伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2013年4月6日@渋谷校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家などさまざまな分野で活躍中の人を
講師に招いて行われている「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

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講演者:稲川素子氏(芸能プロモーター、稲川素子事務所社長、NPO 日本・ロシア協会 常任理事、公益財団法人ケア・インターナショナルジャパン評議員、河口湖オルゴールの森美術館館長)

講師プロフィール:
1934年生まれ。専業主婦だった50歳のとき、ピアニストの長女が出演するテレビドラマの収録に立ち会ったのがきっかけで、外国人出演者の紹介をするようになる。その後、稲川素子事務所を設立。現在、所属タレントは世界142カ国、5200人の業界大手に。仕事の傍ら勉強も続け、慶応義塾大学に再入学し70歳で卒業。その後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程を経て、博士課程進学。専攻は、国際社会科学専攻、国際関係論分野。著書は、『一途、ひたすら、精一杯』(講談社)『ハローキティとモコちゃんの世界45ヵ国のありがとう』(講談社)など。

■ゆめ疑わず、決して疲れず、断じてやすまない

 先日あるテレビ番組に出演をさせていただいた時、司会の方より「稲川さんは、50歳で起業し、ここまで大きなタレント事務所に育てあげたわけですが、成功の秘訣は何ですか?」と聞かれました。「成功の秘訣? そうですね…でも成功というのは目的ではありませんよね。それは結果ですから」とお答えしてしまいました。

 自分がこれをやるんだと、熟慮の上にやり抜こうと志したことは、まわりから反対されても、時には嘲笑を受けても、「艱難辛苦を乗り越えて一歩一歩前に進む」そして「ゆめ疑わず、決して疲れず、断じてやすまない」。このことは、会社を始める前からの私の生き方のモットーでもあります。そう思ってやってきただけなので、成功を手に入れたというよりは、一歩一歩と成長をしてきたのではないかと思うのです。

 現在、稲川素子事務所に所属の外国人タレントが、142カ国、5200人ほどいます。お客さまは、主にテレビや映画業界ですから、早朝から深夜まで本当に働きづめでここまできました。タレントさんは日本語ができない方も少なくないので、通訳も私たちスタッフがやることが多くあります。
 しかし私は、外国人を相手にした、国際的な仕事がしたいと思ったわけではありませんでした。きっかけは、本当に偶然のようなもの。私の一人娘は、ピアニストなのですが、彼女があるテレビドラマのクラシックコンサートのシーンに出演することになりましたので、撮影当日、私も現場に立ち会っていたのです。そこで、その監督さんが、「次は映画の撮影をするんだけれど、誰かフランス人の知り合い、いないか?」と困った様子でみなさんに聞かれていました。
 私が思わず「お友達が一人いるかも」とつぶやいたら、「是非、紹介して! クランクインが間近なんだ」と言われました。そこで、私の知り合いのフランス人に電話したところ、彼はもうフランスに帰ってしまっていたのでした。その時監督さんに「お役に立てずに申しわけありませんでした」、そうお返事していたら、現在の私も会社もなかったと思います。あまりにも監督さんが困っていらしたので、なんとか代わりの人を探してあげたいと思って、あちこちに電話をしているうちに、日仏学院からジャン・ポール・ミクロさんという、文化庁から派遣され来日していた演出家で元俳優という方がいると教えていただいたのです。すぐに飛んでいき直接交渉をして、出演してもらうことになりました。
 その方の演技が素晴らしかったので、「稲川さんに頼めばいい外人さんを紹介してくれるよ」と口コミで広がっていったのです。

■お客様のご要望に100%答えることは、
1000枚の名刺を配るよりも強い営業

 「こういう方を紹介して」と頼まれればその方の希望に添えるよう何とかしたい、と思うものですから、ついいろいろと頑張ってしまいます。最初はずっとボランティアでやっていたのですが、依頼が後を絶たないものですから、「ちゃんと仕事にした方がいい。会社にして労働大臣の認可も取った方がいい」とアドバイスをされ、結局それまでずっと主婦をしていた私が、50歳の時に会社を設立することになりました。

 まったくの素人でしたので、事務手続きや設立資金を集めることなども大変だったのですが、計画的に事業を興したわけでもないので、設立時には、所属タレントは一人もいませんでした。明日収録の番組に出演する人も確保できていない、というようなことが続く有様でした。しかもお仕事はどんどん頂戴します。需要に対して供給がまったく追いつかない状態でした。
 「これはもうスカウトするしかない」と、私は毎晩六本木の街角に立っていました。適任の方が見つかるまで、何時間でもねばりました。でもこの「スカウトする」ということは、いろんな意味で後々の役に立つ勉強になりました。
 例えば、心と言葉を尽くして、お話をすることの大切さなどです。お互いに初対面ですし、名刺を渡してもそのときの私の名刺なんて、何の意味もありません。それに芸能界のお仕事というと、どこかいかがわしいという感じでも見られます。一生懸命に私の仕事やお願いしたい内容についてお話をしても、なかなか「はい」とは言ってくださらないんですね。ついに「わかりました。では明日、スタジオに行きます」と約束しても、本当に来てくれるかどうか、保証はもちろんありません。
 でも今思うと、私がスカウトした人、100%来てくださいました。約束の時間と場所に、その方の姿が見えた時の安堵とよろこびといったら! 外国の方たち、特に欧米の方たちは、契約社会の文化の中で生きています。このときは私とは紙の契約書を結んでいるわけではありませんね。でも、人間同士の「心の契約」を守って来て下さった。私が本当に困っている様子を見て、みなさんが助けてくださったのです。

■実年齢より10歳年をとる
「思い込み年齢」で自分を追い込む

 人間というのは、年をとってくると一番欲しくなるのは「若さ」です。「あと10年若かったらあれもしたいし、これもできたのに」と。そこで私は、自分をより過酷な状況に追い込むために、実年齢にプラス10歳したのが自分の年だと思い込むようにしました。ですから65歳の時の「思い込み年齢」は、75歳です。
 私は若い頃、病気のために大学を中退しています。戦後の栄養不足のため、東大病院に入院しておりお医者さまから「長くは生きられないでしょう」とも言われていました。でも75歳まで長生きできたので、もう一度大学にもどって勉強したい、「ああ、でもあと10年若ければ…」。そう思っていたところ、「あ、でも私の本当の年齢は65歳だった!」。すぐに母校の慶応大学に行き、再入学できないかを、たずねに行ったのでした。

 晴れて念願の大学生になれたものの、仕事と勉強を両立することはとても大変でした。「自らを劣悪な環境において、鍛えているのよ」。そう言ってましたが、実際は、仕事と試験と論文に追い回され、本当に過酷な日々でした。それでも70歳の時にやっと卒業することができました。するとあんなに勉強がきついと思っていたのに、次は大学院で学びたいと思うようになっていました。それも東大の大学院に行きたいと。
 東大大学院には、3度目の正直でなんとか合格し入ることができました。安田講堂での入学式の後、すぐに三四郎池に行き私は「ばんざい!」と叫びました。人生というのは、本当に何がおこるかわからない。少女の頃は、同じ東大でも東大病院に入退院を繰り返し、自分の命があとわずかしかない、と悲観しこの三四郎池で泣いていた私が、75歳まで生きのびて、しかも学生になってここにもどってこれた! 私にとって人生最良の日でした。

■論文のテーマは、
「日本における入管政策の変遷と課題」

 大学院では、国際社会科学の国際関係論を専攻しております。私の論文のテーマは「日本における入管政策の変遷と課題」。なぜこのような課題を選んだかといいますと、私は外国人のビザを入国管理局に取りに行くといういわゆる入管手続きを、この30年間続けてきたわけです。東京の入国管理局は、今は品川にありますが、当時は大手町にありました。
 今でもよく覚えていますが、事務所の暗い廊下の端に「興行」と書かれた6番窓口がありました。芸能プロモーターは、エンターテイメント業ですから、当時は「興行ビザ」をとらなくてはいけません。その窓口に続く狭い部屋の待合いには、私以外はほとんどがパンチパーマの方たちでした。彼らはたいてい、30枚ほどの大量のビザをまとめてとっていくので、とても長い時間待たされます。私はそこでいろいろなことを見てきました。
 特にフィリピン人の場合、外国に出稼ぎに行くことをフィリピン政府も奨励しているわけですが、日本以外の国へは、家政婦や介護士や看護師として行きます。でも日本に来るフィリピン人は、ほとんどが飲食店やサービス業といいながら、水商売、いわゆるホステスや性産業に従事しています。どうしてこんなことになっているのか? 日本はこの点について少し独特なことになっているんですね。
 法務省入国管理局という厳粛なる法をつかさどる場所や入国管理法という法律と、現実とのギャップは大変なものだと感じます。この矛盾についての問題意識が、論文テーマの原点となりました。私がずっと体験してきたことを縦糸にして、また学問で学んだものを横糸にして、論文を書きたいと思いました。

■今は、国家百年の計を決める時では? 

 今、ますますグローバル化が進み、日本も少子高齢化は免れないこととして、外国からの労働者を受け入れていかなければならない時代にきています。でも肝心の日本の方針が定まっていません。外国人を労働者としてこれからどんどん受け入れようと、移民も積極的に受け入れるようにするのか、それともフランスのように、移民政策は厳しくやっていくのか、どっちの方向性なのか、よくわかりません。国家百年の計と言いますが、この問題はとても重要なことですから、新たな国家機関をつくるなどして方針を固めたら、外国の方たちが働きやすい環境を整える、彼らの適性がちゃんと活かされるような法整備をつくっていく、それができないと日本の内なる国際化は難しいと思います。
 将来は法曹の世界に身を置く若いみなさまに、是非このことは、お願いしたいことだと思います。

 

  

※コメントは承認制です。
精一杯は万策に勝る
稲川素子氏
」 に1件のコメント

  1. マシューティング黒助 より:

    政府がこれから行うことと今後の行く先に関しては、まさに闇尊光卑(あんぞんこうひ)的な蚊羅屍黽怠国(からしめんたいこく)を造り出す為の尖塊血駆動(せんかいちくどう)である!

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