小石勝朗「法浪記」

 地方の首長(都道府県知事や市町村長)が在職中に取った施策に絡んで、自治体が首長個人に賠償を求めることが妥当なのか。

 地方自治の根幹に関わってくるテーマの裁判が東京都国立市を舞台に繰り広げられていることは、当コラムで2回にわたって取り上げてきた(たとえば「首長個人に施策の賠償責任が及ぶとしたら~元国立市長への求償裁判のゆくえ」)。市内への高層マンション建設をめぐる裁判で敗れた国立市が、当時の市長の上原公子さんに対し、開発業者に支払った3123万9726円の損害賠償金(+利息)を個人で負担するよう求めていた。

 提訴から3年近くに及んだ裁判の判決が、9月25日に東京地方裁判所(増田稔裁判長)で言い渡された。結果は、上原さんの「事実上の全面勝訴」(弁護団)だった。

集まった支援者に「勝訴」を報告する上原公子さん

 ここに至るまでの経緯はかなりややこしい。改めて、かいつまんで紹介する。

 上原さんが国立市長に就任した1999年に、JR国立駅前から一橋大学の前を通って真っ直ぐ延びる「大学通り」沿いに高さ44メートル(14階建て)の高層マンション建設計画が浮上したのが、事の発端だった。反対運動が起きたのは、それ以前から大学通りの沿道では、建物の高さは街路樹を超えないようにするという暗黙の申し合わせがあったからだ。

 このため市は翌年、マンション建設に対抗して景観を守ることを目的に、一帯の建物の高さを20メートル以下に制限する条例を制定した。もちろん、市議会で可決されてのことだ。

 これに対してマンション開発業者の明和地所は建設を進める一方で(マンションは2001年末に完成)、市を相手に損害賠償を求める訴訟を起こす。05年の2審・東京高裁判決〈判決①〉は上原さんによる営業妨害と信用毀損行為を認めて市に2500万円の賠償を命じ、08年に最高裁で確定した。市が利息を含めて明和地所に支払ったのが、上原さんが今回求償されている3123万9726円だ。

 ただし明和地所は、国立市から受け取った賠償金と同額を、その後、「訴訟の目的は金銭ではなく、業務活動の正当性を明らかにするためだった」として市に寄付している。市は敗訴したものの、実質的な財政上の損害は出ていない。庶民感覚からすれば、それでもなお上原さん個人に請求するべきなのかの大きなポイントだと思う。

 上原さんが07年に市長を退任した後、一部の市民が後継の関口博・前市長に対し、明和地所に支払った金額を市が上原さんに請求するよう求める訴訟を起こし、東京地裁は10年にこれを認めた〈判決②〉。市は控訴したが、直後の市長選で関口さんを破って当選した佐藤一夫・現市長が取り下げてしまい、〈判決②〉は確定。佐藤市長は11年12月に上原さんを提訴するに至った。今回の裁判である。

 高さ制限条例の制定をはじめとする上原さんの行政運営が、市民の意思や主体的な行動を汲んだ「市民自治」の営みだったのか、それとも上原さんの主導による中立性・公平性を逸脱した営業妨害だったのか、が最大の争点になった。裁判では条例制定を求めた中心メンバーの証人尋問が行われ、地元住民自らが素案を作って5日間で地権者の82%の同意を集めた経緯が詳しく説明された。

 で、判決。

 実は、判決の結論部分はあっさりしている。市長としての上原さんの行為が違法だったかどうかについて、正面からは判断していない。そこに至るまでもなく市が上原さんに求償することは認められない、という論理だからだ。

 判決が重視したのは、国立市議会が昨年12月に可決した「権利の放棄についての決議」だった。「明和マンション問題は、大学通りの景観を守れという『オール国立』の声を国立の住民自治としてすすめたものであり、元市長個人に請求することは妥当ではない」として、〈判決②〉が認めた上原さんに対する市の債権(求償権)を放棄する、という内容だった(詳しくは拙稿「市議会も絡んで異例の展開を見せる元国立市長への求償裁判」)。

 しかし、佐藤市長はこれに従わず、裁判を継続した。決議に不服があるなら、市議会に対して再議(審議のやり直し)を求めることができたのに、そうした手続きを取らなかった。

 判決は、にもかかわらず佐藤市長が上原さんへの求償権を放棄しないことが「権限の濫用」にあたると認定。市が上原さん個人に賠償を求めることは「信義則に反し許されない」と結論づけて、市の請求を退けた。

 とはいえ判決は、結論部分の前提として市議会決議の有効性を検証する中に、市長としての上原さんの行為の妥当性や違法性についての判断をちりばめている。

 少なくとも、上原さんはこれらの行為を、明和地所という特定の企業の営業活動を狙い撃ち的に妨害しようとして行ったわけではなく、あくまで景観保持という自身が掲げる政治理念に基づいて行ったものであり、また、それによって何らかの私的な利益を得ているわけではない。
 上記のような行為の前提として上原さんが掲げていた政治理念自体が、民意の裏付けを欠く不相当なものであったと認めることはできない。
 仮に〈判決①〉や〈判決②〉の判断を前提とするとしても、上原さんが国立市長として行った各行為は、違法性の高いものであったと認めることはできない。

 判決は、明和地所が市から受け取った賠償金と同額を市に寄付したことにも触れ、寄付によって上原さんへの求償権が消滅したとまでは言えないとしながらも、「少なくとも、国立市の財政における計算上は、損害賠償金の支出による損失が事実上解消されたと見ることは可能である」と述べた。

 これらの判断は「だから市議会の決議には議会の裁量権の範囲の逸脱、またはその濫用はなく、適法・有効だ」と認定する文脈でなされたものだが、問題の本質や経緯を考えた時、このくだりが最も重要であることは言うまでもない。

 実は、上原さんの弁護団にとっても、判決が市議会の決議をフィーチャーした構成を採ったことは予想外だったようだ。判決後の報告集会では「まさかの勝ち方で意外」といった正直な感想が語られていた。

 ただ、判決がこうした構成になったのには理由があるという。前述した通り、上級審である高裁による〈判決①〉がすでに確定しているうえ、〈判決②〉が求償権の存在を認めているだけに、「裁判所もそれらの判断を正面切って覆すような判決は書きにくかったのではないか」と弁護団のメンバーは推測していた。そうした状況の下で、今回の判決は上原さんの行為の正当性を認めるために精いっぱいの論理を展開したと受け取れるわけで、それが「事実上の全面勝訴」との評価につながるゆえんである。

 さて、報告集会で上原さんは判決について「住民自治が評価され、その場合の首長のあり方や中立・公平という面での主張が認められた」と強調した。

 この裁判を突き詰めると、そもそも首長のスタンスに完全な中立・公平があり得るのか、という根源的なテーマに行き着く。首長の選挙で各候補が自治体の課題への主張を交わし、当選すれば自らの主張に従って行政運営をするのは当然のことだ。逆の立場の候補に投票した人にとっては中立・公平とはならないが、有権者の多数が支持した政策を進めることこそが、その自治体にとっての中立・公平とみなされる。

 選挙に限らず、住民がさまざまな方法で自分たちの意思を示した場合も同様だ。国立のマンション問題では特に、大学通り沿いの地権者の82%もが高さ制限に同意していたという事実は重い。しかも、明和地所だけでなく自分たちの財産権もまた、高さ制限によって縛られることを認識したうえでの行動だったから、なおさらだろう。上原さんは当時の状況を「むしろ行動なきは不作為として責任を問われるべきことだった」と振り返っている。

 反対派が「民意はそこにない」と言うのであれば、リコール(解職請求)という手法もあったし、次の選挙で落選させることもできた。しかし、現実にはそうした結果にはなっていない。ならば上原さんは首長として当然の責務を果たしただけで、賠償を求められるのはおかしい、という結論に落ち着くのは自然なことに違いない。

 そして、「住民自治」を進めた結果として明和地所への損害賠償が発生したのであれば、住民みんな=つまり公金で負担するのが原則だ(もちろん汚職をはじめ犯罪にかかるケースなど、明らかに首長の故意や重過失が認められるケースはその限りでない)。その意味では住民の側にも、首長の暴走を許さないための監視を続けることと、最悪の場合には自らの責任も問われるという覚悟が必要になる。

 それから、今回のような方法で首長個人が賠償を求められることの危険性を、上原さんは終始危惧していた。昨年9月の意見陳述で次のように述べている。

 結果によっては、気に食わない政治家は、このような裁判で叩き潰すことも可能となります。いかに市民の要請があろうとも、萎縮した行政しかできなくなるのは確実です。誰も、個人で法外な賠償金を支払うリスクは負いたくないからです。そうなると、地方分権が形骸化していくことは必然です。かつて国立市と国立市民とが共有しあって誇りとしていた市民とのパートナーシップを、批判しあう関係にしてしまう裁判は、市民自治にとって最も不幸な出来事といえます。

 これは、一般的な行政のルールに則って行われた施策全般に共通する懸念だろう。「萎縮した行政」の影響を最も受けるのは誰なのか。そんな視点で、私たち一人ひとりが今回の裁判と向き合うべきなのだと思う。

 佐藤市長は判決を不服として東京高裁に控訴する意向と伝えられている。国立市議会は10月8日、控訴の断念を求める意見書を採択する構えだ。控訴期限は9日。本稿がアップされた直後に、最終的な市の対応が明らかになる。

報告集会で笑顔を見せる上原公子さん(中央)と弁護団

 

  

※コメントは承認制です。
第36回
高層マンション建設問題をめぐり、元国立市長に対する市の賠償請求を退けた判決
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    経緯の複雑さもあってか、東京でもそれほど大きく取り上げられなかったこのニュースですが、地方自治とは、民主主義とは何か? を考える上で、数多くの示唆を与えてくれる重要な判決だったと思います。首長にとっての「中立・公平」とは何なのか。そして、それを支える住民の側にも「自分たちにも責任がある」という覚悟が問われる――。それはつまり、誰を首長に、議員に選んだとしても「お任せ」であってはならないのだ、ということではないでしょうか。来年は統一地方選挙。有権者として、自分たちが担う役割をもう一度考える機会にもしたいと思います。

  2. 今こそ地上げを!ってことかなw 震災以降、家を建てる時はまず土地の安全性を考えるようになって、グラグラしてる千葉とか茨城とか、災害に弱そうな東京東部の低地帯とか人気ないですからね。その点国立の高台なら超安心!マンション造って多少ふっかけた価格つけてもすぐ売れるから、揉め事継続して住民運動起きにくくしておいて、そのスキにっていうのがミエミエ。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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