森永卓郎の戦争と平和講座

 安倍総理は、1月4日、恒例の年頭記者会見でこう語った。「ことしも経済最優先。デフレ脱却に向けて、金融政策、財政政策、成長戦略の3本の矢を打ち続ける」
 ただ、安倍総理の本音は、翌5日の自民党本部での仕事始めのあいさつに表れている。安倍総理は、今年が憲法施行70年の年だとしたうえで、「節目の年、新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か議論を深め、私たちが形作っていく年にしたい」と語ったのだ。いよいよ安倍総理の悲願である憲法改定に向けた第一歩が踏み出されようとしているのだ。もちろん、そこには、日本を戦争できる国へと変貌させる憲法9条改定が含まれている。いま野党に期待される最大の役割は、そこにブレーキをかけることだ。しかし、私は安倍総理が、ある秘策を繰り出すことで、圧倒的な国民の支持の下で、憲法改定にまい進する可能性が高いのではないかと考えている。秘策とは、「消費税率の5%への引き下げ」だ。
 財政事情が厳しいなかで、そんなことができるはずがないと思われるかもしれない。しかし、それは十分可能だし、安倍総理が断行する可能性も十分あると私は思っている。
 今年1月号の『文藝春秋』に浜田宏一元イェール大学教授の「『アベノミクス』私は考え直した」というインタビュー記事が掲載された。浜田氏は、内閣官房参与として安倍総理の経済参謀を務めるだけでなく、アベノミクスのシナリオを描いた中心人物だ。その浜田氏が、アベノミクスの間違いを指摘したのだから、その意味は大きい。
 浜田氏は、アベノミクスを全面否定したわけではない。安倍政権になってから、株価は2倍になり、労働市場も大幅に改善した。しかし、問題は肝心のデフレ脱却がまったく達成されていないことだ。なぜ物価が上がらないのか。浜田氏は昨年8月に発表されたプリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の論文を読んで、気付いたのだという。量的金融緩和だけではデブレ脱却は実現されず、金融政策と財政政策を組み合わせないといけないのだ。
 量的金融緩和政策では、銀行が保有する国債を日銀が購入して、代金を銀行が保有する日銀当座預金の口座に振り込む。ところが、景気がよくないので、銀行は手元資金が増えても、それを貸し出す新たな融資先をみつけられない。そこで、資金を日銀の当座預金に預けっぱなしにする。いわゆるブタ積みが発生するのだ。そうなると、市中にお金が回っていかないから、景気はよくならない。
 それではどうすればよいのかというと、日銀が国債を購入した分、政府が新たな国債を発行して、そこで得た財政資金を「減税」などの形で国民に還元すればよいのだ。そうすれば、直接国民にお金が渡るから、需要が増え、物価も上がり出す。
 もちろん、見た目には赤字国債が増えることになるが、それはまったく問題がない。日銀が保有した国債は、日銀が保有し続ける限り、元本返済の必要がないし、日銀に支払った国債金利は、日銀剰余金の国庫納付という形で政府に戻ってくるからだ。
 現在、日銀は年間80兆円のペースで国債を買っている。ということは、政府は年間に80兆円もの「通貨発行益」を得ていることになる。その通貨発行益のたった1割を減税財源にまわすだけで、消費税率を8%から5%に引き下げることができる。しかも、それは一時的な対策ではない。通貨発行残高は経常的に増えていくから、消費税率を5%に戻す程度であれば、誰の負担を求めることもなく、半永久的に消費税率を5%に引き下げることが可能なのだ。
 おそらく、野党はこの仕掛けにまったく気付いていない。だから、どの野党も、消費税率の引き下げを主張しないのだ。しかし、通貨発行益の仕組みは極めてシンプルだ。国民が使っている1万円札は、兌換券ではないので、直接の裏付け資産があるわけではない。1万円札が1万円として通用しているのは、国民が、それを1万円の価値があると思い込んでいるからだ。ところが、1万円札の正体は、単なる印刷した紙きれに過ぎない。その製造コストは10円程度だ。だから、中央銀行は、1万円札を1枚、市中に流通させると、印刷代10円を差し引いた9990円が手元に残る。これを通貨発行益という。そして、日銀が銀行保有の国債を買って、その代金として銀行に日銀券を支払うと、通貨発行益は事実上政府のものとなる。政府の立場からすると、利払いや元本返済の必要な国債を、利払いも元本返済も必要のない紙幣にすり替えることになるからだ。
 今後、仮に日本経済がデフレから脱却に成功し、通貨供給のペースを落とすことになったとしても、通貨供給の拡大自体は続いていくから、通貨発行益を財源として、消費税率を半永久的に下げることは、十分可能なのだ。
 そこで、例えば、今後安倍総理が、「消費税率の5%への引き下げと自分の政権下での増税の凍結」を宣言して、それを大義に解散総選挙に打って出たら、何が起きるだろうか。私は、与党に圧倒的な勝利がもたらされると思う。その盤石の政権基盤のうえで、安倍総理は余裕をもって憲法改定に突き進むことができるのだ。
 その悪夢を防ぐたった一つの方法は、野党が通貨発行益の存在に気付き、負担増なしの消費税率引き下げを、与党に先んじて打ち出すことだろう。
 私の言うことを荒唐無稽な極論だと感じる読者も多いかもしれない。ただ、通貨発行益を減税財源として活用し、デフレからの脱却を図るべきだという主張は、浜田宏一氏やクリストファー・シムズ教授だけではない。前FRB(米連邦準備制度理事会)議長のベン・バーナンキ氏やイギリスの金融サービス機構前長官のアデア・ターナー氏も同様の政策を強く提唱している。ちなみに、安倍総理は1月6日に首相官邸で、アデア・ターナー氏と会談をしているのだ。
 通貨発行益は、魔法の杖でも、錬金術でもないし、ましてや詐欺などではない。貨幣経済を運営する政府が当然受け取れる正当な報酬だ。だから、税収と通貨発行益を同列に扱うことが、いま日本の財政に最も求められていることなのだ。
 もし野党がそれに気づかなければ、私は、今後野党が政界のなかでの地位をズルズルと落としていくだけだと思う。

 

  

※コメントは承認制です。
第75回 野党が憲法改定を止めるには」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    「えっ、そんなことあるの?」と思わず2度読みしてしまいました。経済についての話は、つい難しいと感じてしまうのですが、それによって影響を受けるのは私たちのリアルな生活。正しい情報を得て学び、自分で考えられるようにならなくてはと改めて思います。ちなみに森永さんがここで紹介している財政政策・金融政策については、いずれも新刊で大注目されている『ヘリコプターマネー』(井上智洋)、『債務、さもなくば悪魔 ヘリコプターマネーは世界を救うか?』(アデア・ターナー)に詳しく解説されています。勉強しましょう!

  2. これ、乗るの共産党だけなんじゃないの〜?
    野田っちの民進党は絶対に乗らないよ〜!
    で、野党共闘は一巻の終わり。いやマジで!

  3. より:

    民進党は緊縮政策&増税派なので絶対にそんな方向転換できないでしょう
    本来は自民もそうなのだけど最近の安倍の強さを見るとその力でこの記事通り減税政策を掲げてもおかしくはありませんね
    正直、そうなると民進は必要ないことになります。与党が国民に優しく(減税)、野党が国民に厳しい(増税)なんですなら。

  4. L より:

     ラジオで聞くより文章の方が説得力がありますね。

     自民に比べて「野党の経済公約がショボい。これで勝とうなんて頭おかしい」というのがこのところの論壇の話題なのでこのくらいのぶち上げはありなんでしょう。
     本来なら、金持ちに有利でかえって経済悪化させてきた減税よりも企業と金持ちの手元にある金を引っぺがす増税をすべきですが、逆進性の高い消費税減税ならまあありでしょう。
     いずれにせよ、バブル期よりもGDPは大きいのですから、澱んだ金の流れやブタ積みやタックヘイブンなど海外に漏水するカネの流れを政策で変えて金巡りを良くすれば、バブル期のようにマインドも景気も良くなる計算です。
     「新しい判断」の安倍総理なら”異次元の減税”として「消費税3%へ」くらい公約するかも。まあ、輸出大企業への消費税還付見合いとか、派遣利用による消費税節約分見合いくらいの企業減税や補助金を付けてでしょうけど。

     とはいえ、”借りたカネは返すのが当然”式学校道徳・国定道徳からはぶっ飛んだ提案なので、野党が説得的に語るのは非常に難しい。

     アベノミクスの異次元へのぶっ飛び方よりはまともですが、向こうはメディアを抑えていますから押し通せたわけで。
     森永さんにはアイディアだけでなく、ぜひ説得のロジックも見つけてほしい。こうしたプランは海外の反緊縮政策としてはありふれているそうなので言い方はあるとは思います。

     もっとも、松尾匡のロジックと見立てはなんか変だと思っているし、森永さんのお話も微妙に納得しきれない部分もあります。全肯定ではないが金子勝さんの立論の方が説得的に思えます。

  5. 多賀恭一 より:

    憲法9条の真の意味は、総理大臣の命と引き換えに戦争できるということだ。
    外国とは、所詮、邪悪な国の方が多いのだから、侵略は起こりうるし、それに対しては憲法9条違反を覚悟しなければいけない。その対価が総理大臣の命だ。自衛隊員が国外で次々と死んでるのに、権力者は安泰?このようなことを許さないために9条が必要なのだ。
    「総理大臣になることは、死ぬことと見つけたり」である。

  6. 樋口 隆史 より:

    先進国が金融で「稼ぐ」ようになってしまって、この場合は経理上の付加価値って代物って一体何だろう? 結局、ただあぶく銭というか物の代わりとされるお金だけがジャブジャブとあふれてしまっているような。日本の場合はかなりちゃんと付加価値として「物」を産み出していると思うので、森永さんの提案も悪くないと思いました。ただ、金融だけでかなり稼いでいる国との軋轢が出てきそうな・・・・・・? うーん、もっと自分の頭が良ければなぁ、と思います。
    これから有志によってビックデータとやらをクラウドからくみ取って、個人でも何とか手に入る価格になってきたスーパーコンピューターによって、世界に現有する「富」と、実際に存在する「物」の値打ちがちゃんと釣り合っているかどうかを途方もない計算から暴き出すプロジェクトが出てくるかも。もし本当にそれが実現したら、「パンドラの数字」となるでしょうね。なんて思ったりもします。

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森永卓郎

もりなが たくろう:経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

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