原発震災後の半難民生活

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 義父宅の写真に感じた居心地の悪さ…… その陽気な雰囲気の向こうから立ちのぼる暴力のにおい……

 私が上のように感じた理由は他にもあります。

 恩納村の雑木林で女性の遺体が発見された日から、三日後のことでした。かつて娘のKが通い、現在は息子のEが登園しているM保育園の父兄のもとに、一通のメールが転送配信されました。

 妻から再転送されたメールの文面を引用します。

注意喚起!!――

 昨日の午後四時二五分ごろ、Z給油所とN商店の間の道で、Yナンバーの車に乗った外国人男性による児童・生徒への声かけ事案が発生しました。「お菓子をあげるから車に乗って」と声をかけられた模様ですが、児童・生徒はその場から逃げたとのことです。この件に関しては、警察に連絡をしました。

 新年度に入り、このような声かけ事案が多発しています。地域の皆さんも、次の対応により、安全確保に努めてください。

•裏通りや人通りの少ない道を通らない、道草をしない。
•絶対についていかない、車に乗らない。
•近くの家や大人に大声で助けを求める。
•車両のナンバーを見て、すぐに110番に通報。

 ○○役場 ○○課より

 最初に目を通したとき、私は比喩ではなく、背中から冷や汗がふきでるのを感じました。Z給油所も、N商店も、M保育園から歩いてすぐの場所にあります。メールには「Yナンバーの車」と明記されていますから、子どもに声をかけた「外国人男性」が米軍関係者だということは明らかでした。

 現場のすぐ近くには広大な敷地を占領する米軍基地のゲートがあるのですが、その基地の特性から考えて、声をかけたのは海兵隊員だった可能性もあると思います。「海兵隊はこわい。二十才前後の若者が多いから、何されるか分からない」。地元の人からは、こういう話をよく聞きます。

 何よりもショックだったのは、恩納村での遺体発見報道の直後に、私の子どもが登下校する界隈でこのような出来事が起きたことでした。ごく日常的な空間のあちらこちらに暴力の気配が漂っていて、女性、子ども、そこに暮らす人々をなぶりつづけているように思えたのです。殺人事件そのものをせせら笑うような不気味な出来事を前に、私は言葉を失いました。

 この件があってから初めて知ったのですが、同じようなメールは、今まで何通も妻のもとに転送されていたということです。心配性の私のことを考えて、妻が知らせるのを控えていたのです。ニュースで報道される米軍兵の暴行事件が、氷山の一角でしかないということを思い知らされたのでした。

 このように厳しい沖縄の現実は、私が所属する本土の側にはまったく伝わっていません。この点ひとつを取ってみても、両者の間に横たわる圧倒的な落差を垣間見る思いです。

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※コメントは承認制です。
5章:再び宇都宮にもどってからのこと その2「加害者」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    東京電力福島第一原発事故が起こり、飛行機に飛び乗り向かった先の沖縄は、その後、母子が生活する場所となることで、「地元」となりました。そこには、心あたたまる人々とのふれあいや安心感があると同時に、「本土」では想像することもできないような、厳しい沖縄の現実がありました。筆者の苦悩を、私たちがどれほど共有できるか、それが問われています。

  2. とろ より:

    これに似た事案は本州でも起きてますよね。
    沖縄特有ってことはないでしょ。

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