小石勝朗「法浪記」

 集団的自衛権や安全保障法制に紛れて、国民の間で本質的な議論になりきれていないのが憲法改正問題だろう。憲法記念日があったり衆議院憲法審査会で本格的な討論が始まったりということで、5月初めの1週間ほどはマスコミもそれなりに騒いでいたけれど、これから国会で安保法制の審議が始まれば焦点はそちらにシフトしてしまうに違いない。

 政府の解釈改憲によって集団的自衛権の行使が認められてしまったのだから、最大のポイントである9条の明文改正は遠のいた、との見方がある。与野党で賛否が割れそうにない条項から憲法改正をめざす方針を自民党が打ち出したことで、9条改正が後になりそうなことも、関心が高まらない大きな原因だろう。

 しかし、だからと言って改憲への流れを侮ってはいけない。

 私はここ3年ほど、憲法記念日には改憲派の集会を覗かせてもらい、その様子を本コラムで報告してきた。読み返すと、そこで交わされていた主張や戦略が、いま着々と実現しつつあることを実感する。静かに、でも底堅く、改憲派は憲法改正に向けた動きを進展させてきたのである。

 今年の5月3日は、「新しい憲法をつくる国民会議」が東京で開いた集会に参加して、自民党国会議員らの話に耳を傾けてきた。そして、護憲を標榜するのであれば、今のうちからきちんと対応しておかないと手遅れになる、との思いを例年以上に感じてきた。

 自民党の船田元・憲法改正推進本部長の話がわかりやすかったので、まずは概要をまとめておこう。

 船田氏は「憲法改正は、日本人としてしっかり成し遂げなければいけない」と切り出し、改正案を審議する国会の憲法審査会が2011年に始動したことで「改正の中身を議論する段階」に入り、憲法改正国民投票の投票権年齢を18歳以上にする改正法が昨年6月に施行されたことで「名実ともに憲法を改正できる」状況になった、との認識を示した。

 現憲法は「国民生活に定着しているものの、現実と乖離していたり、新たに付加すべきだったりする条項もある」と指摘。「部分改正を繰り返して(最終的に)新憲法にする」手法を想定していることを明らかにした。「立憲主義が最も大事なベース」としながらも、「とくに前文には、国柄、国のかたち、国民としての規範など、理想や誇るべきもの(を盛り込むこと)も重要。他国には神との関係に触れた憲法もあり、立憲主義に反さない」と述べた。

 で、改正をめざす内容である。

 船田氏は9条を取り上げ、「改正は急務だが国論が二分されており、慎重な議論が必要で、少し先の話になる」と改正の「第一陣」にはしない意向を披露した。そのうえで、最初に改正を発議する条項として、憲法審査会で多くの党が共通して挙げた3項目を優先する考えを示した。

 ①「環境権」を中心に、知的財産権、犯罪被害者の権利、知る権利といった新しい人権、②緊急事態条項、③財政規律条項、である。特に力が入っているように感じた緊急事態条項については後で詳しく触れる。

 各方面から厳しい批判にさらされている自民党の憲法改正草案をそのまま改正原案にするのか、との疑問に対しては、「それが理想の方向だが、(改正の発議に必要な衆参各議院の)3分の2の合意のために大いなる妥協をして、自民党の草案は元の姿ではなくなる」と明言し、改正の内容を差し置いても、憲法改正という結果に何よりこだわる姿勢を鮮明にした。

 ちなみに船田氏、昨年の憲法記念日には、別の改憲派の集会で次のように語っていた(拙稿「意気上がる改憲派の戦略は?」〈2014年5月〉より)。

「9条は国民の議論が割れている。まだ日本は国民投票に慣れていないし、もし改憲案が否決されれば、しばらく発議できなくなる。姑息かもしれないが、環境権、89条(公の財産の支出・利用の制限)、緊急事態条項あたりから改正を発議し、国民投票への『慣熟運転』をした後に9条を問うのが現実的だろう」

 なんだ、言っていることは今年と同じじゃん、と油断してはいけない。

 この1年の間に船田氏の考えは安倍晋三首相に了承され、政権党としてコンクリートな方針になりつつあるのだ。おまけに「来夏の参議院選挙の後、来年中にも」という改正発議の具体的なスケジュールまで語られている。同じ内容でも、そのパワーは段違いに強くなってしまった。改憲派の戦術に感心させられている場合ではないが、護憲派としては1年前にこうした方向性を知っていながら有効な反撃をなし得なかった無力さを反省しなければなるまい。

 さて、改正の優先事項に挙げられている「緊急事態条項」を考えておきたい。

 今年の集会で船田氏はその内容として、マグニチュード7級の首都直下型地震が30年以内に70%の確率で起きるという予測を引き合いに、大災害が起きた時などに備えて「国会議員の任期延長をはじめ、政府の役割や国会の立場をあらかじめ決めておく」と説明した。「超法規的な措置を勝手にやると立憲主義に反する」との論理とともに、そこだけ聞くと納得させられてしまいそうだ。

 しかし、この条項が孕む危険には大いなる警戒が必要である。

 緊急事態条項はすでに3年前の改憲派の集会で、改正項目に位置づけられていた。どんな中身が想定されているのか。当時、「マガジン9」に掲載された記事が参考になるので紹介する(どん・わんたろう「改憲派の当面の思惑は」〈2012年5月〉より)。

 自民党案は、外部からの武力攻撃や内乱、大規模な自然災害などの際に、首相は緊急事態宣言を発することができ、「何人も、国民の生命、身体、財産を守るために発せられる国や公の機関の指示に従わなければならない」と定めている。その場合でも「基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」との断りが入ってはいる。

 衆院憲法調査会長だった中山太郎・元自民党衆院議員は、昨夏(筆者注:2011年)発表した独自の改憲試案で「憲法に緊急事態の規定を設けることにより、基本的人権の制限に歯止めをかけて自由の保障を確保する」とうたっていた。たしかに、そういう側面はあるかもしれない。

 ただし、緊急事態で制限できる権利について、中山試案は「通信の自由、居住・移転の自由、財産権」を挙げていた。権力側の見方として非常に参考になる。再稼動すれば想定外では済まない原発事故の時に、自宅を接収されながらも逃げることを禁じられ、インターネットや携帯電話による情報収集・発信もできないことになるのだ。緊急事態条項がどう使われようとしているのか、何を狙っているのか、しっかり見極めなければなるまい。

 第1の注意点は、大規模な災害時だけでなく、戦争まで視野に入っていること。新しい安全保障法制とリンクしている、と読むこともできる。第2の注意点は、結果として基本的人権を制約する内容であるのに、「基本的人権の制約に歯止めをかけるため」というロジックが用いられていること。そして第3の注意点は、内閣は法律と同一の効力を持つ政令によって、こうした措置をフリーハンドで取れることだ。曲者なのである。

 実際に、今年の改憲派集会でマイクを持った自民党国会議員からは、豪雪時に幹線道路に停まったままの車をどかす必要性を引いて「私有財産をなげうってでも守らなければいけない命がある」と、緊急事態条項の制定を求める声が上がっていた。そのくらいなら法律改正で対応できると思うのだが、こうした理屈から導かれること自体、この条項が人権の制限を狙っていることを示唆しているのだろう。

 最後に、今年の集会の感想を記したい。

 こんなことに感心していても仕方ないのだが、改憲派の議員の話はなかなかわかりやすかったし、おもしろかった。具体的な事例を巧みに使って、憲法改正に惹きつけていく。もちろん、その論理には、どこか違う気がするところも多々あるのだが、話のツボを心得ていて、憲法に対する立場を異にする私が聞いていても笑わせられてしまうシーンがいくつもあった。

 翻って、護憲派の集会はどうだろう。

 今年、せっかく大同団結して実現したらしい護憲派の「5・3憲法集会」(横浜市)に行く気になれなかったのは、弁士があまりにいつもの顔ぶれだったからだ。そこで交わされるであろう内容は、想像がついてしまった。もちろん、大事な話をまじめにするのは必要だとしても、それだけでは限界があることは否定できないのではないか。

 今のように護憲派で集まっている分には良いのだろうけれど、いざ憲法改正が発議されて国民投票になった時に、より広範な層へいかに護憲の主張を浸透させていくか、大いに知恵を絞らなければならないと感じる。

 昨年の本コラムの記事を、私は次のように結んでいる。今年も全く同じ思いなので、あえて同じ文章で結びたい。自分への戒めも込めて。

 改憲論者の理屈や戦略を、いろんな意味で護憲派も学び、対抗軸をしっかりと築いていかなければなるまい。「9条を守れ」と叫ぶだけでなく、一般の国民が受け入れやすい言葉で主張を広げ、議論を交わしていくことが求められているのだと思う。

 

  

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第49回
改憲への流れを侮ることなかれ〜「緊急事態条項」の危険に触れながら
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「改正の内容を差し置いても憲法改正という結果にこだわる」という言葉には大きな疑問を抱かざるを得ませんが、その「なりふり構わなさ」こそが、「改正」に向けた動きを大きく進展させてきたのかもしれません。9条の明文改憲は打ち出されるとしてもまだ少し先のようですが、「だから安心」というわけではもちろんない。9条は健在でも、「緊急事態に備えて」「新しい人権を」といった聞こえのいい言葉の陰に、見過ごせない人権侵害の危険が潜んでいることを、もっと広く知らせていく必要がありそうです。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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