森永卓郎の戦争と平和講座

 今回の参議院選挙の争点は、ひとことで言うと、国家主義と国民主義の戦いだと思う。もちろん、自民党の政策が国家主義で、野党の政策が国民主義だ。
 自民党は、安全保障関連法案で集団的自衛権の行使を推進しただけでなく、憲法を改正して、国防軍を創設しようとしている。また、国家のエネルギー安全保障のため、原発を全稼働させる方針だ。そして、資本を拡充して、経済成長を図ろうとする。まさに、殖産興業・富国強兵策なのだ。「女性が輝く社会の実現」と表面では言っているが、その実態は、「女は出産・子育てをしたうえで、フルタイマーとして働き、さらには在宅で介護までしろ」という、まさに「国家総動員」体制を構築しようとしているのだ。

 「そんなひどいことはないだろう」と思われるかもしれない。そこで、法人企業統計を用いて、安倍政権下で経済に何が起こったのかを検証していこう。最近発表された2016年1~3月期のデータと、安倍政権発足直後の13年1~3月期のデータを比較するのだ。
 まず、全産業(金融・保険業を除く)の売上高は3年前より1.6%増えた。一方、経常利益は9.4%と大きく増えている。なぜ売上の伸びをはるかに上回る利益の拡大が生じているのか。それは、企業がコストを削ったからだ。実際、最大のコストである従業員給与は、1.9%減っている。つまり、アベノミクスの下で、企業は大きく利益を増やし、労働者は所得を減らしたのだ。ちなみに毎月勤労統計によると、実質賃金は昨年度まで5年連続のマイナスを記録している。

 アベノミクスは、経済のパイを拡大するのには成功したが、その成果は資本にだけ分配され、労働者には一切分配されなかったのだ。分配がうまく行っていないのだから、普通だったら、企業から税金を取って、国民に再分配するというのが当然の経済政策になるはずだ。ところが、安倍政権は国民より国家を優先した。こともあろうに、国際競争力を維持するためと言って、法人税率を引き下げ、その財源として消費税を増税したのだ。その結果、何が起こったのか。それが、内部留保の爆発的拡大だ。
 法人企業統計では、内部留保を「利益剰余金」と表記しているが、この額が今年1~3月期は、3年前より29%も多い366兆円に達したのだ。しかも、これは金融・保険業を除いた数字だ。金融・保険業を加えると、内部留保の総額は418兆円にも達するのだ。国栄えて、民滅ぶ。これを国家主義と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
 「国家主義」対「国民主義」という理念の観点でみると、今回の参院選は、与野党の対立が明確になっていて、私は意味のある選挙だと思っている。しかし、私が一番気になっているのは、野党が掲げる理念と彼らが掲げる政策の間に大きなギャップがあることだ。その典型が消費税だ。
 民進党は、選挙公約で消費税率の10%への引き上げを2年先送りするとした。安倍政権の掲げる2年半先送りよりも短い期間だ。民進党が格差是正を掲げるなら、なぜ2年だけの先送りなのか、意味が分からない。むしろ、消費税率は5%に引き下げると主張すべきなのだ。

 こうした私の主張に対しては、「消費税を引き下げて、社会保障の財源をどうするのか」という疑問がすぐに提起される。しかし、その分は、企業からとればよいだけの話だ。いま日本の法人税の実効税率は29%台まで下がっている。これは米国の税率を11ポイントも下回る低い水準だ。欧州とは、ほぼ同水準だが、欧州は社会保険料(年金や医療)の企業負担が日本よりはるかに大きい。例えば、スウェーデンの社会保険料は、労働者の負担率が日本の半分で、企業の負担率が日本の2倍になっているのだ。つまり、いまの日本企業は、国際的にみて、とても低い水準の税・社会保障負担しかしておらず、労働者は、世界でトップクラスの重い負担をしている。それを、せめて世界標準レベルに戻すべきなのだ。
 そしてもうひとつ、野党が強く主張すべきは、タックスヘイブン課税の強化だ。国際決済銀行の統計によると、タックスヘイブンに置かれている金融資産の4分の1が、日本の資金になっている。これは、米国や英国を抜いて、世界一だ。タックスヘイブンに流れた資金は、単に税を逃れているだけでなく、あらゆる非合法資金として流通する。麻薬や売春資金のロンダリング、商品投機、テロリストへの兵器提供、北朝鮮の核開発資金の提供などだ。闇資金だからこそ、高い利回りが実現しているのだ。そのタックスヘイブンから引き上げた投資収益に、いまの日本の租税特別措置は、一定限度までの益金不算入、すなわち非課税措置を採っている。こんなバカげた税制はあり得ないだろう。
 また、これは少し論点がずれるかもしれないが、財源の手当てなしに消費税率を引き下げたとしても、いまの日本は、少なくとも数年先まで、財源問題をまったく心配しなくてよい環境に置かれている。それは、財源不足で国債を少々追加発行したところで、日銀がすべて買い取ってしまうことができるからだ。すでに現時点でも、日銀は毎月8~12兆円程度を基本として、国債の買い入れをしている。消費税率を5%に引き下げることによって、不足する財源、すなわち国債の追加発行額は、最大でも毎月5000億円程度だ。つまり、現在の日銀の国債買い入れペースからみたら、誤差のようなものなのだ。
 疲弊する国民とこの世の春を謳歌する大企業や富裕層、どちらの味方をするのかというのが、参議院選挙で問われるべき「国民主義」対「国家主義」の対立軸なのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第71回 参院選の争点は「国家」対「国民」」 に7件のコメント

  1. magazine9 より:

    社会保障の負担によって、私たちの財布から毎月の貴重なお金が引き抜かれているものの、生活も老後もさらに不安定になるばかり。一方で、巨額なお金が頭上を飛び交っているような気がするのですが・・・。パナマ文書の問題も、このままだとなんだかしらっと流れていきそうです。国家が大事なのか、国民が大事なのか――森永さんが指摘されたような追及を、野党もメディアも私たちも、強く行っていく必要があります。

  2. うまれつきおうな より:

    パナマ文書の追及どころか、法人税を下げて世界の企業を誘致する、というのは「タックスヘイブンを見習おう」と言ってるようにみえる。しかし多少雇用が増えてもそれってよその国から税金を、さらにその税金を頼りにしている国民から福祉や雇用を横取りしているように見えないのか?中国や北朝鮮の脅威とか言いながら他の国から総スカンをくうようなことをして大丈夫なのか。さらに資本主義を敵視している貧しい人の恨みを買ったりしないのだろうか?トランプ氏は大統領になったら日本の防衛から手を引くと言っているが。だからこそ消費税アップ、戦力増強、徴兵制とか言うんだろうか。しかしこの低賃金、少子化状態でそんなことをして国が回るのか?国民は草みたく後から後から生えてくるわけではないと思うのだが。

  3. 茶屋 三郎 より:

    がんばれ!経済学者(その1)
    今回の参院選は大雑把に言えば、自公政権がアベノミクスの加速を唱え、民進党を中心とする野党共闘側が安保法制廃止、立憲主義擁護と改憲阻止を掲げて対抗するという構図になっています。そして選挙民の多数派は「安保法制や立憲主義や憲法問題も大切だが、それよりも景気が心配。野党は無策。経済はやっぱり自公政権だね。」と考え、その結果、自公とおおさか維新が大勝し、選挙後、改憲と南スーダンあたりでの戦闘参加になだれ込むことになりかねない情勢になっています。
    選挙民の多くがアベノミクスを胡散臭いと思いながら、なお「経済はやっぱり自公政権だね」と考えるのは、野党共闘側が具体的な提言(税制改革、歳出の見直し、労働法制の改正など)を共通政策として示せていないからでしょう。(続く)

  4. 茶屋 三郎 より:

    がんばれ!経済学者(その2)
    森永さんは「野党が掲げる理念と彼らが掲げる政策の間に大きなギャップがある」と仰っています。しかし本当にそれは理念と政策のギャップでしょうか。この場合の「野党」は民進党のことだと思いますが、そもそも民進党の中に理念の分裂があり(=かなりの数の新自由主義派や富国強兵派がおり)、その結果、まともな経済政策が提示できていないのではないでしょうか。
    では、それにも拘わらず、民進党が安保法制廃止、立憲主義擁護と改憲阻止をスローガンとする野党共闘に参加するという奇跡が起きたのは何故でしょうか。それは昨年の安保法制をめぐる論争の中で、国民の中に「立憲主義」の概念を定着させた法学者と政治学者の大活躍と、それに呼応した市民運動の盛り上がりが、民進党の中の富国強兵派を黙らせたためと考えるべきでしょう。(続く)

  5. 茶屋 三郎 より:

    がんばれ!経済学者(その3)
    ならば同じことを経済学者の先生方に期待したいですね。急遽「富国強兵政策に反対する学者の会」でも立ち上げて、政策提言をまとめられないでしょうか。参院選の公示も終わった今となっては、投票日までに講演会など大々的な啓蒙活動を行うことは無理でしょうが、せめて声明文でも出せないものでしょうか。
    最後に誤解のないように付け加えると、私は安保法制廃止、立憲主義擁護と改憲阻止が重要でないと言っているわけではありません。本来は野党側からの攻撃材料になるべきアベノミクスの加速が、逆に自公政権のウリモノになり、安保法制や立憲主義や憲法問題を争点からはずす材料になっているというおかしな事態を解消するために、経済学者の先生方のお力添えが必要だと思うわけです。

  6. 鳴井 勝敏 より:

    >ひとことで言うと、国家主義と国民主義の戦いだと思う。
    EUから離脱するか、残留するか。英国の国民投票の報道を見て思った。国民主義は、さらに選挙を政治で投票するか、情緒で投票するかの戦いだと。     イギリス人はとても選挙が好きだという。政治を動かす武器は選挙である、ということを体に刻み込まれているのだろう。この点、日本人は伝統的に情緒が投票基準のようだ。参院選告示後の報道を見る限り何も変わっていない。つまり日本は民主主義の体をなしていないのだ。
    だとすれば、有識者達がいくら伝えても選挙結果には表れない。土壌改良をしなければどんな種を蒔いても育たない。全ての生活は政治に関わる。この一歩から土壌改良を始めなければならない。「良きことはカタツムリの速度で動く」(ガンジー)。100年、いや1000年かかろうが始めなければならない。     憂慮すべきは安倍暴走より、国民の政治に対するスタンスである。

  7. リアリストA より:

     今回の選挙については、国民主義対国家主義という図式は、わかりやすいとは思いますが、現状それほどの対称性が双璧としあるのかといわれると、多少疑問ですが・・・
     確かに、現政権の政策は、まるで明治時代の殖産興業・富国強兵策の現代版ですね。
    企業第一優先主義(法人税引き下げ)にしても、安保法案、秘密保護法、ネット監視法、、どれをとってもそれを否定するものはありません。(安保法案によってついにアメリカの下部組織として海外派兵ができるまでになった!)
     かたや、野党連合は、現状政権の独裁をはばむという点以外には、必ずしも、基調を一にしているとは思えないものがあるのも残念と言えます。
    それでも、行き過ぎた国家主義政策に歯止めをかけるという点だけでも、野党連合には賛同するのですが・・・
    もし野党連合にそれ以外の意義があるのであるとすれば、まさに、国民主義対国家主義との戦いを自覚して、それにふさわしい政策を掲げて実践ほしいものです。

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森永卓郎

もりなが たくろう:経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

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