立憲政治の道しるべ

憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

例年繰り返される、憲法改正論議の呼びかけ

 内閣総理大臣は、国会の慣例によって毎年1月に召集される通常国会の冒頭、その1年の取り組み方針を政策項目ごとに述べます。これを施政方針演説といいます。施政方針演説は、召集の日に行われることが多く、衆議院、参議院それぞれの本会議場で、同一の演説内容で行われます。
 安倍総理はこれまで6回、施政方針演説を行っています。過去の演説を改めて検証してみると、2013年を除く計5回、憲法改正に関して言及しています。

国会会議録検索システムより、発言をそのまま抜粋。

 2013年、「言及なし」が一度だけあります。この年は、7月に参議院議員選挙が控えていたため、いわゆる「安倍(的保守)色」を封印して、安全運転の政権運営を以て、選挙の勝利を導こうとした思惑があったと言われています(⇒選挙の結果、自由民主党は31議席増となり、歴史的大勝を収めました)。しかし、翌2014年以降になると態度が一変し、その後一貫して、憲法改正論議を堂々と呼びかけているのです。
 何より着目すべきは、ことし(2017年)の発言です。「憲法審査会」という衆議院、参議院の常設機関を直接、名指ししているからです。内閣総理大臣は憲法上、行政権を司る内閣の首長であることは間違いありませんが(66条1項)、立法権を司る国会、つまり衆議院、参議院の運営等に関して、内閣、内閣総理大臣には何の権限も認めていません(権力分立の原則)。「憲法審査会」をどのように運営していくかは専ら、各議院の裁量に属する事項です。
 憲法改正に対する安倍総理の執着心は、すべての議員が知るところであり、特段珍しくもないというのが率直な受け止めかも知れません。しかし、憲法改正論議の呼びかけは、年々自制が利かなくなり、露骨さを増してきています。今や、一人の政治家としての意見の表明を超えた「悪しき容喙(ようかい)=口出し」であり、国会の権限を侵害する(憲法違反)に至っているというのが私の認識です。

ようやく出た「質問主意書」

 そんな中、逢坂誠二衆議院議員(民進党・無所属クラブ)が先月23日、「内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する質問主意書」と題する、興味深い質問主意書を内閣に提出しました。以下1~5のとおり、安倍総理の演説の問題点を的確に指摘しています。少し長いですが、目を通してみてください。

(質問1)内閣総理大臣が、国会に対してどのような根拠によって憲法改正に関する議論を促す権限を有しているのか。根拠法とともに、その権限を持つ理由について具体的に示されたい。

(質問2)内閣総理大臣は、行政府の長であり、何らかの国会の議論のあり方を促すのは、三権分立の観点から適切ではないと思われるが、政府はどのような見解を持っているのか。具体的に示されたい。

(質問3)本発言は、内閣総理大臣としての安倍晋三氏の立場で行われたのか。あるいは、平成28年10月5日の参議院予算委員会でいうところの「自民党の総裁の立場としては、既にこの憲法改正草案が、これは谷垣総裁当時に自民党で議論を重ねた末取りまとめられたわけでございますが、自民党に対しましては総裁として、この草案の下にまとまってしっかりと憲法審査会において議論してもらいたいということは話をしております」と表明しているところの、自民党総裁である安倍晋三氏の立場で行われたのか。政府の見解を示されたい。

(質問4)安倍総理は、平成28年10月5日の参議院予算委員会で、「憲法審査会はなぜつくられたかということでございますが、まさに憲法を審議する場において、これはつくられたわけでございます。私は、ここに立っておりますのは、行政府の長として、今回政府として提出をした補正予算、そして、あるいはまたこの補正予算に関わる法案等々についてここで答弁をする義務を果たしていくわけでございまして、憲法につきましてはまさに国会において議論をしていく、衆議院、参議院で発議をする、責任と誇りを持って発議をされる」と答弁しているが、行政府の長である内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院、参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つけ、「行政府の長として」「答弁をする義務を果たすこと」に反しないか。政府の見解を示されたい。

(質問5)憲法は、国家権力の監視と抑制を行う規範であり、改正発議は議会がその自由意思で「責任と誇りをもって発議」するべきものであり、行政府の長である内閣総理大臣が議論を促すべきものではない。憲法は国家権力の濫用を縛るものであり、縛られる対象である行政府の長が自らその内閣総理大臣としての施政方針演説の中で規範の改変を促すことは、明らかに則を越え、三権分立に反するものであると考えるが、政府の見解を示されたい。

 逢坂議員は、質問主意書の提出を通じて、安倍総理の権力分立原則違反を厳しく指弾しようとしています。(質問4)で指摘していることは、平成28年10月5日の参議院予算委員会に出席した安倍総理が、「予算に関しては自分(内閣)に責任があるが、憲法改正に関することは国会が決めることで、自分にはその権限がない」と、逃げの答弁を行ったことが、ことし1月の施政方針演説における憲法改正論議の呼びかけと、矛盾した態度とみられることです。そもそも、権限がない者による呼びかけは、法的には無効であると評価されるはずです。
 逢坂議員の質問に対し、安倍内閣は先月31日、以下のような「答弁書」を決定しました。

〈質問1及び質問2について〉
 御指摘の「憲法改正に関する議論を促す権限」及び「何らかの国会の議論のあり方を促す」の意味するところが必ずしも明らかではないが、内閣総理大臣は、憲法第63条の規定に基づき議院に出席することができ、また、国会法(昭和22年法律第79号)第70条の規定に基づき、内閣総理大臣が議院の会議又は委員会において発言しようとするときは、議長又は委員長に通告した上で行うものとされている。
 議院の会議又は委員会において、憲法第67条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている。

〈質問3から質問5までについて〉
 御指摘の「内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院、参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つけ、「行政府の長として」「答弁する義務を果たすこと」に反しないか」及び「規範の改変を促す」の意味するところが必ずしも明らかではないが、御指摘の施政方針演説は安倍内閣総理大臣が行ったものであり、1及び2についてでお答えしたとおり、議院の会議又は委員会において、憲法第67条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている。

 いかがでしょうか。この内容に頷けますか?
 国会議員の中から指名された内閣総理大臣が(憲法67条1項)、衆議院、参議院の要求に応じて委員会等に出席し、答弁している限りでの話であるから(同63条)、憲法上問題はない。これが、答弁書に示された、内閣の言い分です。
 しかし、逢坂議員の質問とは、論点がズレてしまっていて、きわめて不明瞭です。そもそも、63条、67条1項は、権力分立に関する総括的な規定ではありません。それぞれ、国務大臣等の議院出席・答弁義務、内閣総理大臣の指名議決の件を定めているにすぎず、国会と内閣の関係性を解くための一般法理を導くことはできないのです。どう寝転んでも、63条、67条1項の解釈から、内閣総理大臣が衆議院、参議院の委員会、本会議で憲法改正論議の呼びかけを行うことの「合憲性」は引き出せません。
 仮に、この「論理」を用いるならば、「各地の高等裁判所は、一票の較差問題に関して、違憲無効判決を下すべきではない」「沖縄県が辺野古の埋め立て承認を取り消した件につき、処分を撤回するよう、裁判所は毅然と判断すべきである」といった意見を、裁判所に対して呼びかけることも憲法上問題ないということになってしまうでしょう。
 逆の言い方をすれば、内閣総理大臣による憲法改正論議の呼びかけ等、どの程度、どのレベルに達すれば権力分立の趣旨に反することになるのか、その限界事例のようなものを、内閣(法制局)はぜひ、統一見解として示してもらいたいものです。
 逢坂議員は早速、質問書を再提出したようです(今月1日)。安倍内閣は次に、どのような言い訳を重ねてくるのでしょうか。

権力分立原則を一気に瓦解させた、安倍内閣

 安倍内閣は間違いなく、権力分立の原則を瓦解させています。前回までに取り上げた(第110回第111回)天皇退位立法の議論の進め方に関しても、衆議院、参議院の正副議長をあたかも国会対策要員かのように、与野党の合意形成を「要請」するという態度に出ています。しかも、期限付きで、です。
 そして、今月6日のことですが、金田勝年法務大臣が主導し、「予算委員会における『テロ等準備罪』に関する質疑について」と題する文書を、法務省担当の記者クラブを通じて、配付したことが問題視されました(翌7日、謝罪の上、撤回)。
 読者のみなさんは、当該文書の内容をニュース番組、新聞でお知りになったことでしょう。「テロ等準備罪」を創設する法案はまだ閣議決定をしておらず、政府・与党間で構成要件の厳格化や対象犯罪の絞り込み等の協議を行っているところなので、然るべき「成案」を得ていない段階での委員会質疑は実益がないと言わんばかりの、愚痴いっぱいの内容でした。まさに、衆議院、参議院の議案審査権、審議権を潰しかねない、権力分立原則を侵害する文書だったことは明らかです。与党(自由民主党)国会対策委員会の幹部にも相談せず、大臣自らが主導して、メディアを通じて煩い野党の抑え込みを図ろうとするのは、じつに幼稚で、憲法感覚・政治感覚があまりにも無さすぎます。

法的三段論法の無視も

 関連して、「南スーダンPKO日報問題」をめぐる、稲田朋美防衛大臣の答弁ぶりにも言及しなければなりません。「結論として、憲法違反にあたるかもしれない」ので、戦闘ではなく「衝突」と書き換えた問題です。当初は「抗争」と書かれていたとも報じられています。
 そもそも法学を学ぶとき、ポイントとして最初に押さえるのが、①大前提(規範)→②小前提(事実)→③結論という三段論法です。稲田防衛相は法律家(弁護士)であるにもかかわらず、国務大臣として平然とこれを無視しています。信じられません。国務大臣というより、法律家としてすでに失格でしょう。よくぞ、司法試験の最終合格を果たすことができたと、違う意味で感心してしまいます。
 私が指摘するまでもなく、憲法上禁止されている「武力の行使」(9条1項)の意義は、①のレベルで確定しています。それに、現地で発生した事実をそのままあてはめれば(②)、合憲か、違憲か、自動的に結論が出るのです(③)。これが、一般的な法的思考方法というものです。
 仮に、三段論法を無視するのであれば、それから導かれるのは政治的直感に基づく結論に過ぎず、極めて恣意的な、不安定なものになります(まさに、法の支配ならぬ「人の支配」です)。例えば、このままだと被告人に殺人罪が適用されてしまうので、傷害罪となるよう、起訴状(公訴事実)を書き換えてしまおうとする検察官が、この世にいるでしょうか? ③を先に想定して、自分の価値判断を加えて、②を捻じ曲げることは、絶対にあってはならないのです。稲田防衛相の思想、信条に賛同するか否かにかかわらず、およそ法学を学んだ方にとって、三段論法を放墜する今回の答弁は相当受け容れ難いものだと思います。
 安倍=トランプ会談の余波があまりにも大きく、政治の日常で起きている憲法問題を見逃しそうになってしまいます。メディアが垂れ流すニュースの洪水に、つい呑まれそうになってしまいます。しかし、憲法施行70年という節目にあたる今年、主権者である私たちがしっかりと目を光らせ、立憲政治の軌道を守っていかなければなりません。

 きのう(14日)、東京新聞朝刊28・29面「資金力で勝る改憲派に有利? 国民投票法改正を」に、私のコメントが掲載されました。よろしければご覧ください。

 

  

※コメントは承認制です。
第112回「憲法改正論議の呼びかけは、憲法違反ではない」異例の政府答弁書を読む」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    国会、内閣、裁判所の三権がそれぞれ抑制し合うことで、権力の濫用を防ぐのが「三権分立」です。学校でも習い、試験にも出るので呪文のように覚えました。しかし、その誰でも知っている大原則でさえ、崩れつつあるのではないでしょうか。「政治家のやることだから」とずるずると見逃してしまうことなく、厳しく追及していく責任は私たちにあります。

  2. なると より:

    えーと、すみません。憲法の何条に違反してるんですか?

    例えば、スピード違反とか二段階右折違反が「違反」なのは、道路交通法の何条かに「ダメだ!」って書いてあるからですよね。

    同じように、論議の呼びかけが憲法違反に当たるというなら、そこには対応する条文がありますよね。なければ違反とは呼べないはずです。それがこの文中のどこにもないのは何故なんでしょう?

  3. 鳴井 勝敏 より:

    権力に対する監視、批判は緩めてはならない。権力は腐敗することを人類の歴史が教えているからだ。人権感覚の麻痺した社会。安倍の暴走を止めるのは憲法の力しかない。
     さて、内閣総理大臣が衆議院、参議院の委員会、本会議で憲法改正論議の呼びかけを行うことは権力分立原則の違反が濃厚だ。議院内閣制のもと、内閣と国会の分別がないのでは。
     閉塞感の漂う社会。不確かで不透明な時代。しかも長寿時代。 「日本では何でもあるが、希望と夢がない」と語る若者達。 そんな中で一段と輝きを増す「日本国憲法」。 希望と勇気を与えてくれる。 
     憲法とは、国権力を制限し、国民の権利、自由を守るもの。ここでの基本となる価値観は「個人の尊重」(13条前段)。「憲法はどんなことがあっても社会のために個人が犠牲になってはならないという価値観にたっているのです。それが個人の尊重です」。
     個人の尊重からは派生する自由主義。これは「自由権」という人権体系、「権力分立」という統治体系に現れ、両者は目的、手段の関係にある。だから、「権力分立」が崩壊するということは「自由権」の後退を意味する。法律は国民を制限する。憲法はその法律を作る人を、すなわち国家権力の側を制限する。従って、法律は具体的だが、憲法は抽象的な条文が多い。
      憲法の力で希望を取り戻す。等親大で、一人一人ができることを語りましょう。 ノイジ-・マイノリティに翻弄される日本社会からの脱却のためにも憲法という音量をさらに高めましょう。
     参照文献:「伊藤真の憲法入門」「伊藤真の図解憲法のしくみが良く分かる本」

  4. 鳴井 勝敏 より:

    司法試験を合格、弁護士の資格を持つ者の発言が法曹人か、と疑いたくなる発言は今に始まったことではない。選挙で当選すれば全権委任だと叫ぶ前大阪市長。砂川判決をねじ曲げた高村副総裁。
     ところが、南部さんの稲田防衛大臣に対する指摘は、法曹家の基本中の基本のことである。つまり、①大前提(規範)→②小前提(事実)→③結論という三段論法の論理操作は一般人と異なり、法曹家といわれる所以である。
     理性が感情に埋没してしまったか。現地に派遣されている隊員は命が掛かっている。その共感力は持ち合わせているのだろうか。はなはだ疑わしい。

  5. 多賀恭一 より:

    日本の総理大臣が戦争をしたら、憲法違反で死刑になる。
    つまり憲法9条の真の意味は、
    総理大臣の命と引き換えに戦争できるということだ。
    外国とは、所詮、邪悪な国の方が多いのだから、日本に対する侵略は起こるし、それに対しては憲法9条違反を覚悟しなければいけない。その対価が総理大臣の命だ。自衛隊員が国外で次々と死んでるのに、権力者は安泰?このようなことを許さないために9条が必要なのだ。
    「総理大臣になることは、死ぬことと見つけたり」である。
    アメリカの大統領やロシアの大統領、中国の国家主席ごとき軟弱に、日本の内閣総理大臣は勤まらないのだ。

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南部義典

なんぶ よしのり:1971年岐阜県岐阜市生まれ、京都大学文学部卒業。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。専門は、国民投票法制、国会法制、立法過程。国民投票法に関し、衆議院憲法審査会、衆議院及び参議院の日本国憲法に関する調査特別委員会で、参考人、公述人として発言。著書に『[図解]超早わかり 国民投票法入門』(C&R研究所)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック』(共著・開発教育協会)、『動態的憲法研究』(共著・PHPパブリッシング)、『Q&A解説・憲法改正国民投票法』(現代人文社)がある。(2017年1月現在) →Twitter →Facebook

写真:吉崎貴幸

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