雨宮処凛がゆく!

 90年。イランの独裁政治から逃れるために、一人のイラン人男性が日本にやってきてから24年。

 イスラム独裁政権、難民申請を却下し続ける日本政府、そして最近では自宅の南京虫と闘うジャマルさんについての原稿も今回が最終回だ。

 最終回では、ジャマルさんが今直面している「生活」の問題について、触れていきたい。

 ジャマルさんの現在の身分は、「難民申請中の仮放免者」。滞在資格上は、働いてはいけないことになっている。が、「働くな」と言われても、「難民申請中の仮放免者」への社会保障的なものは皆無。ただ「働くことを禁止」しながら、1円のお金も保証しないなんて、「餓死しろ」「強制送還されて殺されてしまえ」と言っているに等しい。また、働いていることがバレたら収容所行き。入管収容所の劣悪な状況は、「その2」で触れた通りだ。

 そんな中、ジャマルさんは生きていくためにこの国で「外国人労働者」として工場や建築現場などで働いてきた。

 しかし、この国で「働く資格」のない外国人が働くということは、無権利な状態に常に晒されるということだ。実際、2011年から住み込みで働き始めた茨城県・鉾田市の農家で、ジャマルさんはひどい目に遭っている。

 宿舎としてあてがわれた場所は、コンテナ。連日の過酷な重労働であばらを痛め、病院に通うハメにもなった。しかも、働き始めて2ヶ月後、ジャマルさんがいつも通りの時間に出勤したところ、「こんな時間に出てくるバカがどこにいる!」「もう来なくていい!」などと罵声を浴びせられ、いきなり解雇されてしまったのだ。

 ちなみにジャマルさんが働いていた茨城県・鉾田市には外国人研修生・実習生が多く、紛争が絶えないという。ジャマルさんのいた農家も多くの外国人労働者を受け入れ、酷使していた。

 この解雇に関して、「イラン労働者共産党員」であるジャマルさんが黙っているはずがない。加入していたフリーター労組を通じて団体交渉を申し入れ。相手側が団体交渉を拒否したため、争議に入り、また、東京都の労働委員会に不当労働行為を申し立てる。闘いの火ぶたはこうして切って落とされたわけだが、今年5月、この件に関してジャマルさんは「和解協定」を勝ち取った! 相手側が誠意をもって謝罪し、和解金を支払うことで合意したのだ。この一連の闘いでジャマルさんは、「難民申請中の仮放免者」という立場上、「働く資格」がなかったとしても、こうして労働組合に加入して、「和解」を勝ち取ることができるのだ、ということを証明してみせた。さすがである。イラン労働者共産党とフリーター労組だけは、敵に回さない方がいいようだ。

 さて、そんな目出たい話はあるものの、働かないことには生きていけない。しかし、これまでの過酷な労働や長引く「難民認定されない」生活のストレスは、ジャマルさんの身体を蝕んでいた。しかも、最近わかったことなのだが、08年の時点から「QT延長症候群」という難病にかかっていることも判明。突然、脈が乱れて意識を失う発作が起きる病気で、発作が止まらない場合は死亡することもあるという。そんな病気があることを知りながら、ジャマルさんは今まで放置せざるを得ない状況に置かれていたのだ。

 また、ごく最近の診断では、それに加えて十二指腸潰瘍、PTSD関連心臓神経症の疑いという結果も出た。

 そんなこんなを受け、今年2月、ジャマルさんは支援者とともに生活保護を申請(この時点で病気のことはみんな知らなかったので、役所には話していない)。

 しかし、そのわずか4日後、役所から届いたのは「却下通知」だった。却下理由は、外国人に対する生活保護の「準用」は、「適法に日本に滞在し、活動に制限を受けない永住・定住等の在留資格を有することを要件としているので」というもの。

 立場上、働くことは禁止され、収入を得る手段がないのに、生活保護は受けられないという矛盾。というか、それ以前に、そもそも難民申請は権利であり、申請期間中もそれなりの待遇が保障されなければならないのだ。それなのに、難民条約を批准している日本はジャマルさんを「制度の谷間」に落としたまま、放置している。「就労禁止の義務」を負わせながら生活保護を利用させないなんて、みすみす「見殺し」にするようなものではないか。国際社会から「人権無視」と糾弾されてもおかしくないことなのだ。

 さて、ここまでが、ジャマルさんを巡る状況である。

 今、ジャマルさんは、支援者のカンパなどで、ギリギリの生活をなんとか維持している。健康状態も心配だ。難病なのだから、とにかく早く治療も受けてもらいたい。そして今のところ、「南京虫との闘い」にも終わりは見えていないようだ。

 近々、ジャマルさんは再び生活保護の申請に行く予定である。私もできれば同行したいと思っている。

 働いたら収容所。帰国したら拷問。それなのに、難民認定をしない日本政府。働いちゃダメと言いながら、一切の保障はしないこの国。

 そんなのって、絶対に、おかしい。

 ジャマルさんの状況に変化があったら、またこの連載で書きたいと思っている。

 応援したい、ジャマルさんのことがいろいろ知りたい、という方は、以下のサイトをご覧頂きたい。
http://j-solidality.hatenablog.com/

 また、カンパしたい、という方は、以下の口座まで。

【郵便振替】 00110-6-317603
口座名:フリーター全般労働組合
※通信欄に「ジャマル」と記入してください

 ジャマルさんは現在、イランの状況を日本に伝える「イランラディカルニュース」の発行を準備中。完成したらぜひ、多くの人に読んでほしい。その情報などもサイトで。

 また、「もうジャマルさんに早く会いたくて辛抱たまらん!」というアナタに朗報。6月22日、ジャマルさんは中野の「たこくせきフェス」に参加。イラン料理をふるまう予定。詳しくは、以下!

たこくせきフェス 2014
6・2(日)12:00〜16:00 中野駅
→ホームページはこちら

 中野駅に、ジャマルさんに会いに行こう!!

15日に開催された「安倍はダメだとはっきり言おう!」デモにはジャマルさんも参加! 一緒にデモしました。

 

  

※コメントは承認制です。
第299回 働いたら収容所、帰国したら拷問〜〜謎のイラン人、ジャマルさんは難病で難民!! の巻(その3)」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    難民認定が出るまで働いてはいけないと言われつつ、それに代わる保護も受けられない。しかも、難民認定までには年単位で時間がかかる…。それっていったいどうしたらいいの? と、とても素朴に思います。
    また、記事中に出てくる外国人研修生・実習生の置かれた状況については、ジャーナリストの安田浩一さんによる『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』をぜひ。

  2. Jamal Saberi より:

    せっかくなので、いくつか意見を述べさせてもらいます。まずは FRJ という NPO 団体のページから得た最新情報の紹介です。「去年には日本に難民申請をしているあらゆる国の人々は3260名だという事です。これは法務省入管の情報発表らしいのですが。その中から難民に認定されているのはわずか6名だって事は実に驚きです。そして、151名は人道上の保護として受け入れられた分もあります。
    しかし、この数字報告にはいくつかトリックがかかっていると僕は考えています。その理由はとして、1.国連UNHCRによると世界の難民は4500万人あまりだそうです。そのなかから日本に流れて来ているのはごく3260名って事です。そして、その中から受け入れられているのはわずか157名です。理由その2です。3260名という数字に関して大いに疑問を感じます。つまり、いったいその3260名の中からはじめて日本に来て難民申請をしているのはどの位なのでしょうか。その人々の中には2回目、3回や4回目にして難民申請をしているのは何名、何百名がいるのでしょか。その人々は何年間、十何年間、二十何年間に渡ってその申請を繰り返しているのでしょうか。 3. 157名を除いて不認定とされている人々はやはり仮放免という身分になります。いったい現在日本にはどの位の仮放免者がいるのでしょうか。また、彼らのこんな不安定な身分と暮らしはいつまで続く予定なのでしょうか。彼、彼女らはいつ、そして何回収容所を繰り返す予定なのでしょうか。2010年には入管収容所内で4名が命を落としてしまいました。さて、今後は同じく悲惨な事件が起きない保証はあるのでしょうか。 つづく

  3. Jamal Saberi より:

    法務省入管はこんなむちゃくちゃな報告を出すには幾つかの担いがあります。職員に仕事をつくっている(人々を苦しめたり殺したりする仕事)ことをアピールする一方で、また世間には難民は日本にも流れて来ているよ、と振舞をするためです。さて、どうなんだろう。例えばカナダの年間の難民と移民の受け入れは27万人です。とても日本の6名ないし157名とは比べものにはならないと思います。
    こんなむちゃくちゃな政策にもかかわらず、今度は「実習生を受け入れるよ」と。しかし、3年ないし5年間で国へ帰らないといけないんだよと。こんなのは実に信じがたいですね。まるっきり90年代の大問題発生から何も学んできていないそうですね。90年代と同じく今後も大量の実習生の受け入れ(低賃金で非正規のような労働者)は真っ先に日本労働者の暮らしと労働条件を直撃して、悪化させていきます。そこで儲かるのははやり1%の大資本家でけではないのでしょうか。

  4. Jamal Saberi より:

    2004年には茨城県の収容所内でこんな風景を見かけました。20代のフィリピン人男性を不法滞在という罪名で裁判にかけられた後でした。判決内容は、今後5年間日本には入ってこられない事でした。そして、別の紙の手渡されていました。「難民不認定の通知でした」。本人に確認しましたが、全く難民申請をした覚えはないって答えてくれました。その通知は日本語のみになっていました。
    で、法務省はこんな汚いやり方を根拠に、「日本に来る外国人は難民条約を悪用しているよ」、と平気で外向けにウソの宣伝をする。

  5. うまれつきおうな より:

    昔なにかで読んだのだが、平安時代初期の日本は「わが国は皇帝をいただき周辺国を(蝦夷のこと)従える中華だ、中国と対等だ」と言いながら中華の義務である難民の保護は果たさず、朝鮮半島から逃げてきた紛争難民を利用価値のある技術者以外はすべて追い返していたらしい。難民や実習生に対しての身勝手な薄情さは別に
    「現代の豊かさゆえに心を無くした」わけではなく、千年以上の伝統であるようだ。日本人の「判官贔屓」など幻想にすぎないと思う。不快かもしれないがこの暗黒面をもっと外国人に教えないとひどい目に遭う人が減らないのではないだろうか。(実習生についてはもっと条件のいい国へ流れ始めているようだが)

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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