今週の「マガジン9」

 安倍内閣が解釈改憲によって、集団的自衛権の閣議決定をしてからはや1週間。安倍首相は早々とオーストラリアを訪問し、首脳会談を持ち、防衛装備の共同開発を進めるための新たな協定に署名。集団的自衛権容認への支持もしっかりアピールしました。スピーディで「積極的」な安倍首相のこうした行動が、国民にとって「頼もしく」うつるのか、それとも「危ない」と見えるのかは、来週早々に発表される、世論調査の結果などからもわかることでしょう。

 先日、来日中の国際ジャーナリスト、重信メイさんにお話を聞く機会を得ました。重信さんは、レバノン・ベイルート生まれ。いつも「戦争」が身近にあり、自分の身を守るため、いざという時には銃をとる。そんな厳しい環境で生まれ育ちました。

 「中立的で平和主義の日本と日本人のことを、アラブの人たちはみんな尊敬している。このイメージを捨て去ることは、日本にとって大きな損失。アメリカは世界各地の戦争、紛争に参加し続けたけれど、その結果が9・11のNY同時多発テロ事件でした。戦争に参加するということは、自分たちに敵対する気持ちを持つ相手をつくるということだから、それは必ずいつかブーメランのように自分たちのところに戻ってきてしまうんじゃないでしょうか」

 たぶん3年前なら、同じ話を聞いてもこれほど焦燥感にとらわれることはなかったのでは、と思わされました。「日本が戦争に巻き込まれることは断じてない」と安倍首相は言います。彼の言葉を私も信じたいのですが、「戦争に関与するということを、軽く見ちゃいけない」。そう語る重信さんの言葉の方が、はるかにリアリティを持って聞こえてくるのです。

 理屈ではない、しかしこの肌感覚を共有していくことも、大事なのではないか、そんなことを感じた重信メイさんのインタビューでした。

(水島さつき)

 

  

※コメントは承認制です。
vol.460
「戦争」を軽く見てはいけない
」 に2件のコメント

  1. かつてのレバノンも今のシリアも、あれは「内戦」なのであって、内戦に関しては「憲法第九条」はほぼ無力!

  2. 家畜124号 より:

    このところの米国は少々お喋りが過ぎるような気がします。日本に政治上の変化がある度に「歓迎、失望、容認」を使い分けた感情を逐一発表しています。これでは「すべての指揮を取っているのは私だ」と公言しているも同然です。
    そして米国は集団的自衛権成立の直前、中国と共に合同軍事演習をしています。これは中国に対しては「敵対しないこと」の表明、日本に対しては「中国は敵ではない」という意味のメッセージです(確かその直後にも近隣諸国との即時関係改善を日本に期待するという念押しのコメントもあったはずです)。
    更に集団的自衛権成立後、まるで事前に打ち合わせていたかのようにタイミングが良すぎる中国韓国共闘宣言がありました。しかも日本の指揮官である米国への言及はお義理程度しかありません。もはや何もかもが白々しく芝居がかって見えます。
    せっかく日本に秘密を守らせても、米国の口元ひとつで様々な思惑が見えてしまうなら台無しです。しかし、だからこそ世界は黙って見守っていられるのでしょう。日本のおもりは米国が引き受けている、手出し無用だと。何も知らされずに引き回されるのは我々人民です。

    米国の真意が日本を世界平和の見本的位置付けにするためであるなら、それは日本の平和ブランドを利用して、今度こそ世界から国家間紛争をなくそうという決意だと考えることもできます。
    しかし、実際には「日本は世界一を目指す」、「押し付けの憲法を変える」、「(恐らくは戦前の)日本を取り戻す」等の、明らかに国家間の感情摩擦が高まるはずの強すぎる国家主義宣言をほとんどたしなめてはいません。これはまだ国家の内側の問題であるから仕方ないとも言えますが、その一方では靖国問題に釘を差すなど、国家の指導者作りには余念がありません。
    日本が持つ憲法の根幹である自由と人権を脅かす特定秘密保護法の成立と、平和のための不戦を否定する集団的自衛権の成立には、共に歓迎する、とまで述べています。中国や韓国でも日本の不戦は知っているというのに、同盟国の米国が知らないはずはありません。つまり米国は自ら日本国憲法の破壊を指導し黙認していると公言した訳です。

    憲法遵守義務は国家の大前提であり、国連憲章にもそれを意味する記述が5回ほど出てきます。第110条にはストレートに「この憲章は、署名国によって各自の憲法上の手続きに従って批准されなければならない。」とも明記されています。それに対して集団的自衛権への言及は1回だけであり、しかもその内容は、国連憲章の取り決めは国連が紛争を預かるまでの間に行う自衛の手段を妨げない、という主旨のものです。
    ならば日本が行う集団的自衛権の行使は「米国が持つ外交特権の根拠」すなわち平和維持活動とは何ら関係はありません。日本の首相が国外で「新しい平和基盤を作る」といくら声を上げようがそこには何の根拠も裏付けも見えません。平和だった日本が様々な犠牲と引き換えに手に入れた、戦争には使えない武力と使わせてさえもらえない米国の権威を高らかに振りかざして、日本は平和の何を語るというのでしょう。いざとなったら米国も日本が勝手に言っている事だとはねのけるはずです。そもそもすべての戦略は秘密なのですから。

    さすがに憐れでなりません。この惨状は一体何でしょう。あまりに思い上がった日本に対する制裁でしょうか。それとも新しい冷戦の構図を描くための戦略でしょうか。「見栄くらい張らせてやれ、実利はすべてこちらが貰う」という意思表示でしょうか。きっとどれでも良いのでしょう。もう日本は米国の監視下でしか動けません。すべては米国にお任せです。政権はお望み通りに終戦直後の日本を取り戻したということです。

    私には米国の目的が何であろうと関係ありません。つけこまれたのだとしてもそれは日本の責任です。
    問題は間抜けな日本の為政者が、自身の欲望を叶えるために支払った代償はあまりにも大きいということです。

    「人民の感情を煽ってはいけない」。それは統治の鉄則です。人民が感情で動いて良いのなら、法の支配は意味を成しません。
    しかし日本は敗戦の恨みを堂々と公言し、周辺諸国の感情を逆撫でしました。それに乗じて周辺諸国も日本を許してはならないと自国民の感情を煽りました。それならもう我慢ならないと日本国民は感情を剥き出しにしてしまいました。もう取り返しがつきません。きっと大きな争いに発展するに違いありません。
    しかし思い出してください。私もすっかり忘れていました。
    日本が恨みを口にした時点で本当にはらわたが煮えていたのは、恩を仇で返された米国なのです。

    日本は一度滅んでいます。人間同士の殺しあいはもうたくさんだ。すべての過ちを背負ってでも一から国作りをやり直したい。日本国民がそう強く願ったからこそ認められた独立です。そうでなければ辻褄が合いません。ひ孫のその先の代まで恨みが連鎖することを考えれば、無条件降伏の時点で日本には別の国の名前を与えるべきだったのですから。
    日本国憲法は、立憲主義の概念すら知らずいくら言っても旧来の憲法を直せないお役所仕事の為政者に代わって、一週間を費やし世界からかき集めてくれた最高の自由と人権を持つ憲法の「お手本」を、日本が日本らしく独自に解釈したものだと私は理解しています。少なくとも私が調べた範囲ではそれを否定する史実はひとつもありません。
    そしてそれらすべてが後世を生きる我々のために誠意と愛情をもって行われたことを私が確信しているのは、憲法を上から下まで読んだからです。そこに憎しみはひとつも書かれておらず、全人類への、とりわけ日本国民への(日本国憲法なのだから権限は国内にしか及ばないのは当たり前です)深い愛情でできていることは、自身が憎しみに目を曇らせているのでもない限り誰にでもわかることです。

    その日本国憲法を忠実に運用し、生きた憲法に昇華させたのは日本国民です。70年続いた日本国憲法を否定する根拠はなにもありません。
    日本国憲法が押し付けだというのは「俺が頼んだ訳じゃねえよ、お前らが勝手に産んだんだろ」という思春期特有の若者の感情と同じです。「他国が作った憲法だから」が法的根拠になり得るならば「他人が作った法律」にどこの誰が黙って従うでしょう。皆自分勝手なルールをでっち上げて動き始めるに決まっています。国家の安定を考えれば、為政者として絶対に口にしてはならない言葉です。

    国家の罪が感情的に許されるためには最低百年かかります。それでも使用済み核燃料の廃棄にかかる年月に比べれば随分短い時間です。なのになぜ日本はそれが待てなかったのでしょう。残り30年余り、私は日本国憲法を日本国民の手で守りたいのです。
    私は国家主義者ではありませんが、日本の為政者が仕出かした無礼は日本国民として世界にお詫びしたいです。そしていつかは叶えられるであろう「戦争ができない世界」のために、日本国民の意思で本来の意味の日本国憲法を取り戻したいです。

    開戦を命ずる感情と閉戦を命ずる感情は常に正反対です。しかしどちらも人間の感情です。その一方が忘れ去られたまま言葉が飛び交う現状に、永遠に終わらせられない戦争の影を感じます。そして私は憲法の代弁者ではありませんが、憲法は私の心を代弁してくれました。日本国憲法のすべてに感謝しています。
    だから今の日本と共に暮らす事を幸せだとは思えませんし、平和だとも思いません。国民である私でさえそうなのです。「日本は!日本が!日本を!」と連呼する為政者の意に反して、世界から、あるいは少なくとも米国から、「恩知らず」の烙印を捺されたのは他ならぬ日本です。

    …私もこのところ少々お喋りが過ぎたような気がします。皆様にはご迷惑をおかけした事と存じます。
    では。

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