小石勝朗「法浪記」

 弁護団や原告のみなさんには申し訳ないのだが、最高裁までいって勝てる可能性は大きくないとは思う。しかし、少なからぬ国民が不安や疑問を抱いているにもかかわらず、自民党だけでなく民主党までが賛成している制度だから、ここでしっかり抵抗する姿勢を示しておかなければ既成事実が積み重ねられていくだけだ。実効力を希求するには訴訟という手段しか残されていなかったし、それが「反対」をアピールし続けるうえでの最大の武器には違いあるまい。

 12月1日に東京、大阪、仙台、新潟、金沢の5地裁に起こされた「マイナンバー違憲訴訟」である。番号の利用が始まる1カ月前に提訴したことによって、マイナンバー制度の歩みに合わせる形でその憲法適合性が法廷で争われていくことになった。

 まずは訴訟の概要から。

 弁護士グループの呼びかけに応えて、原告には自営業者や会社員、地方公務員、主婦のほか県議・市議、医師、税理士ら、多彩な計156人が集まった。代表格は、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)への接続拒否で名を馳せた関口博・元東京都国立市長(現市議)だろう。番号の通知カードや個人番号カード(ICカード)に戸籍上の性別が表記されることから、性同一性障害の当事者も参加している。

 今後、2次提訴を検討するほか、年明けにかけて横浜、名古屋、福岡の各地裁にも新たに訴訟を起こすという。

 国を相手取った民事訴訟で原告が求めているのは3点。1つ目は、マイナンバー(個人番号)の収集や保存、利用、提供を禁止、つまり差し止めること。2つ目は、国が保存しているマイナンバーを削除すること。そして3つ目が、1人あたり10万円の慰謝料支払いだ。

 勝訴しても判決の効力は原告にしか及ばないから、ただちにマイナンバー制度が廃止されるわけではない。しかし、住民票があるすべての国民・外国人に適用されるという大前提が崩れれば、政府はマイナンバー制度を抜本的に見直さざるを得なくなり、廃止にもつながる、という論法である。

 訴状には、マイナンバー制度の問題点が簡潔にまとめられている。5カ所の訴訟の概要はほぼ同じだが、東京訴訟の訴状から紹介する。

 強調されているのは、制度の危険性だ。中でも、マイナンバーが民間でも利用されることを危惧している。

 総務省の統計によると、全国には412万の企業があり、従業員は計5583万人にのぼるという。つまり、マイナンバー制度のために412万のデータベースが構築され、5583万人分の個人情報が収められる。しかし、1社平均100万円以上とも試算されるセキュリティ対策費が負担できずに、準備不足のまま運用開始を迫られている企業も多いとみられる。「個人情報の安全は確保できず、漏洩事件の発生は必然」と分析した。

 行政機関の安全対策にも疑問を投げかける。象徴的だったのは、日本年金機構からの125万件もの個人情報流出だ。同機構がマイナンバー法に基づく特定個人情報保護評価で「漏洩などのリスクを軽減させるために十分な措置を講じている」と宣言していたことを引き合いに、「このような宣言をしたところにおいてもセキュリティの実態は極めて不十分だ」と断じた。

 漏洩したり盗難に遭ったりした個人情報は、マイナンバーを使って簡単・確実にデータマッチング(名寄せ・突合)することが可能になる。マイナンバーは原則として生涯不変なので、一生を通じた個人データが蓄積されかねない。その結果、知らないところで本人の意に反した個人像が勝手に作られることになり(プロファイリング)、なりすましに悪用されれば借金などの経済的な被害を受けることにもなる。しかも、そうして作られた個人像は「消去することが事実上不可能だから、被害も深刻」と警鐘を鳴らしている。

 「安全保障上の危険性」に触れているのも重要な論点だろう。マイナンバー制度に反対すると、しばしば「左翼に都合が悪いからだ」と揶揄されるが、むしろ権力の側に近いほど危険が大きいのは、少し考えてみれば当たり前のことである。サイバー攻撃のターゲットになるのは、個人情報により高い「価値」がある人だからだ。

 訴状では、政府要人や防衛産業の技術者、自衛隊関係者を例示したうえで、そうした人たちのマイナンバーが漏れれば、それをもとに個人情報を検索・名寄せするのが容易になるので「不正取得の危険性も高まる」と述べている。

 マイナンバー制度のこうした危険にもかかわらず政府は十分な安全対策を取っておらず、データマッチングやなりすましなどの危険にさらされることが、憲法13条の保障するプライバシー権を侵害する、というのが違憲と主張する根拠の一つだ。

 違憲主張のもう一つの柱は「自己情報コントロール権」である。プライバシー権に由来し、個人情報を提供する際、事前に利用目的を知らされたうえで同意するかどうかを決められる権利を指す。マイナンバー制度は、行政機関が個人番号の付された個人情報を本人の同意なく広範に収集・保管し利用しようとするものだから、この権利を侵害すると立論した。

 マイナンバー制度の違憲訴訟と聞いて、その土台となった住基ネットの違憲訴訟を思い出される方があるかもしれない。すべての国民に11ケタの住民票コードが付けられたため、全国各地で提訴が相次いだ。大阪高裁や金沢地裁で違憲判決も出たが、最高裁は2008年に「合憲」とする判決を出している。

 今回の訴訟の弁護団は「住基ネットが合憲だからといって、マイナンバー制度が合憲ということにはならない」と強調する。住基ネットは氏名や住所といった本人確認のための個人識別情報が対象で、利用も行政機関に限られていた。しかし、マイナンバー制度は税や社会保障の機微な情報を扱っているうえ民間も利用する。「制度自体の前提が全く異なる」ことを理由に挙げている。

 何年先になるのか分からないが、最高裁がマイナンバー制度にどんな判断を下すのか、住基ネット判決との絡みでも注目される。仮に合憲の結論でも制度の運用や安全対策に注文を付けるようなことがあれば、あるいは下級審であっても違憲判決が出るようなことがあれば、その影響は極めて大きいに違いない。

 東京訴訟の弁護団は提訴後の記者会見で「マイナンバー制度は1億3千万人もの個人情報を扱う巨大なインフラ。いったん動き出してからでは修正は極めて難しい。大量の個人データ流出やなりすましといった弊害が社会問題になる前に差し止め、プライバシー保護の観点から見直すことが必要だ」と指摘していた。

 政府には、国民の疑問や不安に耳を塞いだままスケジュールありきでマイナンバー制度を運用することがないよう、また、強引に用途の拡大を押し進めることがないよう、切に願いたい。

提訴後に記者会見する「マイナンバー違憲訴訟」の東京弁護団と原告
(12月1日、撮影・小石勝朗)

 最後に、制度の運用開始が近づいたいま、個人的に抱いている違和感について記す。

 たとえば、私が定期的に支払いを受けているマスコミ系企業からは、マイナンバーの通知カードのコピーを提出しなければ「支給をいったん停止せざるを得なくなる」という脅しめいた文書が届いている。別のマスコミ系企業の管理職が「マイナンバーを提示しない奴ってどうなんだろうな」と発言した、なんて話も耳にした。フリーのライターとしては、追い詰められるばかりだ。

 源泉徴収などの書類へのマイナンバー記載義務を負うのはあくまで会社であり、提示する側の個人には法的な義務も罰則もない。会社にしても、番号を記載できなくても罰則は受けないし、その人のマイナンバーを取得できなかった経過書を示せば書類は受理する、と政府は説明している。なのに、あたかも「マイナンバーを提示しない奴は非国民だ」みたいな同調圧力が蔓延しつつある風潮に、何より強い危機感を持つ。

 「根深いな」と思うのは、政府の「手先」となって強権的にマイナンバーを集めようとしているのが、時として、日の丸・君が代の強制に異を唱えていたり、安全保障法制が徴兵制につながると叫んでいたりした組織や個人であることだ。悪気はないのだろうから、余計に深刻である。いつか来た道、とまで言ったら大げさか。ちなみに、健康面や経済面の個人データを集積し得るマイナンバー制度の方が徴兵制に有用であることは言を俟たない。

 閑話休題。

 マイナンバー制度には、多くの方と考えたい法的、社会的なテーマが凝縮されている。さまざまな視点からアプローチすることになる違憲訴訟の動向を追っていく。

 

  

※コメントは承認制です。
第61回
「マイナンバー違憲訴訟」の意義
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    多くの反対や懸念の声を置き去りにしたまま、マイナンバー通知カードの郵送がはじまりました。疑問や不安を抱きつつも、仕事上の必要性などを考えて受け取る選択をされた方も多いのではないでしょうか。このまま、数々の問題点が見過ごされた状態で運用が進められていくことには、強い危機感を覚えます。引き続き考え続けたい、続けなくてはならない問題です。

  2. countcrayon より:

    とりあえず世に従業員を食い物にする「ブラック企業」が存在する以上、そんな遵法精神もない何をするかわからないところに大事なマイナンバーを差し出せって仕組みもどうよと思います。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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