしょうか? 55年体制で、自由民主党と日本社会党が二大政党として政治を行なっていた時は、保守対革新という構図ができていたのではないのでしょうか?

中島
 55年体制成立の後、自由民主党は揺れるんです。吉田茂のあと鳩山一郎になって、鳩山は吉田からの距離を考えていたので、アジア・アフリカ会議に積極的だったりした。アメリカから一定程度の距離をとろうとしたわけです。しかし、外相の重光の反対などもあり鳩山自身が参加できない。その後に首相になったのが石橋湛山(※5)。かれは、非常に「リベラルな保守」を目指したのだと思うのですが、病気の問題で、首相としては短命に終わる。その後、出てきたのが岸信介です。
 この岸という人は、彼は戦後に社会党に入ろうとしたりもしていますが、大学時代に一番影響を受けたのは北一輝(※6)なんですね。その著書である『日本改造法案大綱』に惹かれ、革新官僚(※7)として満州に行って、理想的な世界を設計的につくろうとした。そんな人が、55年体制の中で自民党の総裁になり、首相になるわけですが、彼が抱いたような発想をそもそも持たないのが保守だと僕は思うんです。
 また岸だけでなく、その周辺の人たちが保守だったのかというと疑わしいと僕は思うんですね。つまり、55年体制で保革の対立があったという前提に立って僕らは話をするけれども、それそのものが果たして本当にあったのかということが、僕にはよく分からないんです。

※5 石橋湛山(1884〜1973):政治家、ジャーナリスト。戦前から新聞『東洋経済新報』で社長・主幹として活躍し、戦後に政界入り。1947年にはGHQによる公職追放令で追放を受けた。1955年に自民党が設立されるとこれに入党し、翌年の総裁選に出馬して当選。第55代内閣総理大臣となるが、脳梗塞のためわずか2か月で退陣した。
※6 北一輝(1883〜1937):昭和初期の思想家。中国で革命運動に参加したのち帰国し、国家主義を掲げる運動体「猶存社」の設立に参加。1936年の2・26事件で実行犯の将校らを扇動したとして逮捕され、翌年に死刑となった。「天皇の大権によって憲法を停止し、戒厳令を敷いて臨時政府をつくる」として、華族制の廃止や私有財産の制限などを訴えた『日本改造法案大綱』(1923年)は、事件に参加した将校たちに大きな影響を与えていたとされる。
※7 革新官僚:戦前・戦中の日本において、物資動員などの計画立案を担った機関「企画院」を拠点に、戦時統制経済の実現を狙って活動した経済官僚のグループを指す。「企業は利潤を追求するのでなく、国家のために生産性をあげるべき」などと主張し、のちの国家総動員法制定にもかかわった。

軍国主義を批判した保守論客たち

編集部
 中島さんは、保守派の政治家として石橋湛山を高く評価されていますね。「今こそ、石橋湛山のような政治家の登場を望む」と、コメントされてました。

中島
 はい。彼は、たとえば日中戦争のときには、「この戦争は拡大しちゃいかん」と言っています。最終的には、「植民地は放棄すべきだ。あんな広大な土地を、日本が支配して本当に支配できるのか、財政的な裏づけがあるのかよく考えろ」と主張して、民衆の熱狂を冷まそうとしている。さらに、「帝国主義の時代はもう終わろうとしていて、アジア諸国はいずれ間違いなく独立する。今帝国主義のまねごとをやったって最終的には恨まれるだけなんだから、今植民地を捨てたほうが賢い」とも。彼は、自分を愛国者だと思っているがゆえにこうした提言をした。彼なりの保守ナショナリストとしての選択だったんです。
 そして戦後は一転、アメリカに迎合する日本政府に対して非常に厳しかった。アメリカの言うことになびいてはいけない、独自の外交、独自の財政の考え方を持ってやっていくべきだと主張しています。そのために公職追放に遭ったりしたわけですが、まっとうな発想ですよね。つまり、彼は革命も、強力なファシズムも、どちらも間違っていると思っていたわけです。

編集部
 保守派はアジア太平洋戦争に対して肯定的である、といったイメージもあるように思いますが、決してそうではなかった、と。

中島
 戦前、戦中を生きた保守派には、「自分たちは20世紀最大の設計主義と闘った」という自負があったと思います。そしてそれは、一つは共産主義だったけれど、もう一つはファシズムだった。彼らは大東亜戦争に対して、非常に厳しい態度を取っています。
 たとえば、福田恆存(※8)は戦争中、「こんなバカなことはやってられん」と、公職を全部放棄して自分の家の庭に防空壕を掘っていたし、田中美知太郎(※9)は著書の『時代と私』を読んでも分かるように、軍国主義をひどく嫌って「なんでこんなに大きすぎるファシズムが生まれてしまったのか」と嘆いていました。
 一方で、大政翼賛会に勇んで入っていったのは無産政党(※10)であり、それを支えたのは設計主義(※11)の革新官僚でした。もちろん共産党は反対しましたけどね。僕は、どちらかというと左派的な思考が、大東亜共栄圏のような理想主義を導いたんじゃないかと思うし、当時の保守主義者にはそれに徹頭徹尾迎合しなかったという自負心があったと思います。

※8 福田恆存(1912〜1994):劇作家、評論家。シェークスピアの戯作翻訳などでも知られる。
※9 田中美知太郎(1902〜1985):哲学者。ソクラテス、プラトンなどギリシャ哲学研究の第一人者。
※10 無産政党:戦前の日本で、合法的に結成された社会主義政党を指して使われた言葉。労働者や農民など、無産階級の利害を代表する政党、との意味合いがある。
※11 設計主義:もともとはオーストリアの経済学者で哲学者のハイエク(1899〜1992)が用いた言葉。ハイエクは、福祉国家や社会主義国家を「政府が社会を合理的に“設計”しようとしている」として批判した。

編集部
 そうなってくると、今一般に言われる「保守」とか「右派」「左派」のイメージとは、むしろ逆のようにも思えます。

中島
 だから、これまでの勝手な「右」「左」の括り、戦争に反対したから左とか、右だから大東亜戦争肯定とか、そういう枠組みを離れて思想というものを見てみたほうがいいんじゃないか、と思います。そうしたときに、より石橋湛山という人がクリアに見えてくる。なぜ彼は戦争に批判的でありながら、戦後、保守政党の中心人物になっていったのかということです。
 僕自身も、保守であるがゆえに大東亜戦争をそう簡単には肯定できません。一方で、全面的な否定はしないし、アメリカが「リベラル勢力の勝利だ」と言ったのもバカげている、東京裁判は茶番劇だとも思います。でも、基本的にはやっぱりおかしな戦争だと思う、それが保守というもののまともな立場であって、保守だから大東亜戦争肯定論になるとは到底思えないんです。

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中島岳志さんに聞いた(その1)左右の“バカの壁”を取り払おう」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    次回、お話は憲法9条について。
    「保守派」として、中島さんは9条をどう見るのか?
    さらに、中島さんが注目する歴史上の人物の1人だという、
    マハトマ・ガンディーの思想についてもお話を伺っていきます。
    お楽しみに。

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