この人に聞きたい

2003年、バグダッド陥落直後に、初めてイラクを訪れた高遠さん。そこで取り組んできた活動について、そして現在のイラクをめぐる状況について、引き続き伺いました。

高遠菜穂子(たかとお・なほこ)
1970年北海道千歳市生まれ。イラク支援ボランティア。2003年よりイラク支援を行い、ファルージャ再建プロジェクトに取り組む。著書に『戦争と平和〜それでもイラク人を嫌いになれない』(講談社)、『愛してるってどういうの?』(文芸社)がある。「イラク・ホープ・ダイアリー」で日々活動を報告中
手の届かない「隙間」への支援を

編集部
 前回、高遠さんがイラクへ行くことを決意されるまでのお話をお聞きしました。最初にイラク入りされたときの話を少し、伺えますか?

高遠
 実際にイラクへ入ったのは、バグダッドの陥落後です。そのときはインドのデリーにいて、そこでヨルダン行きのチケットをとって。それと同時に、インターネットを通じていろんなNGOにアプローチしました。「今からヨルダンに入るので、着いたら現地から情報を送ります」という話をして、「緊急支援の調査目的」ということでヨルダンに入ったんです。
 そこでもさらに情報収集をして、そこで知り合ったジャーナリストと一緒にイラクへ入って。バグダッドに着いたのは5月1日ですが、この日はブッシュ大統領が、大規模戦闘終結宣言を出した、まさにその日だったんです。ところが、その2日くらい後だったかな、撃たれたんですよ。

編集部
 撃たれた!?

高遠
 パンパン、と弾が飛んできて。戦闘は終わった、と報道されてるけど、じゃあ今飛んできた弾は何なの、という話ですよね。「やっぱり終わらない、終わってないんだな」と思いました。
 でも、イラク入りしてすぐにそんなことがあったから、もう「死ぬかもしれないんだ」という覚悟は決めざるを得なかったですね。

編集部
 そんな中で、どういうふうに支援活動を進められていったんですか? 高遠さんは、まったくの個人としてイラクに入られていたわけですよね。

高遠
 2001年のインド西部地震のときにも、カルカッタのボランティア仲間と一緒にしばらく救援活動をしていたんです。緊急支援の活動はそのときが初めてだったんだけど、そこでの体験がすごく勉強になりましたね。
 たとえば、大きな救援団体が村やコミュニティに水を供給していたとしても、実はそのさらに奥にすごい小さい村があって、そこまでは支援が届いていなかったりすることがある。私たちはそういうことを調べて、直接支援物資を届けたり、大きな団体に「その先に村があります」と伝えて支援が届くようルートをつくったりしたんです。
 イラクに行ったときも、やっぱり同じように手の届いていない「隙間」があったので、どこにどういうものが足りないとかの情報収集をして、大きいNGOに頼んで支援をしてもらったりしました。だから大した仕事じゃない。細かい、本当に使いっ走りみたいな仕事ですよね。

編集部
 でも、個人でそのノウハウを身につけられてきたというのがすごいですよね。そして、さらにその後、ストリートチルドレンへの支援も始められる。

高遠
 緊急支援をやりながら、路上で寝ている子どもたちの数が日に日に増えていくことが、すごく気になっていたんです。私だけじゃなく、他のボランティアの人たちもそれは言っていて。
 しかも、小さい子や女の子は宗教系の団体や大きいNGOに引き取られていくんですけど、中高生くらいの年代の男の子はどこにも引き取り手がなくて。それでずるずるドラッグ三昧になっていっちゃう、という感じでした。小さい子と違って、ケンカもするしすぐにナイフとかを出すし、言うことはきかないし生意気だし、というので、みんな関わるのをいやがるんですよね。
 そういう子たちになんだかんだと一番しつこく関わり続けたのが、日本人のボランティアたちだったんです。みんなでお金を出し合ってサンドイッチを買って、それを差し入れに持って行って一緒に食べる、みたいなことを始めて…。それがストリートチルドレン支援の始まりですね。

イラク問題は「外国の問題」か?

編集部
 そして2004年に、メディアでも大きく報道されたあの拘束事件が起こります。高遠さんにとってとても辛い経験だったと思いますが、その後も、それまで以上に積極的に報告会などで、イラクの現状を多くの人に伝えられてきましたね。

高遠
 あれ以降の私の報告会というのは、自分の意思で話しているというよりも、自分はイラクの死者の遺志を代弁する「道具」になっているという感覚でした。体は辛かったけれど、疲れてるなんて言ってはいけない、これをやらなくては生きていけない、というような。そう思って活動を続けるうちに時間が経ったという感じですね。
 当時、すごくショックだったのは、メディアが私に、あの「事件」のことしか聞かなかったということだったんです。いつどこで、どんな格好をした人たちに連れ去られたのか、何を聞かれたのか。そんなことしか聞かれなくて、なぜそういうことが起きたのか、そのときイラクでどんなことが起こっていたのかとか、それまでイラク人はどんなことを訴えていたのかとか、そんなことは誰も聞いてくれなかった。私が勝手にそういうことをしゃべっても、記事になったときには削られていたり。
 最近になって、「拘束事件から何年が経って」みたいな取材のときに、新聞記者が「イラクではそんなことが起きていたんですか」と聞いてきたりすることがあって。「あのとき聞いてくださいよ」と言いたくなりますね。

編集部
 たしかに、あのときは事件の報道一色でしたね。マスコミだけではなく、一般の人たちからもさまざまな反応があったと思います。

高遠
 そうですね。「このテロリストが」と言われたこともあるし…一つ印象的だったのは、「日本が大変なときにイラクくんだりで何をやってるんだ」と言われたことでしょうか。

編集部
 というと?

高遠
 ちょうど新潟県中越地震が起きたばかりのときだったんですけど、「新潟の被災者とか、日本にも困ってる人はいっぱいいるのに、それを放っておいて外国で何をやってる」ということだったみたいです。でも、最初は意味がわからなくて。「うーん、でも私の身体は一個しかないし、今はイラクのことで忙しいので、じゃあすいませんけどあなたが新潟に行ってもらえますか」とか、真面目だけどかなりとんちんかんな返事をしてました(笑)。
 事件前から同じようなことは言われてたんだけど、私は「日本の中も外も同じ」みたいに思っていたから。事件後にものすごい剣幕でそう言われたときは、本当に意味がわからなかったです。

編集部
 たしかに、あるときからそういう「海外のことよりも、もっと日本の問題を考えなさい」みたいな、内向きな志向が強くなってきた気がしますね。でも、何が「日本の問題」で何が「海外の問題」なの?とも思うんですが…。

高遠
 どこにそのボーダーがあるんですか? ということですよね。イラクの問題なんて、完全に日本の問題だと思いますし。

イラクで進む、軍民共同による「復興ビジネス」

編集部
 ところで、先日もまたイラクの隣国ヨルダンへ行かれていたそうですが、何か気になった変化などはありましたか。

高遠
 一つは、米軍とのPRT(地域復興チーム)で入っているアメリカのNGOが、猛烈に復興資金をばらまいていることですね。PRTで掲げられている復興計画の中にはショッピングモール建設などの計画も含まれていたりするので、ここにもさっそくマクドナルドができるという、よくある「復興」のパターンなのかな、と思います。
 イラク戦争については、2004年ごろの段階で実はすでに何度か和平交渉が始められていたんですね。でも、その後も米軍は何度も大規模な攻撃をして街を徹底的に破壊した。西部のラマディなんか、本当に街全体が消されたという感じで破壊されて。何でそこまでする必要があったのかな、と思っていたんですけど、今の状況を見ていると、「なるほど、だからだったのか」とすごく腑に落ちる感じがしています。

編集部
 あとの「復興」を担うためだった、という?

高遠
 だって、破壊したらした分だけ復興ビジネスの規模は大きくなるわけでしょう。戦争ってこうやって儲かるものなんだな、と思います。しかも、「アメリカ」という同じ人物が、右手でさんざん破壊しておいて、左手で「復興」させている、みたいなもので。辛いですよね。

編集部
 地元の人たちの反応はどうなんでしょう?

高遠
 その、PRTで入っているアメリカのNGOがお金をばらまいている一方で、PRTはやらないと主張しているNGOはまだ現地には入れないでいます。そうなると、地元の人たちの言い分としては、「だって、ほかに助けてくれるところはないじゃないか。この人たちは、イラク政府だってくれなかった復興資金をちゃんとくれるんだから」ということになりますよね。腹の中では「こんちくしょう、アメリカ」と思っていたとしても、自分の家や店、生活を再建できるとなったら、やっぱりお金はもらいたいでしょう。
 勝ち目はないというか、別に勝とうと思ってやっているわけではないけど、こうも巧妙に人々の弱みにつけ込んでいくのかと思うと、ため息が出てしまいます。私のやってることなんて焼け石に水なのかな、と思っちゃって。

編集部
 11月にはアメリカ大統領選がありますが、それによって少し状況が変わるということはあるんでしょうか。

高遠
 どうでしょうね。イラクの行く末は、アメリカだけではなくて、イラク政府に対して強い影響力を持つイランの動き次第ですからね。ブッシュがオバマになったからといって、何かが急によくなるということはないんじゃないでしょうか。
 それよりも、重要なのは今年の12月に予定されているイラク地方選挙だと思います。新しい政党もできてきているし、いずれにしても風向きは変わるはず。それが、なんとかいい方向に向かってほしいな、と思いますね。

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