ひとみの紐育(ニューヨーク)日記

1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。

*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。

第11回

9・11と3・11

 米中枢同時多発テロから15年、東日本大震災から5年半経った。
 今年、15周年の紐育(ニューヨーク)、「あの日」は日曜日だ。
 夢と希望と出会いに満ち、有名人とエリートだらけのおしゃれな街、セレブ・シティ、とのイメージ通りの生活が紐育で出来る人達は、ごく一握り。それとは裏腹に、生活に追われ、仕事をしなければ食べていけない働き者が多数いる街の休息日、日曜日。
 ワールドトレードセンター(WTC)のツインタワーに、ハイジャックされた飛行機が一機ずつ突っ込んだあの火曜日の朝から15年後、街頭や地下鉄には街っ子の姿は数えるほどしかなく、観光客が目立った。
 昼過ぎのJFK空港。大きなライフルを手にした州兵2人がターミナルを威圧的に歩き、警備員や職員は、神経質な表情でピリピリムード、いつもよりずっとすいている。
 仕事から戻った後、JFK空港がある紐育市クイーンズ区から、エアトレインで、同区ジャマイカまで行く。ここで地下鉄に乗継ぎ、マンハッタン区に向かうわけだが、自分がマイノリティ、有色人種であることをとても意識させられる空港の緊張した雰囲気を後に、気持ちを切り替えたくて、乗り継ぎ駅構内にあるバーの止まり木で一休みした。
 バーメイドは、小学校1年生の時、バングラデシュから両親と共に移民として紐育にやって来た、という女子大学院生。私の横は、ハイチ系、エジプト系、それぞれ30代の男性。この2人はハイヤーの運転手で、夜通し働き、会社の車庫に車を戻した後、帰宅前の一杯を、と言う。
 9月11日。最初は誰も何も語らない。でも、どこにいても、何をしていても、この日、世間話を始めると、なぜかあの日の話になる。会話の空間に漂うあの日の存在。
 今日、バーで初めて出会った、この見知らぬ3人は口々に語り始める。それぞれ、親に連れられて子どもの頃、紐育に移住し、小学校、中高時代に移民としてあの日を体験した。今は市民権を得て米国籍という。
 「あの日は怖かった。この国に来たばかりで、学校が始まった直後で、子ども心に、私達イスラム教徒はみな殺されるのではないか、と思った。心のどこかに、あの恐怖心がいまでも残っている」(当時小学2年、というバングラデシュ出身の女性)。
 「アイ・アム・ブラック、黒人であることに誇りを持っている。僕はハイチ・クレオール、フランス語系のクレオール語を話すが、あの日は、移民としてブルックリンに住み始めた頃だった。英語になまりがある、お前はアメリカ人じゃない、と学校でいじめがひどくなったのは、あの日からだった。僕はカトリック教徒なのに、お前はイスラム系だろ、とも侮蔑された。あの日を境にヘイト、差別がひどくなった。もちろん、米国に帰化した今でも傷は感じるよ。15年生き延びたって楽天的に考えたいけれど、複雑な心境だね」(当時中学3年、というハイチ出身の男性)。
 「あの日から、復讐だ、とイスラム教徒がヘイト・クライムの標的になり、全てが始まった。狂信的なテロリスト達が掲げるイスラム教は、僕が両親から受け継ぎ、信じている宗教ではない。飲酒禁止の厳格な宗派から、こうやってバーでお酒飲んでる教徒までいるんだから、色々なのにね(笑)。日本人だって、(1941年の)真珠湾攻撃の時、米国生まれでも、米国で収容所に入れられただろう? それと同じことが、僕らにも起こるんじゃないか、とあの頃、思ったし、今だって、彼(トランプ氏)が大統領になったら、メキシコ人どころか、僕らも…と、思うんだ」(当時高校1年、というエジプト出身の男性)。
 あれから15年経ち、あの日、紐育にいた人といなかった人、微妙に話が違う、そのギャップが年々広がっている印象がある。これもある種の分断、両極化なのだろうか。おしゃべりな紐育っ子が、しばし黙り込んでから、話を始める。お互いに心の傷を確かめる日、なのかな、とも感じる。
 そして、米国はあの日から「対テロ」の旗印を掲げ、戦後最長の戦争に入り、現在に至っている。9・11(ナイン・イレブン)を紐育で体験した私は、あの日のあの、筆舌に尽くしがたい「死」の匂いが忘れられない。そして3・11(スリー・イレブン)の東京、静かに忍耐強くバスを待つ長蛇の列の横で、「何が起こっているの。どうしたら良いの。誰か、助けて!」と英語でヒステリカルに叫び、私がいくら話しかけても、異なものを見るような目つきで怖がった20代の白人女性3人組の泣き声も。
 心身ともに疲れ果てた時、日米共々、この私達のいる世界はみな、今、破滅の道を歩んでいるのではないか、と、ふと思うことがある。一年前、泡沫候補、と一笑に付されていたトランプ氏が、大統領選で勝利を収めたら、世界は一体、どうなるのか、と不安になる。そんな時は、「明けない夜が来ることはない」と必死に信じようとするのだが…。

「モスレムとして、犠牲者達に敬意を表し、メモリアルで祈りを捧げてきた」という紐育生まれの女性。世界貿易センター跡地に8月中旬オープンしたショッピングモールで。(2016年9月11日 撮影:鈴木ひとみ)

 

  

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第11回 9・11と3・11」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    どれだけ時間が経っても、あの日の衝撃は忘れることができません。3・11を機に政治への思いが変わったという人に多く出会いました。それだけ大きな出来事でした。米国は、また日本とは違う意味で、9・11の影響を受け続けているのかもしれません。過去をよりよい未来のために生かすことができるのか――日米とも問われていることは同じです。

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鈴木ひとみ

鈴木ひとみ
(すずき・ひとみ)
: 1957年札幌生まれ。学習院女子中高等科、学習院大学を経て、80年NYに留学。帰国後、東京の英字紙記者に。87年よりNYで活動。93年から共同通信より文化記事を配信、現在に至る。米発行の外国人登録証と日本のパスポートでNYと東京を往還している。著書『紐育 ニューヨーク!』(集英社新書)。
(Photo: Howard Brenner)

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