マガ9対談

その1その2その3


安倍首相が元旦の年頭挨拶でも、時期国会での「国民投票法の成立」を強く言明しました。
当然、大手メディアもこぞってこの話題を取り上げましたが、さてその中身については? 
成立してしまってからでは遅い「国民投票法案」のさまざまな問題点や考え方について、
立場を違える二人の論者に、対論してもらいました。
前回に引き続き長文でお届けします。

井口秀作●いぐち・しゅうさく 1964年生まれ。一橋大学大学院博士課程満期退学。現在、大東文化大学大学院法務研究科助教授。専攻は憲法学。フランスの国民投票制度を研究。著書に『いまなぜ憲法改正国民投票法なのか』(蒼天社出版)など。主な論文として「国民投票法案」に浮上した新たな問題点『世界』/「国民投票法案」の批判的検討『法律時報』/憲法改正国民投票法案をめぐって『法学セミナー』など。

今井一●いまい・はじめ 1954年生まれ。ジャーナリスト。[国民投票/住民投票]情報室事務局長。81年以降ソ連・東欧の現地取材を重ね、89年からはバルト3国、ソ連、ロシアなど民主化の過程で実施された各国の国民投票を現場で見届ける。また、04年、05年にはスイス、フランス、オランダで実施されたさまざまな国民投票を現地取材。96年より日本各地でまき起こった住民投票の現地取材を進める。主な著書に『住民投票』(岩波新書)、『憲法9条」国民投票』(集英社新書)、『「9条」変えるか変えないか―─憲法改正・国民投票のルールブック』(現代人文社/編著)など。

◆国民投票法案の永住外国人の投票権について

編集部
 前回は、改憲のための手続き法、国民投票法案における、メディア規制や広告をどうすべきなのか、という問題について討論してきました。今回も引き続き、国民投票法の問題について。まず永住外国人の投票権をどうするべきかについて、話し合っていきたいと思います。現在の与党案、民主党案共に、投票権は日本国籍を有することが条件であり、永住外国人には認められていませんね。

井口
 これは政策的な選択のレベルだと思います。投票権をつけなければ違憲だとかという議論ではないと思うんです。だからといって与えるべきということについても問題は残っていて、与えることによって、ある意味では永住外国人にも責任の一端を負わせることになりますからね。その点では、どっちがいいのかなというふうに思います。

編集部
 一般の選挙でもそうですけど、永住外国人の方たちは、ちゃんと日本で仕事をして税金も払っているし、義務は果たしているのに権利はないっておかしいじゃないか。国民投票だってそうじゃないかという議論がありますね。

井口
 しかしそういう議論をするのは、私はよくないと思っています。じゃあ国民投票で認めりゃ、それでいいのかっていう議論にもなりますから。結局は永住外国人という制度の一般的な問題にいくと思うんです。国民投票権だけ与えて、だからいいだろうという議論はよくない。これは全体的な制度の中でこれは考えなきゃいけないわけですよね。

編集部
 すると井口さんのお考えでは、それだけで議論する問題ではなく、国民投票権を与えるのならば、選挙権もすべて与えるべきだと。

井口
 一般的な政治参加の問題として。少なくとも憲法改正の国民投票の投票権を与えて、議員を選ぶ選挙権を与えないというのは、矛盾すると思いますよ。逆に、選挙権は与えるけど、憲法改正の国民投票まではダメということは、あり得るでしょうけど。

編集部
 とすれば、井口さんご自身の考えとしては、両方とも与えるべきだ、両方とも与えないべきだ、どっちなんでしょうか?

井口
 私は、与えるべきだと思います。

今井
 私は、この件については全然違う考えを持っています。私は、大阪の生野区というところで生まれて今も暮らしています。籍の問題だけで言ったって区民の3分の1が外国人なんです。特にコリアンが多い。この地域においては、帰化した人も入れると私ら日本人は、今や少数派です。地方参政権についてとか、住民投票については、私はどんどん認めるべきだと思うし、現に、今、行われている住民投票は永住外国人の投票権を認めるケースが多い。一番最初に認めたのが滋賀県の米原町です。

 ただ、国民投票で参加を認めないほうがいいという理由は、例えばの話ですけれども、非常に具体的に言ったら、9条問題について国民投票をやるとすれば、国家の安全保障の問題の絡みで必ず朝鮮のことが出てきます。にもかかわらず、朝鮮籍の人たちに国民投票権を認めるというのは、私、ちょっと違うんじゃないかと思う。

 海外の事例から言いますと、例えばかつて第二次世界大戦が終わってポーランドの領土というものが大きく変わりました。ドイツに対する戦勝国であるソ連が、ポーランド領土の東側の5分の1ぐらいを旧ソ連が取ったわけです。それでポーランドは狭くなるからどうするかといったら、ドイツがポーランドを侵略したんだからといって、ドイツの東側をポーランド領土とした。そんなめちゃめちゃな戦後処理をしたわけですが、このことによって、一部のドイツ人がポーランド領に住むことになったり、ポーランド人がソ連領で暮らすようになったわけです。

 そこで、投票権についてどうしたかといったら、やっぱり国籍を転換した人にだけ投票権を認めているわけです。国民投票も選挙もね。「ずっとおれはポーランド人だ」という人には、ソ連人民としての政治的権利を与えなかったわけです。

 そんなことは、日本の永住外国人だけじゃなくて世界中幾らでもあることであって、ルールとしてその国の市民権を取る、あるいは戸籍を取るという形でしか国民投票に参加できないというのは、今現在の世界の常識になっています。今後それがどうなるかはともかくとして、今現在では、国籍を持たない人に認めるというのは、極めてまれなわけです。

編集部
 スイスとフランスはどうですか?

今井
 両国とも、それぞれの国籍を持っていないと認められていません。

井口
 その点は、さっきも言いましたが、与えなければ違憲だということにはならないと考えています。くり返しますけど、全体的な永住外国人という制度の中で、全体の中で解決しないといけないことだと思います。それができないから、今は与えられないという議論は、それはそれで正しいでしょう。しかし、だからほっといていいのかというと、またそれは別だと思うんですね。そういう中で解決しなきゃいけないことです。だから国民投票の場面だけで永住外国人の投票権を議論するというのが、おかしいという気がします。

今井
 この国民投票の問題でも住民投票の問題でも、歴史的にいろいろと難しい側面はあると思うけれども、まず当事者が私たちにも認めてほしい、認めなさいという運動を起こしてもらわないとね。なぜかというと、そうしないと今の日本人が納得しないと思います。永住外国人であるその方々たちが求めもしていないものを、何で与えないといけないんだと。今の日本人の有権者を納得させるためには、まず当事者たちが要請し、大きな運動を作ってもらわないと。

 これに付随する問題として言うと、今回、最初はルールづくりの中で外国人の国民投票運動を規制するという項目がありました。しかし、それは全面自由になりました。ですからこれを永住外国人の方たちは生かしてほしい。もし9条の改正に賛成だったら賛成の、反対だったら反対の運動をどんどん展開してほしいなと思っています。

◆最低投票率を設けるか、どうするか?

編集部
 永住外国人の投票権の問題については、この辺にしましょうか。次は、最低投票率を設けるか、設けないかについての議論に入りたいと思います。これもやはり、随分お二人の考え方は違うようですが、井口さんは、どう考えてらっしゃいますか? 一般の選挙と憲法は違うんだ、設けるべきだというお考えでしょうか。

井口
 これは、私は今井さんに聞きたいのですが、論理的に、憲法上、最低投票率をつけちゃいけない、という議論はあるんですか。

今井
 憲法ではなく法律で設定してはいけないという考え方はありますよ。例えば京都の折田泰宏弁護士は、明確にそう言ってますね。

 ロシアは、憲法の中に国民投票での成立要件としての最低投票率を記していますし、ドイツの州民投票による州憲法の改正では、有権者の過半数が参加しかつ総投票の3分の2の賛成が必要という、とても高いハードルを設定している州もありますが、これも法律ではなく州憲法に明記してあります。

井口
 外国の例ではなく、日本国憲法にはそのような規定がないわけですが、それでも日本国憲法の96条は、国民投票について最低得票率を法律で定めることを禁止していると理解する見解があるのか、ということを聞いているのですが。住民投票条例で最低投票率が定められている場合がありますけど、これは定めることが禁止されていないからできるわけですよね。

 今井さんのよく知ってる南部義典氏のブログでは、これは憲法事項だと書いてありました。憲法事項であるから、国民投票法で最低投票率を設けてはいけない。それをしたかったら、憲法改正をしろ、そのために、請願をしたらどうかということでした。つまり、憲法事項という言葉が、最低投票率の法定化の禁止という意味で用いられています。それは多分1つの解釈論としてあるのかもしれないけど、少なくとも最低投票率を設けるべきではないという人たちの間でも、多数意見とは思えない。むしろ、最低投票率を設けないとボイコット運動みたいな問題がありますよ、という議論をしているはずです。私自身は、承認の要件が過半数であるけれど、その前に当然国民投票が成立していることが前提で、成立した国民投票の中で過半数ということにになるわけだから、確かに憲法上の要請があるというふうに思うんです。国民投票が成立するための要件というのを、憲法96条は要求しているというふうに私自身は思っている。だから、極端に言えば、投票率が0%でいいということではないというふうに思うんですね。また、1人でも投票すればいいということではないと、少なくとも憲法はそれでもいいと考えてはいないと、私は論理的には思っています。だから、当然国民が承認したかどうかを確かめることができると言えるような国民投票でなければいけないという要請が、一応私はあると思っています。それを、法律で定めるということは許されるというふうに思っているんですね。

 あとは、多分、今のところの議論としては、政治的な選択の問題として処理されているということでしょうね。

 政治的な選択の問題ということから考えても、私自身は、やっぱり設けるべきであるというふうに思います。

◆96条に書かれた「過半数」をどう解釈するか?

編集部
 憲法96条に書かれてある「(憲法改正の)この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」をめぐる解釈の話だと思いますが、井口さんは、例えば50%といった最低投票率を設けるべきと考えていますか?

井口
 具体的な数字は、難しいですね。ただ私自身は、国民の過半数の承認があったと言えるための国民投票については、50%は必要かなと思っています。

今井
 井口さんが今おっしゃったのは投票率ですよね。投票率が50%ということは、論理的に考えたら全有権者の25%+1票を取れば確実に多数派になるわけですね。そうすると、もしそういう成立要件としてのハードルを設定するとしたら、投票率で設定するのではなくて、絶対得票率で設定したほうがいいと思う。つまり、賛否どちらか多数を制した陣営が有権者総数の25%以上の票を獲得すれば有効と。例えば、千葉県我孫子市は、今、常設型住民投票条例の中にこうしたルールを盛り込んでいます。25%じゃなくて3分の1ですが。

 読者からすると、井口さんがおっしゃっている50%も、私が言っている25%も一緒じゃないかと思うでしょうが、これは全然違うんですよ。仮に有権者が100人ということで考えてみましょう。普通、投票率はよくて7割ですよ。その中で6対4の結果になれば6は圧倒的な勝利ですよね。投票者総数の中で20%も差が出ているんだから。だけど、投票率7割=70人の中の6割といったら7×6=42人でしょう。で、少数派のほうは7割の4割だから28人。そしたら、この28人が、自分たちがたぶん負けるからということでボイコットを仕掛けたら、42人全員が投票に行ったって投票率は5割(50人)に届かないんです。

 しかし、50%の投票率ではなく25%の絶対得票率というハードルなら42人は、25%(25人)をはるかに超しているわけですね。ということは、25%ルールがあったら、さっき言ったボイコットを仕掛ける側のほうは、ボイコットしても意味がないから勝負に出て来ざるを得なくなるわけ。だけども50%ルールだったら、少数派は間違いなくボイコット運動を仕掛けてきます。これは、いくら理屈を並べてもダメで、私は現場を見てきた事実から話しています。

井口
 現場というのは、どこですか?

今井
 岩国(米軍基地機能移転問題)もそうだし、徳島(吉野川可動堰建設問題)もそう。他にもたくさんあります。そして50%ルールを設定したところは、たいてい負けると思われる側がボイコット運動を仕掛け、「不成立」に持ち込もうとするんですよ。

 このボイコット運動を仕掛けて何がよくないかといったら、本来、主権者がよく学んで議論をして、主権行使として最終決着をつけようということになっているのに、岩国なんかは典型的だったけれども、キャンペーン期間中に議論させないわけですよ。「艦載機の基地機能移転を受け入れることがどういうことなのか議論をしよう」と片方が呼びかけても、公開討論会にも出てこないで、「ボイコット、ボイコット」と言うだけなのね。徳島もそうですよ。可動堰建設派が市民に向かって「おまえ、今度、住民投票に行ったらえらい目に遭わすからな」みたいなね。「本来、可動堰を造るということがどういうことなのか議論をしよう」と言っているのに、ひたすら不成立を狙うだけ。

 「どうせ負けるんだから、ボイコット運動を仕掛けてこの住民投票を無効にしてやろう」という少数派の心情はわかる。でも、問題の焦点を議論させないというのは、住民投票や国民投票というものを根底から否定することになるのではないでしょうか。だから、そういうことを防ぐためも、投票率ではなく絶対得票率のハードルのほうが私はいいと思う。

編集部
 井口さんは、どうですか。

井口
 絶対得票率は、憲法の解釈論を無視すれば、魅力的な制度であるけれど、憲法で過半数の承認と言っているのを、全有権者の25%+1票の賛成とか、あるいは30%とか40%とか設定するのは問題かなというふうに思うんです。あくまでも、国民投票法は、過半数で承認と定めなければならない。それこそ憲法事項です。ただ、過半数の分母について憲法の解釈上は争いがあって、それが、立法の場面で一つの論点となっているだけです。法律にできることは過半数の分母を定めることであって、過半数の分母さえ決めれば過半数で決まる。承認しなきゃいけないと思うんですね。ただし、その成立要件の前提は、国民投票がちゃんと成立していることだと思います。要するに、実数として賛成がかなり少ないのに国民が承認したことにしていいのかという問題は、日本国憲法上は、今井さんのような絶対得票率制度ではなく、最低投票率制度の可否の問題として考えるべきであるというのが、私の立場です。

◆ボイコット運動はおきるのか

井口
 ボイコット運動について言うと、私は『世界』(岩波書店/2006年11月号)にも書きましたけど、住民投票の例を挙げるのは、ちょっと違うというふうに思っているんですね。

 ボイコット運動は、住民投票の例を引けば、改憲派にこそ有利なことだと思っているんです。負けそうになったらボイコットして、不承認じゃなくて不成立にするという。そして不成立なんだから、もう1回国民投票をやるという可能性を開くような、私はそういうことだと思うんですよ。

 でも、国会が発議したものに対して、国民がボイコット運動で賛成してくれなかったという、その意味は、ものすごく大きいと思います。それはそれで、いいと思うし、1つの意思表示ですし。でも、改正したいのならボイコットしないで、賛成の投票すべきだというのはその通りだと思う。

 しかし、一般的に憲法改正の国民投票だから、改正に賛成の人たちがボイコットするのはおかしいし、改正されるかもしれないわけだから、改正に反対の人たちってボイコットしないですよ。

 ただ私は、少なくともいろいろな地方でやっている住民投票にあるような、最低投票率を定めて、そこを超えなかったら開票自体をしないというのは、絶対よくないと思います。これがボイコット運動を誘発するというのはよくわかります。最低投票率を定めても必ず開票することにすべきだと思います。そして、開票して反対票が賛成票よりも多かった場合、憲法改正の承認がないという点で、ある意味、最低投票率の達しないで国民投票が不成立というのと反対票が賛成票を上回って不承認というのは同じことであるから、開票して、とにかく反対票のほうが多かったら、これは事実上不承認として考えざる得ない。だから、最低得票率はそれ程重要ではない。そうなると、これ、改正賛成の側は絶対頑張らなきゃいけないわけですよ。反対票を超えないことには、反対を上回らない限りは改正できないわけだから、ボイコットなんかしている場合じゃないでしょうね。

 問題は、開票して賛成が多かった場合。よく言われるのは、政治的な効果の問題として、低い投票率で賛成が多かったとすると、国民投票の結果に正当性がなくて、むしろこういうのが解釈改憲を促進してしまうんじゃないか。

 もともと日本国憲法が押しつけ憲法だという議論は、だから、日本国憲法は正当性ないという議論でしょう。賛成が多かったとしても、あまり投票率が低い中の賛成だということになると、むしろ正当性が疑われるから、だから問題。むしろそれが憲法の不安定さを生み出すことになるかもしれないから、賛成が多かったときには、最低投票率を定めて、それよりも投票率が低かったら不成立にする。それを超えている場合は承認にする。だから、承認、不承認、不成立と3つが出てくるという。私、そういうバランスをとったほうがいいんじゃないかなというふうに思います。不成立のときにどう対処するかは、問題として残りますけど。

今井
 ただ、日本国憲法の最初の草案になった英語版のほうを読むと・・・

井口
 all votes。
(編集部注 原文は、the affirmative vote of a majority of all votes cast.)

今井
 all votesつまり「総投票」でしょう。「全有権者」じゃないですよね。英語版では総投票の過半数というふうにしか96条は読めないじゃないですか。

井口
 英文をどれだけ日本の憲法の解釈論として読むかという、そこの問題でしょうけれどもね。私、過半数は「全投票者の」でいいと思うんですよ。それは、あくまでも承認の要件ですよ。じゃあ、国民が3人だけ投票して2人の賛成者がいれば、承認でいいのかというと、それは、まず国民投票が成立していることが前提のわけだから、それとは違う議論だと思いますね。

編集部
 そこでもう一つあるのは、投票に参加していない人間の意思まで尊重しなくちゃいけないのか、という意見もかなりありますね。

今井
 この問題についてスイスは割り切っています。いくら投票率が低くても、成立となります。つまり、投票に参加した人の多数派の意思が具現化される。

 ドイツの各州で州民投票制度を70年代にどんどんつくっていったんですけれども、そのときの議事録を見たら、すごくおもしろい。当時、日本で言うところの保守政党が、自分たちだけじゃなくて、国民のイニシアチブや拒否権を認めるという、州民投票について制度化していこうというふうに発言しているわけね。

 そのときに、今の投票率の問題が出たんですよ。それで、50%を超えたらオーケーだけれども、超えなかったら無効ということにしようということが、ドイツの保守派と野党第1党のほうの両方から出るわけ。それに反対しているのは、緑の党だけなんです。緑の党の発言を読んだら、こんなふうに書いてあるわけ。自分たちは、結党以来市民の政治参加を求め、促してきた。市民が政治に参加することによって民主主義というのは育まれ保障されるんだと言ってきた。50%ルールを設けたら、時として参加しない人たちの意思が通ることになる。それはおかしいじゃないかと。だから、例え投票率が3割でも4割でも、参加して何らかの意思を表明した多数派の意思が具現化されるべきであって、参加しない人たちの意思が通っていくなんていうのは、民主主義の崩壊につながる──と議事録に載っているんですね。私は、それも一理あると思う。文句があるんだったら参加しろと。

編集部
 その話は、すごい説得力があるような気がしちゃうんですけど・・・。

井口
 私は、投票に自覚的に参加しないことも1つの市民参加の意思の表示なのだと考えてもよいと思います。例えば、前の話で、「発議の内容は関連する事項ごとに」というのがありましたけど、「関連しているかどうか」を最終的に決めるのは国会ですから、国民からみたら「内容において関連しない」ものが、一つの憲法改正案として発議された場合というのは、不適切な発議であってそれに対しては国民は答えられないという、そういう回答があり得るんですよ。不適切な問題では答えようがないわけだから、それに対して賛成、反対と意思表示ができない。多分、答えられないなら白票を投じろということだけど、それが意味を持つのは最低投票率が設けられた場合だけです。白票が、無効票か反対票に自動的に計算されるのであれば意味がありません。例えば、民主党案だったら白票ってもともとないですよね。そういうことだってあるわけだから。

今井
 もちろん、それはあると思うよ。例えば戒厳令を敷かれたポーランドで87年に経済改革の問題の国民投票があったんですよね。そのときは、みんなボイコット運動をしようということでやったんですね。そういう、非民主的な体制化での抵抗としてのボイコットはあってしかるべきだと思うんです。

 ところが、私が想定しているのはそういうのじゃなくて、例えば9条の問題なんていうのは、きちんとしたルールで行われるんだったら、やっぱりきちんと議論すべきだと思う。不成立に追い込んだからといって、それが、本当にそれで解釈改憲をストップさせたり、9条の精神を具現化することにプラスになるかといったら、私は絶対にならないと思う。

編集部
 よく一般の選挙のときに、投票率が下がる要因の一つとして「入れたい人、いないから」というのがありますね。それに対して、例えば筑紫哲也さんは「入れたい人がいなくても、どっちがよりましなのか、というのを選んで入れるのが選挙じゃないか、民主主義じゃないか」と言ってますが、国民投票も、もしもどっちも選択肢がないといっても、よりましなのはどっちだ、というふうに選んで入れるものだ、という見方もあるかなとは思います。それについてはどうなんでしょうか?

井口
 それは、どっちともとれないということもあるでしょう。白票なり棄権なりと、私が言っている意味がある場合だってあると思います。

 ただ、必ずしも最低投票率を──ボイコット運動は、私自身は起きないというふうに思っていますが──最低投票率を設けることが、投票しない人間のことまで考えたのかっていうと、必ずしもそうではないと思いますけどね。制度設計上の問題で、不成立なのか不承認なのかという問題で分けて考えればよいと思いますけど・・・

今井
 辻元清美さんや福島瑞穂さんなど、社民党の議員の方々が、戦術論として憲法9条の改憲をしにくくさせるために、国民投票法をどうあるべきかということで発言されているのか、それとも、民主主義の制度として理に適ったルールは何かということでおっしゃっているのかが、私にはよくわからない。

 その辺が、もうちょっときちんと、どういう視点でおっしゃっているのか。

 というのは、私の著書(『9条変えるか変えないか・・』)(現代人文社)の中にも載せてありますけれども、社民党の阿部知子さんが公開討論会のパネリストの1人として出てきたときに彼女ははっきり言いました。「ボイコットも国民には選択肢の一つですし、50%という線は置いたほうがいい。これは党の見解でもある」というふうに。そうだとしたら、今、社民党がおっしゃっているのは、そういう観点でおっしゃっているとしか思えないから。

編集部
 ただ、護憲派がそういう抵抗をするのもありだということは、憲法学者の小林節さんなんかも言っていますね。

今井
 それはもちろん自由ですよ。

編集部
 国民投票法案の成立に、まず反対しておけば、とにかく9条は変えられないわけだから、という考えを持つ、護憲派は少なくないでしょうね。

井口
 私は、何かそこに「護憲派が国民投票を避けている」という、改憲派や国民投票派からのイメージづくりがあって、ボイコットするのは、護憲派だって言っていますけど、さっき言ったようにボイコットするのは絶対改憲派ですよ。だって、今までの岩国とか全部そうでしょう、どっちかというと。そういう立場の人がやって開票させないという。開票させないことによって、住民投票のそもそもの意思表示をさせないという。

 だから護憲派にとっては、ある意味では、反対の運動をして反対投票を求めることとボイコット運動をして棄権を呼びかけるのは、私、大差ないと思ってます。ボイコット運動をして、聞いてくれるくらいであればね。

◆議会と市民とイニシアティブ

今井
 私ね、9条護憲派の特にリーダーの人たちは、三重県の海山町で行なわれた住民投票のことをしっかり勉強してほしいなと思うんですよ。あれは、住民投票と国民投票の違いはあるけれども、まさに今の9条をめぐる状況に非常に似ていると思うんです。

 それまで、原発をめぐる住民投票というのは、議会で多数を握っている人たちが電力会社に原発を造ってください、うちの土地は提供します、協力しますと。町長と議員の多数、がそういうふうに言って、電力会社に誘致を申し入れに行くということで、怒った人たちが、「そんなもん、おかしい。民意とねじれてるから住民投票で決めろ」という展開になる。巻町も刈羽村も、住民投票に至るまでにどれだけ時間とお金と労力をかけたか。苦労して何年もかけて最後はやったわけですが、なかなか住民投票ができなかったわけですよね。

 ところが、海山町の住民投票は全然違ったわけです。これは、町長が塩谷さんといって土建屋の社長で、塩谷派の議員が3分の2いるわけですね。町の北側には南島町と紀勢町といってかつて中部電力が原発を造ろうとしたところがあって、住民投票条例でつぶされているわけです。で、うちに造ってくださいといって手を挙げようとしたわけですよね。普通だったら3分の2で決議して、申し入れに行ったらいいのに、塩谷さんは、「住民投票で決めたい」と言ったんですよ。これ、画期的ですよ。びっくりしました。

編集部
 議会で3分の2を持っているほうが、住民投票にかけたいと言ったわけですね。

今井
 住民投票にかける必要もないのにそう言ったわけ。ある意味、フランスのEU憲法の批准と一緒なんですよ。何でそんなふうにしたか、それはフランス大統領の発想と一緒ですよ。とにかく、住民投票をやらないと巻町や紀勢町や南島町みたいに混乱が生じてなかなかうまく進まない。だから、自分たちが主導し有利な条件で、有利なタイミングで住民投票を仕掛けたらいいという発想だったわけですよね。

 いずれにしてもやったわけです。そのときに、共産党や社民党の反原発派の人たちは、「絶対、住民投票条例は反対」と言ったんです。これ、今で言ったら国民投票法の制定反対と一緒ですよね。

 「何で反対なんですか」と、住民投票をやるために散々苦労した巻町の人や刈羽村の人が応援に行って、みんな首をかしげたわけですよ。住民投票をやると言っているんだからやりゃいいじゃないかと。

 「住民投票がダメということは、議会で決めろということですか」と言ったら、「とんでもない。議会が決議なんかするのはとんでもない」と。「じゃあ、住民投票でいいじゃないですか」、「それもだめや。一切だめなんや」と。

 ところが、実際に条例は制定されるわけですよね当然。町長派は3分の2があるわけだから。そうしたら原発反対派の市民は急激に変わり、一枚岩になって住民投票で勝ったわけです。

 私は、あの様子が、今のこの状況に非常に似ていて、あれはたまたま狭い地域で問題が原発という非常にわかりやすいテーマだったから、すぐに一枚岩になって、わずか2カ月でものすごい勢いで逆転したけれど、9条の国民投票ではそうはいかないと思う。

 井口さんは、国民投票に背を向けているのは護憲派だ、というイメージづくりがあるというふうに言われているけれども、実際に今、国民はそういうふうに見ていると思うのね。この流れで行っていいのかどうかということを、井口さんがどんなふうに考えていらっしゃるのかなと私は思うんです。

◆9条護憲派は、国民投票をどう考えていくべきか

編集部
 今ちょうど、最後の大きなテーマに移ってきたと思いますが、9条を保持したいという護憲の立場、『マガジン9条』の読者の大半はそうだと思いますが、私たちからすれば、改憲の発議を否定するための国民投票になるわけです。この場合の国民投票を行うことの意味や、意義についてお二人の意見を聞いていきたいと思いますが。

井口
 多分ここが、今井さんと一番違うところでしょう。

編集部
 護憲派政党や、市民団体は、国民投票法成立にはまず反対だと。共産党、社民党はそうですね。

今井
 井口さんは、国民投票法の制定に反対したら、解釈改憲が進むことになるというのは論理的におかしいというふうにおっしゃっていますけれども、私は、そう言っているんじゃない。国民投票で決着をつけなかったら、解釈改憲を阻むことはできないというふうに言っているわけですね。少なくとも、この3年間は私の言っていたことは正しかったと思う。どんどん進んでいる。憲法9条改正の発議が3、4年後か。それまでに衆議院の選挙って、あってもあと2回だと思うんです。その2回の選挙で、9条護憲の勢力の国会議員が国会で多数を占めることになるとは私は思えない。

編集部
 多数じゃなくても、3分の1以上いればいいんですよね。

今井
 3分の1以上あれば改正の発議を阻むことはできても、解釈改憲を阻むことはできません。2回の選挙では、護憲派政党が多数を取ることは、まずできないと思う。

 そうすると、私は、これだけわけのわからない状態になっている今の防衛状況、憲法9条と大きく乖離したこの状況を正すのは、もう1人ひとりの国民の力しかないと思う。それでもっと言えば、こういうことになったのは、この2、3年の帰結じゃなくて、60年間のツケが回ってきたと思っています。60年間、やっぱり私たち主権者がこのことについてサボってきたと思う。自衛隊の問題も非常にいいかげんに、曖昧に放置してきたと思う。PKOから始まって徐々に徐々に、ここまではいいだろう、ここまではいいだろうと思っているうちに、いよいよ核武装にまで至ってきているわけでしょう。

 おそらく2007年中に、具体的には集団的自衛権の行使を認める姿勢に入ってくると思う。そうすると、それを止めることができるのは、選挙でそれはいけないという人たちが多数を取るか、国民投票でガツンといくしかないと思っています。

編集部
 選挙か国民投票、その2つしかないと。

今井
 私はその2つしかないと思う。「国民投票より、まず選挙で多数をとることが大事」と言う人がいるけれど、社民党の議席や共産党の議席が急増する可能性は低い。それが現実なんですね。だから、選挙で護憲派の人たちが頑張って、社民党や共産党の議席を増やそうと言われるのは、それは言われたらいいですが、解釈改憲がここまで来たら、国民投票で決着をつけるしか、私はこれを正せないと思う。解釈改憲はいけないと言いながら国民投票はだめだと言っている人は、国民投票をしないでどうやって解釈改憲を阻むのか、その道筋を具体的に教えてほしい。

井口
 冒頭に言ったことですけど、憲法改正について国民投票をやるということは決まっているんですね。これは、間違いなく決まっています。これ、発議がなされれば国民投票は必ず行われるわけです。そのときにボイコットするかどうかはまた別の問題がありますけど、多分国民投票法制定に反対している人たちがみんな逃げちゃう、ボイコットをするとか、そういうことは私はないと思います。1つの政治的なプロセスとして、やっているという。そのような反対の仕方にどれだけの正当性があるかどうか。その点で、私は別に逃げたわけではないということですね。逆に、国民投票となったら、反対で一枚岩になるかもしれない。いろいろな要素があると思います。

 私と今井さんの一番違うところは今の点で、今井さんが「解釈改憲をとめるためには国民投票で決着をつけるべきだ」という主張に対して、私は、「国民投票をやっても解釈改憲がとまるという可能性があるわけではない」という、それを言ってきたわけですね。そこは、多分一番の違いだったというふうに思います。

 60年間のツケって、まさにそのとおりですけど、その責任は解釈改憲をやってきた人たちにあるのであって、それを批判してきた護憲派に責任があるわけではない。これは別に護憲派が逃げていたわけではなくて、改憲派が国民投票をしなかったわけでしょう。つまり、自衛隊は違憲だという議論は何だったかというと、法律で自衛隊みたいなものはつくっちゃいけないんだという主張だったはずです。ならば、むしろ、そこで堂々と憲法改正案をつくって、自衛のための必要最低限の実力を持つとか、そういう改正案をつくって国民に問うという戦略があるのに、むしろこれを逃げていたということですよね。むしろ逃げているのは、国民投票をやらないで、解釈改憲にいった自民党ということなんですね。

編集部
 なるほど。60年間、国民投票を逃げていたのは、護憲派ではなく、改憲派だったという意見ですね。

井口
 正確にいうと、国民投票やりたくても、発議できる多数を確保できなかったということです。そこで、やむを得ず解釈改憲という方法をとったということです。そうすると、国民投票をやるためには、解釈改憲をやっている人たちがまず改めてくれなきゃいけないということ。憲法改正を本当はしたいと思っている人たちがちゃんとした手続きを踏んだ上での改憲をしないで、解釈改憲を進めたわけですね。国民投票をやらずに来たわけだから、こういう人たちが、まずそこをどう考えるということが重要だと思います。

 私が、憲法改正の国民投票を行っても解釈改憲がとまらないというのは、2つの場合があるわけです。憲法改正案が通った場合と通らなかった場合が。通った場合、新しい憲法が的確に運用される保証はどこにあるんだという、新しい憲法が解釈改憲されない保証はどこにもない。これが1つ。

編集部
 また、さらなる解釈改憲を進めてしまう可能性が高いということですね。これまでの経緯から考えて。

井口
 ということです。もう1つは、国民投票で改憲に反対が多数だった場合、そこの効果についても、私と今井さんで一番違うところですよ。去年の年末年始合併号で行われた『マガジン9条』の「国民投票アンケート」が、ありますよね。これ、アンケートの選択肢として、9条をどのように変えるか、変えないかが6項目あります。6項目のうち、これだとどれも過半数を取っていないから、国民投票だとすれば、どれも承認されないということになりますよね。このやり方をすると。ところが、憲法96条の定める国民投票では、こういう国民投票はないわけです。結果発表の時、編集部からの反省のような文章があって、「惨敗でした」とかあります。これは惨敗でも何でもなくて、国民投票ってそういうものなわけですね。どういう改正案が出てきて、それに対して承認するかどうかということが問われるわけですよ。だから、仮に1番という改正案が出たときに、2番の人がどうするかと悩みますよね。そして、この選択肢で言うところの、3、4、5、6番の考えの人は、きっと反対するわけですよ。

編集部
 なるほど。選択肢の1は、いわゆる自民党案でした。あとは、改憲派にも、護憲派にも様々な考え方があるのではないかと想定し、アンケートを作ったのですが、どの選択肢にも投票数はありましたからね。

井口
 そうです。だから2から6の人が、1とは異なる考えだということで、反対すると1は通らないということになる。その結果、どうなるかと言うと。1はだめという効果だけが生じるのであって、3や4や5の見解が承認されたということになるわけではない。国民投票はそういうものなのであって、ある案があって、それが否決されたとして、否決する理由は多様ですよね。つまり、憲法改正の国民投票で反対が多かったというのは、そういうふうに変えることは反対だということだけが、確認されたにすぎません。

 そうすると、否決されたら今の日本国憲法は残るわけです。そして今の日本国憲法に矛盾しない法律は、そのまま存在していいということになり、今のまま解釈改憲が残るということになる。だからこそ、今、憲法をめぐって何が進んでいるのか、国民投票を行って明文改憲をしてスッキリしましょうという主張の傍らで、解釈改憲も進んでいるのはなぜか、というところを見て、国民投票法の制定過程を見なきゃいけないと思うんですね。

 今、今井さんが言ったように、片方で明文改憲して、いかにも改憲派は国民投票をやるというふうに見えるけど、でも片方では集団的自衛権を現行憲法上も解釈で認めようということも言っているでしょう。政府も民主党も言っているわけですよ。それは、国民投票をやる前に、実は集団的自衛権を認めちゃうという。そういうことですよね。そこで国民投票にかけて、仮に負けたとしたって、でも現行憲法と同じなんだからということにいくということですよね。

編集部
 自民党の改正案は、自衛軍を認めるというのを、出していますよね。民主党もそれに賛成しています。それを国民投票で国民が否決した場合でも、現行の憲法が残ります。残るということは、今、集団的自衛権の解釈でどんどん進めていくこともできるから、はい、否決されました。じゃあ自衛隊はそのまんまですよ。解釈改憲も進めていきますよということができるから、何だ、国民投票やったって意味がないじゃんとなることも、まずあります。

井口
 そうですよ。私もずっとそれを言っているんですよ。

◆国民投票は、解釈改憲の歯止めになるのか?

編集部
 だけど、国民投票をやれば、それだけの人が反対したっていう実績が残るわけです。やっぱり9条は守ろうよっていう人がこれだけいるのかと。そうなると、今以上の解釈改憲を、議会だけで本当に進められるのかどうなのかという、歯どめにはならないのか。

井口
 憲法9条の改正案が国民投票で否決された場合、間違いなく一定程度の歯どめにはなりますよ。それ以上は解釈改憲を進めることが一定程度困難になるという意味で。でも、それだけでは解釈改憲が縮小されるということにはならないと思います。ただし、問題なのは、仮に、本当に解釈改憲を止めるために、捻れを正すために、憲法改正の国民投票が有効だとしても、その国民投票をやるためにどうするのかっていうことですよね。憲法改正に反対する人にとってはどうしようもないわけですよ。発議しようがないから。

 多分今井さんが言っている自衛隊を縮小する、もしくは解消するための国民投票をやる方法は、現行憲法上は2つしかないんですよ。1つは、自衛のための必要最小限度の実力も保持しない。外国軍に基地を提供しないみたいな憲法改正案が発議されると、それに対する国民投票が行われますね。そのために何が必要かというと、そういうことを発議できる勢力が3分の2以上なければいけないという。

編集部
 共産、社民が3分の2以上の勢力ととる?

井口
 それが1つですね。もう1つあるんですよ、憲法上、可能なのがね。それは、諮問的国民投票はできるわけだから、自衛隊を縮小するかどうか、縮小することに賛成かどうか、法的拘束力はないけど国民投票をしましょうというやり方があります。

今井
 日米安保をどうするか、破棄するかどうかもね。

井口
 それは、法的拘束力はないけど可能なわけです。これは何が条件かというと、そのことを問うことについて、少なくとも国会の過半数が要る。民主党案で言ってもですよ。そういうことですよね。

 だから、1つは憲法改正の国民投票だし、2つ目は諮問的国民投票ですね。どっちも、今については現実的ではないということになりますね。そうすると、現実的にありうる国民投票は、これまでの解釈改憲の延長としての憲法改正の国民投票ですから、そのような憲法改正に反対の人たちは、発議されたら否決しますよと、最初からファイティングポーズで待てばいいということだと私は思うんです。その延長線上で、否決するのであれば、国民投票はやる必要ないから、発議にも国民投票法にも反対するという態度をとることも、政治的には許されるはずです。

 確かに政治的な効果を考えると、否決したら確かにフランスのEU憲法批准のときのように、国民はどっちかというとすっきりという側面もあるし、歯どめにもなるかもしれないというのはありますよ。だからといって、そこに過大な期待をして、自衛隊が縮小されるとかいうふうに思うのは、ちょっと論理的におかしいと考えます。

 そう考えることが、かえって本当は今井さんが一番国民投票の制度設計の中心にしてきたことと、矛盾すると思います。それは、1つの国民投票で2つの事柄を問うてはいけないということだと思うんですね。さっきの個別発議の問題もね。そうすると、多分今井さんは、9条改正に当たって約束をせよと。多分、これが議論の中心としてあると思うんですね。もし9条改正案が否決されたら、自衛隊を縮小し、安保条約を解消しろと、約束しろという。こういう国民投票をしたとしますよね。そうすると、国民投票の中で2つのことが問われるわけですよ。1つは憲法の条文を改正することに賛成か反対かということ。もう1つが、自衛隊を縮小するかどうかということについて、2つのことが問われてしまう。逆にこういう国民投票はいけないというのが私の立場なんです。2つの問題を国民投票で問うてはいけないという。

 もう1つは、つまり改正した場合はどうなるかという約束について、わりと今井さんは論じていないようですが、その点で私は今井さんが、護憲派だと思っているわけですが。つまり、否決されたら自衛隊を縮小しますよという約束をしろということを強調するけど、改正されたらこういう約束をしろというところの具体案がないということが、多分護憲派だからと私は思うんですけどね。

今井
 違う、違う。さっき言ったみたいに、改正されたら、自衛隊法のどこがどう変わるのかとか、さまざまな関連法についてどう変わるのか。それから、自衛のための戦争というんだったら、この前のイラク戦争の場合はどうなるのか、イギリスみたいなことを、日本の自衛軍もやるのか、そういったことをちゃんと約束してもらわないといけないと考えています。

井口
 そうですね。でもそれは、広報の場合での大事なことだと思うんですね。

 だから国民投票の場合は、憲法改正案が発議されて国民投票が行われるわけでしょう。そうすると、例えば9条に限定してもいいんですけれども、国会が発議したものしか国民に問われないわけだから。しかも、イラクに自衛隊を派遣したのは、あれは小林節さんですらだめだというふうに言っているくらいですけど。だけど国会の多数派は、あれは法律でできるというふうにして、必要だし、かつ憲法に反しないというふうにしてやっているわけですね。それを、今後は、ああいうイラク派兵はできませんよ、という改正案を国会が出すわけがないと思いますよ。

編集部
 まあそうですね。

井口
 そうすると、そういう解釈改憲への歯どめを、国民投票でかけるって何なんだと、いう疑問が沸くわけです。

編集部
 国民投票では、歯どめをかける方策は、出てこないということですね。

今井
 だから、その国民投票のキャンペーンの中で、メディアや学者が果たす役割があると思うんです。これまでの与党がやってきたことを、あぶり出していくという。そして、改憲したら結局こうなるんですよと。フランスでも、スイスでも、そこはジャーナリストと学者が担うべきところであって、政府は、結構曖昧なことしか言わない場合があるわけです。

◆国民投票は、60年前の現憲法制定時に行うべきだった

今井
 それで、私、さっき「60年間のツケが回ってきた」と言ったけれども、それは国民がサボったとかそういうことだけじゃなくて、歴史的なことがあると思うんですよ。なぜかというと、もともとこの日本国憲法ができたときに、本来、これは国民投票にかけられるべきものであった、というふうに思っているんですね。

編集部
 制定された時に?

今井
 はい。日本では枢密院が憲法改正草案を天皇に上奏したその6日前に、イタリアでは共和制にするか王制にするかの国民投票をやっているわけですね。同じ敗戦国のイタリアが。日本はなぜやらなかったのかについては、これはもうはっきりしていて、GHQが、日本の戦後支配を有利に運ぶために、中国やソ連が勢力を持っていた極東委員会を無視して、どんどん憲法作りを進めていったわけですね。そのときに、彼らが特に憲法の柱に考えたのは2つですよ。天皇制の存続。これは、みんなわかっていると思うけれども、天皇を政治的に利用しようとしたわけですね。もう1つは、憲法9条ですよね。一切の軍備を廃止するという。

 これが目玉の2つだったわけですよ。ところが、極東委員会の当時の議事録によると、これは1946年の議事録ですけれども。例えばオーストラリアのプリムソル陸軍少佐が、最高司令官つまりマッカーサーは、国民投票による新憲法承認のための規定は必要でないし、望ましくないと考えているようだが、将来、この憲法が日本国民に押しつけられたものであるという感情を取り除くためにも、国民投票を即刻行うべしというのが我が政府の見解だと言ってます。あるいは、カール・ベランセンというニュージーランドの代表が言っていることなんだけれども、これは46年の8月28日、憲法は11月3日に公布されていますから、その直前ですね。「国民投票といった日本国民自身による新憲法承認の明確な意思表示の場を踏まなければ、後になって、実にもっともらしい言い方で、この憲法は押しつけられたものだ、したがって破棄されなければならないと反動勢力から攻撃されることになるだろう」と、極めて鋭い指摘をしているわけですね。

 案の定、新憲法が施行されて6年という1953年の段階で、『朝日新聞』の「日本国憲法は、戦争はしない、軍隊は持たないと決めていますが、このように決めたことはよかったと思いますか、仕方がなかったと思いますか、よくなかったか」という世論調査によると、「よかった」と答えた人が36%。「仕方がない」が25%。「わからない」が24%。「よくなかった」が15%なのね。つまり、実際に「よかった」とはっきり言った人は4割弱だったんです。そして、すでにこのときから、「仕方がなかった」なんて思っている人が4分の1もいたわけですよ。本当は軍隊を持ちたかったけど、みたいな。

 だから、今に至る芽というのは、もうこのとき出てきているのであって、元々最初に国民投票をやっておくべきだったと思うんです。

 私は、日本国憲法9条というのは、間違いなく人類の長い歴史の中で、これほどの理想はないというそういう精神だと思っているんですね。それこそ太田光さんが『憲法九条を世界遺産に』という本を書かれていますよね。ただ、世界遺産というふうに書いてあるのに、この本の中で、国民投票で圧倒的に勝利しようとか、勝とうなんてどこにも書いていないわけね。それが、私、護憲派の一番の問題点だと思うわけ。この精神を私たちが本当にちゃんと運用していくというか生かしていくためには、まず主権者である国民の承認を明確に得なければいけないと思う。もちろん、それは井口さんの法的な論理から言えば、憲法を改正しようとしていないわけだから国民投票にかける必要はないということですが。

 日本の今の96条の規定だったら、改正する側からしか働きかけられないわけだけれども、本当ならば、そういうことを言ってきたら受けて立てばいいと私は思っているわけ。そこで圧倒的に勝利してこそ、世界遺産にできると思うし。この9条の改憲案が通るような状態で、この世界史の中での崇高な精神を運用することは、私はできないと思います。それを為すためには、国民投票で9条派が勝ってこそ、初めて可能性が持てると思う。ただし、圧倒的に勝っても、あるいは少しの差で勝ったとしても、北朝鮮を含めさまざまなテロリズムの問題とかいろいろな問題があります。努力を怠ってはいけないと思う。

 だけれども、この国民投票で9条護憲派が負けるようなことがあれば、9条を抱くなんていうのはちゃんちゃらおかしいと思う。国民の多数がその自覚を持っていないのに、「戦争放棄、軍隊不保持」といった条項・精神を運用できるはずがない。多くの国民がものすごい自覚と責任を持って、初めてこの精神というのは運用できるんだと。これを国民投票にかけて多数をとらない限り無理だと思う。もともと60年前からそうあるべきだったんだけど。

◆国民投票を受けて立つ?

編集部
 井口さん、この意見には相当反論あるでしょう。

井口
 意外にそうでもないんですよ。国民投票を受けて立てって、私、そのとおりだと思うんです。ただし、あくまでも「受けて」立たないといけない。改憲派が、国民投票に行ってくれなければ、受けて立ちようがない。それが、これまでの歴史です。その『憲法9条を世界遺産に』の本で、国民投票については、書いていないだけであって、国民投票にかけるなと言っている文面はあるんですか? つまり、そこが今井さんと私が違うところなんですよ。だから、護憲派が逃げているという、かけないと言っているという。やっぱりそこが違うんですよ。憲法改正に反対の人たちが求めるものではないです、憲法改正の国民投票は。

今井
 いろいろな方が言っている「憲法9条を変えるなんてとても許されないこと」というのは、いったい誰に向けて言っているのかと。主権者に向けて言っているんですかと。変えるとしたら、私たち主権者が変えるんですよ。そうじゃなくて、護憲派の人たちが、こうした発言をするとき常に想定しているのは、改憲派の議員とか財界とかそういうことを想定しているわけね。

井口
 必ずしもそうではないと思います。冒頭で今井さんが一応護憲、改憲と立たずに言っているということですけど、私は「護憲だ」と言ったのは、つまり「憲法改正案が発議されたら反対しますよ」という意味でもあります。私は、圧倒的多数で否決するべきだと思うし、否決すればいいと思っている。別に逃げているわけでも何でもない。しかしそれは、発議がなされて、問いかけられたら、そうするということですよね。

 そのプロセスの中で、今、起きている現実を踏まえてどういう発言をすればいいか、というふうに思っているだけで、護憲派の人たちが、別に財界人たちだけに「だめだ」とか言っているということはないと思いますけどね。

今井
 以前行なわれた『週刊金曜日』のてい談で、小森陽一さんが最初に言われた、「私たち九条の会の最終目標は、国民投票で勝利することです」という発言。あらゆる勉強会や集会や、さまざまな会は、最終的に国民投票で多数を取るための活動と位置づけなければ、力にならないと彼は言っているわけです。非常にわかりやすいんですよ。しかし改憲派の人たちはもっとわかりやすいわけですよ。解釈改憲でいくか、明文改憲でいくかと。

編集部
 どっちでもいいわけですからね。

今井
 どっちでもいい、とにかくどんどん行くと。解釈改憲をやったら、集団的自衛権の行使を認めよう、核武装まで行っちゃえと。明文改憲だったら、3分の2を取って、国民投票で多数を取ろうということですよね。最終目標地点が非常にはっきりしているわけ。だから、彼らが開いている集会とか勉強会とかいろいろなのは、最終着地地点がはっきりしているわけですね。

 ところが護憲派の人たちは違う。私、毎日、『朝日新聞』の「声」の欄とか『週刊金曜日』の読者の投稿とか見ています。今の状況を何とかするために、何とか9条のすばらしさをみんなに訴えていきたい。何とか9条を変えないで、という投稿が実に多い。でも、だれ一人として「国民投票で多数を取ろう」とは言わないわけね。何でそれをはっきり言わないのか。

 住民投票の現場で市民がものすごく力を発揮したのは、沖縄の県民投票のときでも、徳島でも、名護のときでも、議会や政府が辺野古に基地をつくろうとしているけれども、市民投票ではっきりと「ノー」と言おうと、ものすごく具体的なの。徳島でも、市民投票で「ノー」と言おうと。ものすごくはっきりしているわけ。「とにかく頑張ろう」とかじゃなくて、目標が具体的なんですよ。「市民投票で多数を取ろう」と。岩国でもそうだったわけですよね。どこもみな法的拘束力がなかったのにです。まして、改憲の是非を問う国民投票は法的拘束力があるわけですから、何でこの期に及んで、まだ護憲派は、「国民投票で多数を取ろう」というふうに言わないのか、と私は思うわけです。

編集部
 ここは井口さんにぜひ反論してほしいところです。だって、国民投票をやって護憲派が勝って9条は今のままですとなったところで、解釈改憲行けちゃうんだったら、そんなもんで負けちゃってさらにひどくなるんだったら、やらないほうがいいじゃないかというのが護憲派の中にあるわけですよ。そこら辺、どうですか。

井口
 まず最終目標という点では、それが最終目標なら、それは最初から、60年前から決まっているわけですよ。憲法改正の国民投票をやるということはね。その点が住民投票とは違うわけですよね。住民投票の場合は、そのプロセスの中で、その都度、その都度で、最終目標は決まってくる。つまり私の理解は、9条の大切なことを伝えましょうとかいうのは、だから、もし9条を改正する改正案が発議されたら、国民投票で否決するという、そこにつながるプロセスなわけです。向こうが発議してくれなきゃ、国民投票はやりようがないわけだから。だから、条例でやる住民投票の場合と違うと思うんですね。憲法改正案が発議さらたら国民投票で否決しましょうという意味での最終目標というのは、最初から決まっているわけだから。その意味では、9条が大切であると考える人たちにとっては、国民投票で改正案を否決すること自体は、最終目標でも何でもない。

 しかし、このような最終目標を設定しておきながら一番みじめなものは、国民投票やってくれないときはどうするんだということですよね。発議してくれない場合。

今井
 それは井口さん、「国民投票法の制定反対、憲法9条改正の発議反対、国民投票反対」と言っているから、「そうですか、じゃあ解釈改憲でいかせてもらいます」というふうになっているわけですよね。

井口
 そこが、認識が違うんですよ。護憲派は解釈改憲なら賛成なんて言っていません。逆に、国民投票法ができたら解釈改憲がとまるのかっていう。ちゃんとその都度、国民投票にかけてくれるのかと。

今井
 だったら、言えばいいじゃないですか。「決着つけようじゃないか。発議してこいよ」と言えばいいじゃないですか。

井口
 その点なんですよ。なんで発議に反対する側が発議しろというのか。その点で、ちゃんと今のような解釈改憲でおかしいということが、少なくともストップした状況で制度をつくってというふうにするべきなんですよ。

 つまり、今、何が問題かというと、きょうの問題設定にありましたけど、解釈改憲の状況が問題なわけだから、それがおかしいと言うことでしょうね。これが認められるのであれば、国民投票なんてやらないで、まずは、解釈改憲をやって、既成事実を積み重ねてから、ゆっくりと明文改憲をやっていい、ということを認めるということになるわけです。

編集部
 そもそも解釈改憲自体が、問題ですからね。

井口
 そう。それ自体を正さないと、ちゃんとした国民投票にならないわけですよ。

今井
 じゃあ井口さんは、どうやって解釈改憲を阻むとお考えですか。

井口
 それを私に聞かれると非常につらいんですが。つまり、解釈改憲を国民投票で解決できるかということについて、私と今井さんは違いがあるわけですよ。それ以外ではやりようがないという点は、逆に一致するわけです。

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