ひとみの紐育(ニューヨーク)日記

1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。

*タイトルの写真は、紐育に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。

第2回

彼はアメリカン・ドリームの象徴だった…

 アメリカ合衆国の中央銀行である、連邦準備制度理事会(FRB)のジャネット・イエリン議長は、6月6日(日本時間7日)、米雇用統計の急な減速ぶりに対し、「失望した」と講演で語った。この異例な発言は、米労働省が6月3日に発表した5月の雇用統計が、4月に比べ、3万8千人増だったことに起因。3月の12万3千人増から、急激に伸びが鈍っている。
 「全てあいつのせいだ」。
 親子3代に渡って共和党員、というウォール街のベテラン・アナリスト(50代)がぼやく。「あいつ」とは、大統領選挙を前に、数々の挑発的な発言で世を揺るがし、共和党指名を確実にした候補、トランプ氏だ。
 「市場、マーケットはびくびくしている。ボラティリティ(脆弱性)以上の話だ。非製造業関係の景況指数の悪化。非農業部門に就業する人々の数が増えず、急に減速中であること。一番の問題は、あと5ヶ月で大統領選挙なのに、あいつの暴言や妄言が巻き起こしたヒステリアのおかげで、候補とその政策どころか、景気の先行き感までが揺さぶられ、混沌とし、全く何も見えてこないことだ」。
 それでも、共和党員として、予備選を勝ち抜いたトランプ候補に投票しますか、という問いに対し、彼はため息をつく。
 「わからない。今のところ、何も言えない。投票日にブースに入り、やっと候補者を決められるかも知れない。現時点でわかっているのは、アメリカは国家として、保護主義的な方向に進んでいること、だけだ」。
 「言葉より金がものを言う」との米の格言通り、生存競争の極地、弱肉強食の摩天楼。この街で、同候補は父親の不動産業を継ぎ、PR作戦でマスコミを利用、まず紐育(ニューヨーク)でセレブたる地位を確立した。そして、テレビのリアリティ・ショー『アプレンティス』(弟子、の意。ボス、トランプ氏の命令で様々な仕事に挑戦する一般参加者達のバトルを描く。優勝者は彼の会社に就職。2004年〜米放映。有名人バージョンは日本放映)に主演し、番組は全米でヒット。広く知られる存在となった。
 様々な仕事人達の街、紐育の雑踏で、この街と候補に憧れて紐育に引っ越した、という若者に出会った。24歳の彼は南部ジョージア州出身のホームレス。イエリン米FRB議長と同じ「失望した」という表現で、「アメリカン・ドリーム」を語った。
 「僕の母は看護士、シングルマザーで、親ひとり子ひとりで育った。いつもテレビがベビーシッターだった学校時代に、『アプレンティス』を見て育った。彼みたいな実業家になって金儲けをするのが夢で、大学でビジネスを専攻し、バイトで貯めたお金でバスを乗り継ぎ、憧れの紐育にやって来たんだ」。
 「色々な下働きをしたけれど、どれも長続きせず、貯金を使い果たし、知り合いのアパートのソファーを転々とした。結局は今、こうして外で暮らしている。学生ローンの返済問題も抱えているんだけれどね」。
 紐育市のホームレス数は、1930年代の経済恐慌以来の「最悪の状態」(ホームレス保護団体、コーリション・フォー・ザ・ホームレス)。ニューヨーク・タイムスの今年2月5日付の記事によれば、昨2015年度、市内のホームレス数は7万5千323人。うち、彼のような18歳から24歳までの若者の数は1706人で、上昇ぶりが著しい。
 「(あの候補が)僕にとっての紐育、アメリカン・ドリームの象徴だった。イメージにだまされた、と気付いた時はすでに遅かった。夢が破れた今、僕のチョイスは、母の元に戻ることだけなんだ」。
 私が手渡したサンドイッチを貪る彼に向かって、通りがかりの2人組が声をかけてくる。「おい、お前、白人、若いんだろ。ゲット・ア・ジョブ! 仕事に就けよ」。
 メキシコ系アメリカ人と、湾岸戦争に従軍した元米兵という白人の2人組は、国際全米労働者組合のメンバー、と語る。「トランプ氏と米国の夢、の話をしていたのよ」と私が言うと、メキシコ系の男性が笑った。
 「へっ、あいつの作る世界は架空なんだ。俺達の組合は、現実的なクリントン候補(民主党)を支持している。あの大嘘つきみたいに、人が口で言ってることを丸飲みにして信じちゃダメさ。投票、って行動に移さなきゃ、何も意味が無いじゃないか」。

*追伸 入稿時の米6日夜(日本時間7日)、クリントン前国務長官は民主党候補指名を確実にした、とAP通信が報道。翌7日のカリフォルニア州予備選の結果を待たない形となった。民主、共和の二大政党に於ける女性の大統領指名候補は、米初めてとなる。

アメリカン・ドリームに敗れ、南部に帰る資金を集めているホームレスの男性(右)。左の2人は国際全米労働者組合の組合員。紐育のミッドタウン。
(2016年6月6日 撮影:鈴木ひとみ)

 

  

※コメントは承認制です。
第2回 彼はアメリカン・ドリームの象徴だった…」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

     トランプ氏がホストを務めた人気番組『アプレンティス』は、WOWOWでも放映されていたそうで、サイトの紹介ページを見るだけでも、この番組の「世界観」を伺うことができます。テレビの娯楽番組から首長や国会議員になった「タレント」は、日本にもたくさんいますが、アメリカ大統領になるのとは、またわけが違う…とも思いつつ、その構図は同じなのかもしれません。
     さて、ヒラリー候補の民主党指名確実のニュースも入ってきました。さらなる展開はあるのでしょうか? 来週もお楽しみに!

  2. イエリン、景気の減速の責任をまだ権力すら握ってない人のせいにしてちゃダメじゃん!まあ利上げやって、結果「全てあいつのせいだ」って言われるのが怖いのはわかるけども。

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鈴木ひとみ

鈴木ひとみ
(すずき・ひとみ)
: 1957年札幌生まれ。学習院女子中高等科、学習院大学を経て、80年NYに留学。帰国後、東京の英字紙記者に。87年よりNYで活動。93年から共同通信より文化記事を配信、現在に至る。米発行の外国人登録証と日本のパスポートでNYと東京を往還している。著書『紐育 ニューヨーク!』(集英社新書)。
(Photo: Howard Brenner)

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