参院選、各種知事選、国会・地方議会の補選、党代表選と、やたら選挙が多かった2016年。各地で様々な結束、分断、衝突など悲喜こもごもあったことでしょう。地域によっては「新しい市民選挙」の流れができつつあるとも聞いています。しかしこと都知事選について言うと、まるで無かったかのようになぜかあまり話題にも上がらない…。
「リベラルな人たち、特にフェミニストは、一度きちんと総括するべきでは?」と語る作家の北原みのりさんと、「特に都知事選はもはやトラウマ」と語る民進党東京都第4区総支部長で、ジャーナリストとしても活躍中の井戸まさえさん。それぞれの立場から、お二人に「率直に」語っていただきました。
井戸まさえ(いど・まさえ)1965年生まれ。東洋経済新報社を経て、経済ジャーナリストとして独立。2005年より兵庫県議会議員を2期務め、2009年、衆議院議員に初当選し1期務める。現在、民進党東京都第4区総支部長。NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、民法772条による無戸籍児家族の会代表も務め、無戸籍問題、特別養子縁組など、法の狭間で苦しむ人の支援を行っている。近著に『無戸籍の日本人』(集英社)。
北原みのり(きたはら・みのり) 1970年生まれ。津田塾大学卒業。1996年、女性のためのセックストーイショップ「ラブピースクラブ」をたちあげる。時事問題から普遍的テーマまでをジェンダー視点で考察する。著書に『毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(講談社文庫)、『さよなら、韓流』、共著に『奥様は愛国』『性と国家』(全て河出書房新社)など。
「野党共闘」がもたらしたもの
編集部 昨年12月、いくつかの市民グループが共同で「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(市民連合)」を立ち上げ、それを中心とした「野党共闘」の流れが本格化しました。今年7月の参院選では全国32の一人区に統一候補を立て、うち11の選挙区で当選、10月の新潟県知事選でも野党統一候補が当選するなど、一定の成果を上げたといえると思います。
一方で、8月の東京都知事選はジャーナリストの鳥越俊太郎さんが野党統一候補として立ったものの、結果は自民党の推薦なしで立候補した小池百合子さんの圧勝に終わりました。この流れを振り返りつつ、「野党共闘」がもたらしたもの、そしてそれでも「勝ちきれなかった」のはなぜなのかについて考えたいと思います。
井戸 まず見ておきたいのは、参院選で野党統一候補が勝った理由は、野党共闘「だけ」ではないということです。勝敗を分けたのは、保守地盤にどこまで切り込めたかなんですよ。
勝った候補は農協や医師会など、保守地盤をがっちり押さえた人たち。それができなかった候補は軒並み落選している。つまり、保守層の、これまで自民党を応援してきたけれど、今の自民党の政策には賛成できないという人たちとのつながりがベースにあって初めて、野党共闘が生きたということ。東北で野党統一候補が強かったというのも、これまでは自民党支持だったけどTPPには反対だという有権者が多かったからですよ。
北原 「野党だからいい」ではなくて、政策をちゃんと見ていたということですね。
井戸 私はそう分析してます。特にTPPなんて、生活に直結していることだから。本来は野党が、もっとTPPや年金カット法案のことを参院選の争点にすべきだったんですよね。今の臨時国会(※)で挙がってきた法案は、本来ならすべて参院選の争点になるべきものだったのに、野党がそれを争点化できなかったというのは大きいと思う。
※2016年9月26日〜12月17日に開催されていた第192回国会。対談時はまだ開会中
北原 参院選は、投票率が低かったですよね。一部の人たちが、改憲勢力が3分の2を超えてしまう、このままじゃまずいと問題提起した割には、社会全体としては関心が低かった。
井戸 改憲とか、戦争法が、という話は強調されていたけど、多くの有権者にとってはあまりリアルに響かなかったんだと思います。年金カットとかいわれると、もっと生活に直結して感じられたんだろうけど…。その意味では、「野党共闘」の動きと政治活動に具体的にアクセスしていない一般有権者との間にも、乖離があったといえると思います。
ただ、参院選ではもちろん成果もありました。たとえば、東京選挙区の6議席目に、当初は難しいのではともいわれていた民進党の小川敏夫さんが滑り込んだのは、間違いなく野党共闘の功績だと思います。
「勝つ」という大きな論理の前に、
個人の小さな声が無視された
編集部 さまざまな問題もあるにせよ、参院選ではある程度「成功」したともいえる野党共闘。しかし、その成功体験が、都知事選でがらがらと崩れてしまった…と感じている人もいると思います。
北原 でもそれも、失敗した原因は、「野党共闘」そのものではないですよね。問題だったのは、多くの人が納得いくような魅力的な候補を出せなかったこと。候補者選びのやり方だったと思います。
井戸 都知事選については、とにかくあまりに突然の選挙だった。その変則的な状況に対応しきれなかったということが大きいと思います。
ただ、実際に選挙運動の現場にいた立場としては、言葉が適当かどうかはわかりませんが、「選挙の暴力性」ということをすごく感じました。鳥越さんが民進党を含む野党統一の候補者に決まるにあたっては、その選挙を最前線で闘う人々の意思なんて、まったく反映されなかった。直前まで迷走したあげく、突然「この人に決まったから、この人で闘え」といわれたわけです。
親の決めた人と結婚させられるような、というか…私は今回、街宣カーで名前を連呼するたびに、よく理解していないまま「お願いします」と言って回ることへの、生理的違和感があった。どこかちょっと権力に押し倒される恐怖感のような…。「プロ」ならその状況を受け入れてあたりまえというのもどうなのかな、と。「戦略的に」ということはわかるのだけども、それにしてももう少していねいなプロセスがないと、つらい。
北原 井戸さんは選挙の現場の視点から「選挙の暴力性」ということを言っているわけだけど…私も今回の都知事選では、選挙や政治の暴力性が浮き彫りになったように考えています。
鳥越さんを候補者にする過程に、ジェンダー的な目線が一切入っていなかったことは明らかだったし、性暴力報道があった後に、これまでDV被害に遭った女性の支援に取り組んできたような人たちまでもが、そろってすぐさま「鳥越さんを支持します」と声明を出したこともショックでした。
もちろん、あの報道の内容が本当なのかどうかは分からない。でも、最初から「鳥越つぶしの陰謀論だ」っていうところに立って話をするのはどうなのか。「本人じゃなくて夫が被害を訴えているのはおかしい」というけれど、性暴力被害者だってケースバイケースで、本人ができないから夫が声を上げることだって十分あり得るわけです。しかも、鳥越さんの弁護団は「事実無根」と言って、「痴漢えん罪事件が絶えないのは、被害者とされる女性の供述のみに基づいて起訴されることにある」と意味不明な抗議をした。そういう鳥越陣営のあり方に一切目をつむるのは、ただ「野党共闘の候補者を勝たせなければ」という思考停止にしか見えなかった。
編集部 今まで「女性のために」と声をあげてきたはずの人たちの一部までもが、そのセオリーを自らひっくり返してしまった…。
北原 そう。それは乱暴すぎるでしょう。さらに選挙が終わってから、「小池百合子を女性だからという理由で応援しなかったことが、フェミニストの矜持だ」というようなことを言うフェミニストの人もいて、言葉を失いました。私も小池百合子を支持しているわけじゃないけど、そこ、胸張るところですか?
今回、市民連合などは小池さんを「極右」だとアピールしたけど、そんなのは誰の耳にも入らなかったわけですよね。
編集部 結果を見れば、そういうことですね…。
北原 一方で「緑のものを身につけてきてください」という小池さんの呼びかけに、多くの女性たちが目を輝かせて、ブロッコリーやゴーヤを持って集まってきた。あのキラキラ、わくわくした感じこそが、希望を見たいという多くの人の気持ちそのものだったと思うんです。
その気持ちを市民連合や「野党共闘」がどうしてすくい取れなかったのか。それは、人々の小さな声や、表に出てこない一人ひとりの痛みを拾うよりも、「勝たなければならない」という大きな論理を優先したからではないでしょうか。公の大きな力を優先する力に、個の声の重要性を問うてきたはずのフェミニストまでがそれにあっさりと荷担していったことに、ショックを受けています。
政治家と向き合って関係性をつくる
井戸 私は、今の市民の運動を見ていると──参加している研究者なども含め──、政治にかかわる運動でありながら、「政治のアクターになる」人に対しては批判的というか、どこか下に見るような感覚があると感じます。小林節さんが参院選に出たときも、とても批判されたでしょう。
北原 冷たいよね。プロデューサー側に回りたがる人は多いけど、アクターに冷ややか。何ででしょうね。今回鳥越さんを応援した人たちにしても、別に鳥越さんを心底あがめていたわけじゃない。「あの名前は使える」という気持ちのほうが大きかったわけでしょう。そういう意識がある以上、そりゃ政治家の質は下がるよね、と思います。
井戸 候補者も時に「使い捨てにされる」ようないやらしさは感じることはあります。
北原 でも、そういうふうにしか政治家を見られない市民の感覚というのも、分かるんですよ。選挙で自分たちの生活が変わるとか、自分の声が投票によって反映されるという感覚をなかなか持てない。本当の意味で選挙に興味が持てない人が増えるのは当然だとも思う。
井戸 さっき、選挙の現場で感じた「暴力性」という話をしたけれど…そういう、選挙の現実の話というのは、なかなか外に出てきませんよね。現場にいる人はみんな票が欲しいから、あまり悪いイメージになるような話はしないし。でも本当は、きれいごとだけじゃないこういう現場の話を理解してもらわないと、選挙や政治のあり方は変わらない、もっと多くの人が投票に行ったり特定の候補を応援したりということにはならないんじゃないかと思うんです。現状だと、すごく隔離された世界で選挙が行われているような気がする。一般の有権者だけじゃなく、市民グループで活動している人も含めて、どこか「お客さん」なんですよね。
編集部 「考えて投票しよう」とか、「選挙に関心をもとう」とか言っている人たちと、実際に現場で選挙を闘っている人たちとの乖離が大きいということでしょうか。
井戸 そう。もちろん「政治家との対話」みたいなことは行われているけど、どこか嘘くさい。みんな「そのときだけ」で、中長期的にその政治家とちゃんと関係性をつくろうなんて思ってる有権者はほとんどいないでしょう。
編集部 でも、市民勝手連などで真剣に応援している人の中には、継続した関係性をもちたいと思っている人もいるのでは?
井戸 いるでしょうけど…政治家のほうも、市民とちゃんと向き合って関係をつくるのを面倒だと考えがちなんですよね。飲み会とかに出ていろいろ難癖(笑)をつけられるよりは、街頭活動やお祭りにちょこっと顔を出して票を入れてもらったほうが効率的だとか考えてしまう。
編集部 それを変えようという動きも、市民連合はじめあちこちであるわけですけど…。
北原 今、韓国のデモにすごい人が集まってるでしょう。あれを見ていて思うのは、やっぱり民主主義を自分たちの手で勝ち取ってきた社会は、市民社会の厚さが日本社会とは全然違うということ。もちろん、頑張っている人たちはたくさんいるんだけど、私たちは、勝ち取ってきたものがあまりにも少ないのかもしれないですね。政治に関わる人たちも、どこかプロデューサー的な視点で、市民同士が言葉を交わして層を厚くしていく力がまだ育ってない。そこにリベラルの「負け続ける弱さ」が浮き彫りになっている気がします。
「この人に入れた!」
誇らしくそう言えるような選挙がしたい
北原 最近つくづく、1990年代の小林よしのりさんの影響って大きかったなぁ、って思うんですよね。彼の存在はいわゆるネトウヨと言われるような人たちを育てたと言われてるけど、実はリベラルの言説を弱体化させるような影響を与えたんじゃないかな。
「純粋まっすぐくん」みたいな言い方をはじめ、まっすぐなことを言うリベラルな人へのおちょくり方がひどかったでしょう。特に女性の政治家へのそれは、酷かった。辻元清美さんや福島瑞穂さんへの社会的な目線って、あの人の影響、強いと思いますよ。こういう女性政治家や女性言論人に対しては「こう扱っていいんだ」という空気が生まれてしまった。
編集部 まともに取り合わなくていい、バカにしておちょくっていいんだ、という…。
北原 そういう扱いをする空気に対し、リベラルの人たちがきちんと反論せず、むしろ自分たちはそう扱われないように、という方向で言説を組んできたんじゃないでしょうか。少し保守的なリベラル、純粋まっすぐじゃない変化球のリベラル、みたいなポジショントークするようなリベラル言論人の方が受けるし。
まっすぐで正当派の女性政治家といえば土井たか子さんでしょうけど、リベラルもフェミニストも、本来はああいう系列の女性議員を増やさなきゃいけなかったんじゃないでしょうか。それが今、ほとんどいないですよね。そういう空気の中で、多くの女性政治家が「土井さんみたいな生き方はしたくない」と思っているように見える。それがとてもつらい。本当は、土井さんみたいな生き方もありなんだ、いいんだと思えるようであってほしいのに。
井戸 土井さんは兵庫の人ですけど、実は地元での選挙活動をほとんどしなかったんですよ。それでも当選し続けたのは、「土井たか子を支持する」ことがステイタス、それによって自分の価値も上がるという雰囲気があったからだと思う。
北原 それいい! 本当は、そういう選挙をしたいんですよね。胸を張って、誇らしく「この人に入れた!」って言えるような。
井戸 その意味では、今回の都知事選は本当に辛かったけど、今後野党共闘を進めたり、市民が政治に関わっていったりという上での問題点が明らかになったという点でよかったともいえるのかも。まったく準備していない状態で慌てて候補者を決めるとロクなことにならないとか、北原さんがおっしゃった「小さな声に耳を傾ける」ことの重要性とか。
北原 そうですね。そこを反省せず、「これでよし」としているのでは、これからも負け続けると思う。まずは負けをちゃんと認めることですよね。
みんな理想をもって運動しているわけだし、「勝つ」ということの前に、その理想を語れなくなってしまう不自由さって何なんだろうと思う。それは運動に常につきものの不自由さなのか、それとも何かを変えれば勝てるのか。そこをしっかりと考え続けたいと思います。
候補者として選挙を戦い、現在も次の選挙に向けて街宣に立つ井戸さんですが、「タブーは一切なし」ということで対談は進められました。井戸さんが指摘した「選挙の持つ暴力性」。疲れてしまったり嫌気を感じる理由は、そこにあったのかと共感。個人的には、「この候補者を応援することが私のステイタス」そう胸を張って言える選挙を、2017年は是非とも行いたい。そのためには何か必要かを改めて考えてみたいと思いました。
いい話が聞けて感銘を受けました。私は岐阜の野党共闘に参加して、民進党の支持団体「同盟」が野党共闘から共産党を外せ!というので市民団体を作ってそこと野党が選挙共闘をして民進党を推す「野党共闘」をしましたが、破れました。自民党王国なのでその壁を崩す政策論争が充分ではありませんでした。衆議院選挙ではお二人のお話を教訓にして野党連合を作りたいです。
お二人のいいお話が聞けて感銘を受けました。私は岐阜の野党共闘に参加しました。「同盟」が共闘から共産党を外せといいいましたので、市民団体を作ってそこと全野党が選挙共闘をして民進党の候補者を推すことで闘い敗れました。時間が短く準備不足があったと思います。東京都知事選は注目しましたが、野党の推す候補者が「政策はない」と言うのを聞いてこれでは運動にならないと思いました。
時代の危機、今最も危ない民衆。これが今年を振り返って最も感じたことだ。
偉大な人達は、アイディアについて話し、凡庸な人達は出来事について話し、狭量な人達は人々について話す【エレノア・ルーズベルト(米国第32代大統領フランクリン・ルーズベルト婦人)名言集】。
・都知事選、国政選挙、上記名言に当てはめると三段目レベ ルか。「女一人で、自民党を割って、孤軍奮闘」等という 新聞報道。それに乗っかる民衆。「消去法」を投票基準に する国政選挙。世襲、官僚出身者に政治を託す政治風土。 これも三段目レベルと評価できよう。 ・後を絶たない「いじめ自殺問題」。隠蔽の悪弊は強ま るばかりだ。これも三段目レベルか。
・新聞報道、権力者を批判するより賞賛する記事が目だつ。 戦前を教訓にできない新聞社。自らの価値観を放棄、まず は自分達が食っていくことが先ということか。これとて三 段目レベルと評価できよう。
・進入社員の女性が過労自殺した電通。御存知だろうか。2 5年前にも、入社2年目の男性社員が社員が自らの命を絶 った。過労死認定第1号である。内容は想像を絶する。社 員を擁護すべき組合が、経営者側の擁護に回ったのは驚き を通り超したものだった。
・大衆の怒りや不安へ乗じて登場するのが威勢のよい輩であ る。勇ましい言葉を弄して民衆を扇動。民衆は「決める政 治」や「強いそうなリーダー」に憧れる。中身ではない。 特にエリート層や知識人にその傾向が強い様だ。
・金メダル、国民に喜びを与えても政治を良くする力はない。 政治に力を与えるのは民衆のみである。
・解決策はないものか。急激な変化、不透明な時代である。 教育改革なくして社会の発展はあり得ない。具体的には個 人主義の徹底を図ることだ。利己主義と勘違いしてはなら ない。集団主義は国民から考える力を奪い、利己主義の繁 殖は社会の遠景を見失う。これでは三段目の脱出さえでき ない。
・高齢になって見えてきたものがある。「その人の生き様が 全てに現れる」。「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生 きるかのように学べよ」(ガンディー)。前段は難しい。 後段だけでも続けたいと思う。
民進は自公と組んで都の与党だから既得権重視で、少数与党になってまで非自民系の自前の都知事を勝ち取る気がなかったんでしょ。
「突然の選挙」もお笑いで、井戸さんのように選挙が終われば次の選挙に向けての日頃の辻立ちほかの運動を始めるもの。政策だって日頃から都連が準備しておくもので、泥縄になる方が不自然。
枠組みにしても勝つ気があるなら、連合が我慢できるように原発について目立つ発言をせず、健康で、スキャンダルがなく、そこそこ有名で他党が呑める人を立てればよかった。というか、新潟のように、民進は候補を立てず、自主投票にすればよかったんだよ。民進が自分の都合で身体検査もせずに鳥越を立てて他の野党に呑ませた。
実際には連合は自民を支持し、候補決定に禍根を残し泥縄で体力がなくて演説もろくにできず都政を知らないので討論会も避け戦争法と反原発を言うだけという前回の細川の二の舞ならぬ二番煎じで、前回都知事選の計200万票や参院選の野党票を大きく下回る惨敗となった。まあ、民進は自民系が勝てば都議会多数派与党でいられるから小池都知事勝利で予定通りだけど、民進に乗っかってしまった社共他の野党と市民団体は細川の惨敗を反省総括しきれなかったからこうなったのだ。
極右の高田誠や田母神に見られるように選挙は極めて有効な社会運動の手段だから敗けたとて有意義なのだけれど、当選を目指しているのだからサンダースのように少しずつでも得票を伸ばしていけるように計画し運動しなくちゃならない。
小池よりも先に、新潟のようにに民進自主投票でクリーンで都政に強く次点バネの宇都宮が立って非民進反自民で都政の課題をガンガン押し出して、前回の宇都宮選挙のように祭り型運動が出来れば当選できなくとも次に繋げたろうに。
まあ、社共はともかく、いくつかの市民団体も含めて、宇都宮立候補を阻止できさえすれば、相手側の自民小池でも維新橋下でも当選してかまわないくらいのノリだから、次も似たような結果だろうね。民進やいくつかの市民団体は今回の選挙でも「勝利条件」を満たしたのだから、反省も引責も方針転換も不要だもの。
民進党に関しては、民主党時代の「消費税公約違反」の問題があり、国民の信用を「完全に」失っている。あの当時国会議員だった人たちが政治を引退しない限り、健全な野党は出てこないだろう。
ズレを感じる点が2つあります。
まず、なぜ都知事選でも野党共闘をしてしまったのかということ。野党共闘の目的はあくまで国会の議席が改憲勢力によって占められることの阻止だったはずです。都政と何の関係があるんですか?
次に、政策論争などしてしまってること。
改憲を阻止するために連帯しよう、政策に折り合いがつかないこともあるだろうが、そこはひとまず脇に置こう、というのが野党連合の主旨でしょう。
であれば、その折り合いのつかないところで勝負してどうするのですか。そこを突っ込まれたら「決まってません。でも改憲のほうが問題でしょ」と返していかないといけない。
改憲を阻止することに全力を挙げ小さい声を脇において野党の共闘を貫くか、もしくはより細やかな政策を生み出すか。どちらかが正しいというわけではありません。ただ、現状はあまりに中途半端ではないでしょうか。
野党共闘は万能薬ではありません。使い所を見極めるべきです。