雨宮処凛がゆく!

 この連載の第406回で「『ゆるふわ系愛国』のゆくえ〜安倍昭恵氏と稲田朋美氏、そして森友学園~」という原稿を書いたところ、そのネーミングに驚くほどの反響があり、東京新聞でも「絶妙な命名」と取り上げて頂いた。

 私としては大分前から「ゆるふわ系愛国」という概念があり、自分の脳内では「ゆるふわ系だな…」という感じで使っていたのだが、考えてみれば書いたのは初めてだったので、それがこれほどの共感を呼んだことに「やっぱりみんな同じ種類の違和感を持っていたのだ」と嬉しく思っている。

 さて、そんな「ゆるふわ系愛国女子」が、またまたやってくれている。

 特に昭恵氏の方は、「秘書」が籠池氏にあてたFAXが注目されている。国有地の問題について財務省に問い合わせたり、「平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」などなどの文言が散りばめられたFAX。安倍首相は自分や昭恵氏が「まったく関与していない」と言うが、あのFAXを見てその言葉を額面通り受け取る人はいるだろうか。

 そんな昭恵氏については、籠池夫人とのメールのやり取りが公開されたわけだが、このメールの神がかりっぷりがすごいことも注目を集めている。

 「神様はすべてご覧になっています」とか「祈ります」「私には祈ることしかできません」などと「神」「祈り」ワードが満載。中には「デヴィ夫人はすごいですね!」というものもあり、「デヴィ?  ”シヴァ神”とかの新種の神様登場か?」と一瞬目を疑ったのだが、デヴィ夫人と言えばあのデヴィ夫人。人間だった。が、デヴィ夫人は長らく私の中で「神仏系」に分類されている。なんとなく。

 ちなみに私は十数年以上前、北朝鮮絡みでデヴィ夫人とお会いしたことがあるのだが(みんなで船を借りて北朝鮮に行こうという計画があった)、当時ゴスロリを着ていた私はデヴィ夫人に「その恰好で北朝鮮に行ったのか」と怒られた、というどうでもいい思い出がある。
 
 しかし、初対面の人を「服装」でいきなり怒らないよな…。北朝鮮に何を着ていこうが私の自由である。が、年下の者や「自分には理解できない恰好をしている者」「自分より下と決めつけている者」を一方的に怒鳴りつける、などは自称愛国者界隈にはよくある話だ。またまた余談だが、自称愛国者は「若者が嫌い」というのも特徴だ(怒られた当時、私は20代だった)。とりあえず若者は自己中心的で愛国心に欠けている、というふわっとしたイメージがあり、だから「鍛え直すために徴兵制が必要」、とかお抜かしになったりするのだが、よくよく聞くと「若者」とちゃんと話したことが10年以上なかったりするから怖い。まぁ、今の日本はそういう高齢者が多くの権力を握っているわけである。

 さて、話がズレたが昭恵氏のメールだ。
 
 彼女のメールを読んでいて、ある意味で私は非常に勉強になった。特に「これは使える!」と思ったのは、「神様の利用方法」だ。
 
 籠池夫人とのやり取りでいよいよ雲行きが怪しくなってきた時、彼女は書く。

 「なんでこんなことになってしまったのか。神様は何を望んでいるのでしょう」

 自分にとって都合の悪い時に、これほど鮮やかに責任逃れができる言葉があるだろうか。自分は悪くない、だけどあなたも悪くない、第三者が悪いわけではない、すべては神様の思し召し。そんなふうに、角が立たずに誰も傷つかなくて済む魔法の言葉。政権側は今、すべてを昭恵氏の「秘書」である谷氏に責任転嫁しようとしているが、当の昭恵氏は「神様」に責任転嫁。えげつないほどに「神様」を利用するその姿勢には感銘を受けたのだが、彼女が言う「神様」とは、一体どんなものなのだろう。

 思わず「苦しい時の神頼み」という言葉が浮かぶが、彼女には当たらない。なぜならこの言葉の意味は、「日頃は神も仏も拝んだことのない信仰心のない者が、苦しい時や困った時や災難にあったりしたときにだけ、神仏に頼って助けを求めて祈ること」(故事ことわざ辞典)。が、昭恵氏の場合は「平時から神頼み」だろうことは想像に難くないからだ。

 さて、もう一人の「ゆるふわ系愛国女子」であられる稲田氏の記憶の「ぼんやりさ」も注目に値する。森友学園の裁判に、夫の代理として出廷していたことも忘却の彼方。はたまた夫は森友学園の土地売却にはまったく関与していない、と言い張っていたものの、籠池氏の証言を受け、夫が2016年1月、籠池夫妻と国側の話し合いに同席していた事実を認める。南スーダン日報問題での野党の追及に関しては一部メディアに「稲田いじめ」とフォローされることもあった稲田氏だが、もはや誰も彼女をかばえないレベルにまで達している。

 そんな中、今「愛国絡み」で話題になっているのが小学校の道徳教科書検定だ。

 文科省の指摘を受け、教科書に登場する「パン屋」が「和菓子屋」に変えられ、「公園」が「和楽器店」に変えられたというアレだ。文科省は「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明しているそうだ。

 なんだかもう、笑い話にしか思えない。これもひとつの「忖度」なのだろう。パン屋を和菓子に変えれば、国や郷土に対する愛着が増す、なんて本気で思っている人なんてたぶん一人もいないのに、こうして本気で教科書が変えられているという不気味さ。この国の「愛国」の中心は、いつからか笑ってしまうほどに空っぽだ。だけどこのように「先回りして空気を読んで忖度する」繰り返しが、取り返しのつかない事態を生んだことを私たちは歴史の事実として知っている。

 森友学園にしても、教科書検定にしても、起きていることの一つひとつはおぞましく、また権力というものの暴力性について打ちのめされるほどの事態なのに、昭恵氏が語る「神様」という言葉の軽さや、「パン屋が和菓子屋かよ」というマヌケさに、少しずつ焦点がズラされていく。これは笑い事ではないのだと常に自分に言い聞かせていないと、何もかもが「苦笑い」に塗り替えられてしまいそうになる。

 安倍首相は森友学園の問題について、「私や妻は一切かかわっていない。もしかかわっていたなら間違いなく、首相も国会議員も辞任するということを、はっきり申し上げる」と言っている。

 「婦人公論」(2014年7月22日号)の曾野綾子氏との対談で、昭恵氏は、曾野氏の「ご主人はいつの日か総理をお辞めになった暁には、何をなさりたいのかしら」という質問に対して、以下のように答えている。

 「『UZU』を自分がやりたいと言い出して(笑)」

 「UZU」とは、昭恵氏がやっている居酒屋だ。ぜひ、安倍首相には「UZU」の店主になってもらいたい。秘密保護法、安保法、生活保護引き下げ、派遣法改悪、カジノ法、年金引き下げなどなど、安倍首相がやってきたことは、この国に住む人々の声を掬い取ってくれているとはまったくもって言い難い。このまま行けば待っているのは共謀罪、そして憲法改正だ。安倍首相はぜひ、今すぐに「UZU」の店主に! 今みたいに毎日責められてるより、絶対そっちの方が楽しいって! 野党の追及より、酔っぱらいの相手の方がまだマシだって!
 
 と、誰か安倍さんに近い人、説得してくれないだろうか。本人にとっても日本にとっても、そっちの方がずーっと「平和」だと思うのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第410回続・ゆるふわ系~「和菓子」程度の愛国~の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    「パン屋」と「和菓子屋」の話は、あまりにもバカバカしいのですが、笑い飛ばすことができません。そんなバカバカしい検定が実際に起こっているのが、いまの日本だからです。非常識な嘘や出来事が続くなかで、それに慣れて鈍感になってしまうことが一番怖いことかもしれません。

  2. 昭恵さんの信仰は一応キリスト教なんだろうけど日本では特にキリスト教は宗教として死んでいると感じますね。
    曽野綾子氏のような弱者を平気で切り捨てる人が左翼リベラルからだけの批判でキリスト教側から厳しく批判されていないようですしね。

    あたしは子供の頃から色々迷った後50歳を過ぎてイスラームの信仰に入りました。

  3. うまれつきおうな より:

    郷土を愛するのなら神戸なぞは和菓子屋ではなくパン屋だろう。籠池氏が愛国心に目覚めたのは阪神大震災での被災者の態度を見てだそうだが、神戸ほど偏狭なナショナリズムと郷土愛が両立しない土地柄もないと思う。一体どこをどうすればああいう事になるのだろう?結局人間は自分の見たいようにしか物を見ないということだろうか。

  4. 鳴井 勝敏 より:

    magazine9 よりの コメント「それに慣れて鈍感になってしまうことが一番怖いことかもしれません。」その通りである。
     しかし、もう鈍感になって久しい。私が最も恐れているのは老若男女を問わない「沈黙する国民」である。彼等は民主主義に欠かせない「批判」を沈黙するのだ。彼等は、「世論調査」を通じ政治を動かす主役である。
     しかし、これは日本憲法が目指す「法の支配」とは違う。「人の支配」そのものである。「忖度」政治がその証である。独裁政治の萌芽があちこちで出始めた。これが最も怖い。
     主因は、民主主義の成熟を期待しない学校教育のカリキュラムにある。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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