立憲政治の道しるべ

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

結論からお迎え、の閣議決定

 きのう(1日)の閣議決定。「とうとうやってしまったか…」と思いました。
 私は、グレーゾーンに関する法整備(離島等における不法行為への対処)については、憲法解釈の変更論が前面に出るものではなく、必要な領域警備の法整備には反対しない立場ですが、これ以外の集団的自衛権の行使、集団安全保障における「武力の行使」に関しては、これまでの憲法9条に係る政府解釈とは論理的に整合せず、同意することができません。閣議決定は、結論が先に決まっていて、文章がひたすらつながっているだけですから、全文を何度読んでも、安倍首相の会見をくり返し聞いても、しっくりくるはずがなく、ストレスと疲れが溜まってきます。
 ところで、きのうの閣議決定は、内閣が撤回するまでは一応、有効です。防衛・国際協力分野に関して、いままでは憲法違反とされた立法、運用が、新しい憲法解釈の下ではすべて「合憲」と化します。従来から積み重ねられてきた憲法解釈(原解釈)に戻すことも可能ですが、内閣がいちど決定したものを変更するには、内閣自身が再び閣議を以て、将来に向かってその効力を否定することを決める以外に方法はありません。最高裁判所は積極的・能動的な“憲法の番人”ではなく(自発的にアクションを起こし、閣議決定を無効と決定することはない)、基本的に政治案件として、政治のレベルで解決すべき問題であることを再認識する必要があります。
 きのうの閣議決定を撤回する内閣が、いつ登場するのか? という問いですが、民主主義の社会においては、政権交代に依り、国民自身の手によって“原解釈を是とする内閣を実現し、これを取り戻すしかない”というのが、いまのところの答えです。前回(第45回)も触れましたが、この内閣には憲法秩序をいったん元通りにすることをお願いするだけでなく、内閣が解釈変更を行う場合の一般的なルールを定めること(閣議決定)、さらに、その後の憲法秩序がふたたび不安定になることがないよう、解釈の変更に係る国会同意の要件化(両議院の特別多数決を要すること等を定める、内閣法の一部改正)をあわせて要求します。

自衛隊の“実力”概念を大きく変える

 個別的・集団的自衛権行使に関する「新3要件」については、きのう・きょうで多くの論説があります。本稿は一点、自衛隊の実力概念が変化することに関して、憲法上の問題を指摘したいと思います。
 そもそも、「自衛隊はなぜ、戦力(9条2項)に該当せず、合憲なのか?」という古典的な論点があります。
 政府はこれまで、「戦力」とは「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」をいい、現在の自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)を超えておらず、戦力に該当しない(9条2項に違反しない)という論理が採用されてきました(この点、自衛戦争のための「戦力」は留保されている、と間違えないようにしてください。目的・規模にかかわらず、9条2項はいっさいの「戦力不保持」を定めています)。すなわち、“戦力未満の自衛力”という概念で説明されてきました。
 新3要件と同様、自衛力の定義の中でも「必要最小限度」という言葉が出てきます。これまで、必要最小限度の実力とは、言うまでもなく、9条の法理として自衛権の行使を“個別的なものに限定する”と同時に、2項で「交戦権」が否認されていることを前提とする概念でした。
 ここに、他国の軍隊が日本の領土を攻撃してきた場合を想定すれば、(米軍と共同して)その軍隊を蹴散らして、追い払う程度の実力装備を有することは憲法上許容されるという、政府の基本的な立場が守られてきたと理解することができます。

「戦力」の解釈は変えない?

 きのうの閣議決定で不可解なのは、「戦力」の解釈に関して、何も触れていないことです。
 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」という、このフレーズは、ニュース・新聞で何度も報じられているところです。
 しかし、このような“限定的な”集団的自衛権の行使に係る自衛隊の実力装備のあり方について、閣議決定は何ら言及がなく、まして、具体的な限定を加えようとしていません。必要最小限度と言っても、自国を防衛するためのものと、他国を防衛するためのものを含む場合では、軍事の専門家でなくても、スケールがまったく違うことは明らかです。他国防衛の必要性に、一定の限界付け(歯止め)はできるのでしょうか。防衛予算を対GDP比で限界付けることの意味が、ますます相対化されます。
 「戦力」に関するこれまでの政府解釈を踏襲すると言っても、集団的自衛権を正面から容認する以上、必要最小限度の実力という概念そのものが、すでに意味を失っているかもしれません。限度の無いものに、「最小」と形容詞を付けても、ただの気休めにすぎず、何の意味もありません。政府は今後、「戦力の意義について、解釈変更をした憶えはありません」、「自衛のための必要最小限度の実力を超えていません」と言い逃れ続けるのでしょうが、自衛隊の実態としては、今後ますます肥大化することは避けられません。いつの間にか、国民の憲法感覚も麻痺しているかもしれません。

国会審議を堂々とやるべき

 7月14日、15日の両日、衆参両院の予算委員会で集中審議が開かれる予定です。
 しかし、このタイミングでは、7月1日の閣議・議事録の公表に間に合いません。閣議があった日から、その議事録が公開されるまで、運用上、3週間程度のタイムラグがあるからです。この点は運用任せではなく、委員会審議に間に合うよう、予算委員会として早めの対応を要求すべきではないかと思います。これは、与野党関係なく、重要な問題です。閣議において、閣僚間でどのような発言のやり取りがあったか(なかったのか)、国民にもあらかじめ明らかにしなければなりません。あわせて、与党協議において配付された資料の公表も要求すべきでしょう。
 国会審議では、公明党からただ一人入閣している太田昭宏国土交通相の答弁に注目です。太田大臣は、今回の与党協議は当然加わっておらず、議論の経緯は間接的に知るしかなかったはずですが、閣僚として閣議案件に「署名」している以上、説明責任が求められます。今後の法整備に向けて、連立与党間で方向性は一致しているのか(解釈とあてはめで、それぞれ見解の違いはないのか)、国会における追及は絶対に避けられません。むしろ、慎重論に親和的な太田大臣の答弁を引き出すことこそ、野党が果たすべき究極の役割かもしれませんが。

 最近の政治ニュースは、簡単に過去完了形になってしまいますが、こればかりはそうはいきません。
 憲法の条文が変わらなくとも、解釈の変更を受けて、条約、法律、政令、省令など、自衛隊の活動範囲、武器使用等に関わる法整備が進み、憲法の全体構造(憲法を頂点とする、法体系のピラミッド)が大きく変わってしまいます。いまはまだ過渡期ですが、立憲政治が一度変な方向を向いてしまうと、原状を回復するのにも大きな政治的エネルギーを要します。
 「それでも、解釈を元に戻す」という、良識ある議員が党派を超えて結集し、一つの力になることを願ってやみません。原解釈を取り戻す戦いは、始まったばかりです。

 

  

※コメントは承認制です。
第46回 閣議決定の後始末…
それでも、元の憲法解釈に戻す
」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    繰り返される「必要最小限度」という言葉ですが、ではいったい何のための「必要最小限度」なのか? この言葉一つとっても、歯止めがかからずどんどん実態が拡大していく怖さを禁じ得ません。
    南部さんの言うように、あっさりと「過去完了形」にして、それで終わり、というわけにはいきません。〈戦いは、始まったばかり〉です。

  2. Shunichi Ueno より:

    自衛ではなく戦争への参加である。参加したりパスしたり、「必要最小限度」を安倍さんはコントロールできると思っているのか? それとも非常事態を招いて、事実上の憲法停止、一気に体制変革を図るところまで考えているのか? ばかげた話と片付けられないものがある。

  3. kamo より:

    >現在の自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)を超えておらず、戦力に該当しない(9条2項に違反しない)という論理が採用されてきました(この点、自衛戦争のための「戦力」は留保されている、と間違えないようにしてください。目的・規模にかかわらず、9条2項はいっさいの「戦力不保持」を定めています)。

    これっておかしいですね。だってそうでしょう。正当防衛とは、防衛して生き残らなければ、正当防衛が成立しません。自衛権も同じことでしょう。
     自衛して国家の生存がはかれなければ其れは、自衛権の行使ではありません。自衛できない自衛力を保持することの意味がありません。
     極論すれば、自衛とは、核兵器で攻撃されても、生き残るのでなければ、自衛したことになりませんね。核攻撃に対する必要最低限の自衛力とは如何なるものであるかをお示し下さい。
     その提示が出来なければ、上に引用した論理は間違っていることになります。
     そもそも、2項で禁止している戦力とは、1項で禁止している、威嚇の手段としての兵力であり、国際紛争解決の手段としての、戦力でありその行使と考えるべきなのです。
     と考えると、抑止力を主張する集団的自衛権は、完全に9条全体に違反していることになります。

  4. KR より:

    解釈論争ですか。その間に辺野古の工事はどんどん進められて行きます。与党協議などという見え透いたアリバイ作りのための儀式を、民主制の必要手続きであるかのごとく報道するメディア。公明党がとうのむかしに捨て去った「平和主義」をいまさら言い立ててなんになる。公明党が「歯止め」になるなどと世間ではだれも思っていない。S学会員ですらそうだ。憲法解釈が、一内閣の独断でされることが許されないことぐらい、多くのこの国の人たちには分かっている。沖縄の現実は解釈論争より先に進んでしまっている。集団的自衛権行使のための日米連合軍の恒久的基地として、辺野古が起ち上がろうとしている。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

南部義典

なんぶ よしのり:1971年岐阜県岐阜市生まれ、京都大学文学部卒業。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。専門は、国民投票法制、国会法制、立法過程。国民投票法に関し、衆議院憲法審査会、衆議院及び参議院の日本国憲法に関する調査特別委員会で、参考人、公述人として発言。著書に『[図解]超早わかり 国民投票法入門』(C&R研究所)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック』(共著・開発教育協会)、『動態的憲法研究』(共著・PHPパブリッシング)、『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社)がある。(2017年1月現在) →Twitter →Facebook

写真:吉崎貴幸

最新10title : 立憲政治の道しるべ

Featuring Top 10/117 of 立憲政治の道しるべ

マガ9のコンテンツ

カテゴリー