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この人に聞きたい

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土井香苗さんに聞いた(その1)

「人権」を守る「国際貢献」

弁護士としての難民支援活動などを経て、
昨年春、アメリカ発の人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」
東京ディレクターとして赴任した土井香苗さん。
HRWが目指すもの、そして日本政府に期待することとは何なのでしょうか?

どい・かなえ
1975年神奈川県生まれ。東京大学法学部在学中の1996年に司法試験に合格。NGO「ピースボート」に参加してアフリカ・エリトリアでの法律制定ボランティアに従事する。2000年から弁護士として活動し、難民支援などに携わった後、2006年にニューヨーク大学に留学し、ロースクール修士課程を修了(国際法)。ニューヨークに本部を置くNGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」に参加し、2008年9月から東京ディレクターを務める。著書に『“ようこそ”と言える日本へ』(岩波書店)などがある。

「モノを持っていく」「サービスをする」のではない、新しい形のNGO

編集部

 土井さんは昨年4月から、アメリカ発のNGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」東京オフィスのディレクターとして活動されていますね。HRWが日本に事務所を開設したのはこれが初めてですが、どんな活動をしているNGOなんですか?

土井

 活動内容は、世界80カ国の人権状況を調査し、そこで起こっている問題の解決を目指してアドボカシー(政策提言・ロビイング)を行う、というもの。世界各地にいるHRWの調査員が、現地のNGOと協力しながら調査活動をして、その結果をレポートやメールニュースの形で発信もしています。
 たぶん、日本ではまだいろんな意味で「珍しい」NGOだと思いますね。そもそも「人権」に関する活動だというのが珍しいし、「調査をする」のも珍しいし、アドボカシーという活動も珍しいし。

編集部

 そうですね。まず、「ヒューマンライツ(人権)」という言葉自体が、日本ではあまりなじみがない…というか、非常に狭い範囲の言葉としてとらえられている傾向があるかもしれません。

土井

 「人権侵害」といえば、たとえば、「私のプライバシーが侵害されること」みたいなイメージを持っている人が多いかもしれませんね。
 しかし、国際社会では、「人権」とは、人間が人間であるために欠く事ができない権利のこと。簡単に言ってしまえば、国連で60年前に採択された「世界人権宣言」に書いてある内容のことなんですね。すごく大雑把な例をあげれば、「人権が守られている状態」というのは、人間が、国家から、理由なく殺されない、恣意的に逮捕されない、拉致されない、表現の自由が守られている、宗教や性別などによって差別されない、子どもや難民に対して最低限の保護が与えられている、そういったことのすべてを含みます。あと、紛争下でも、民間人が国家からも反政府勢力からターゲットにされないとか、地雷やクラスター爆弾のような非人道兵器が使われないとか、そういったことも大事な人権です。

編集部

 あと、「調査して政策提言する」という活動の形も、たしかに珍しいですよね。日本でNGOというと、やっぱり「途上国に援助物資を届ける」とか、そういうイメージがまだまだ強い。

土井

 HRWがやっているのは、そうした「モノを届ける」とはまた別の形の国際貢献なんです。
 たとえば、どこかの国に食料を届けなきゃいけないような状況になっているというのは、その場所で大きな社会問題や危機が起こっているということですよね。それに対して、モノを持っていくという形で対処するんじゃなくて、その問題がなぜ起こっているのかを調査して、その根本的な原因を取り除こうということ。ある意味での「現実主義」なんだと思います。
 つまり、難民キャンプでたくさん人が死んでいるというときに、モノを持っていくことはもちろん必要だし、それも一つの現実主義ともいえるんだけど、一方でそうした問題は、単純に人間の良心を発露すれば解決するというものでもないわけです。もちろん、良心は必要なんですけどね。
 たとえば、ビルマから隣のタイに約15万人難民が逃げてきている。その人たちはどうして難民になっちゃったのか? を考える。そうすると、そこにはビルマの今の軍事政権が少数民族を排除する軍事作戦を展開しているという問題があって、それを変えない限り難民は出続けるということが分かる。じゃあ、そのビルマ軍事政権の政策をどうやって変えるのかを考えよう、というわけです。

編集部

 ある意味で現実的だし、対症療法ではない長期的な対策だともいえますね。

土井

 そうですね。日本の格差や貧困の問題に置き換えるなら、今困っている人に対しての支援としての炊き出しももちろん必要だけど、そもそも貧困を生み出す原因になっているはずの政策自体を変えないと、いつまでも同じ状況が続いてしまう。だから、HRW的なアプローチでいけば、「どうしてこんな格差社会になっちゃったのか」を調査して、分析して、解決方法を考え出してそれをメディアへの発表や政策提言で実現させよう、ということになります。
 もちろん「派遣村」みたいな活動も重要。でも、その活動を担っている湯浅誠さんも一方で政策提言をたくさんなさっていますよね。そんなふうに、いわば、支援と政策の転換は、チェンジのための車の両輪みたいなものなんだと思います。

日本政府へのアドボカシーに取り組む

編集部

 さて、土井さん自身がそのHRWの活動に出合ったのは、「本場」のアメリカでなんですよね?

土井

 日本で弁護士として難民支援をしていたときも、裁判所への提出資料などにHRWのレポートを使ったりはしていたんですが、活動について詳しく知るようになったのは、2005年にアメリカに留学してからですね。ニューヨーク大学のLLM(法学専攻のマスターコース)に入学したんですけど、HRWのオフィスがそこから数ブロックしか離れてないところにあったんです。それで、1年間の大学のコースが終わったあとに、ラッキーなことに国際交流基金のフェローシップを受けて、HRWに受け入れてもらうことができて。
 で、そのときに一つ条件があったんですよ。私は難民の受け入れについてなど「日本の中の人権問題」についての調査ができます、というアピールをしたんですけど、HRWからは「それよりも、私たちは日本の外交が世界中の人権問題を解決するために何ができるのか、そのために日本政府にどう働きかければいいのかということのほうに興味がある」と言われたんですね。そして「そこの部分を担当するということでいいのなら受け入れる」と言われて。

編集部

 まさに「アドボカシー」の部分ですね。

土井

 そう。日本はこれまでグローバルな人権分野で活躍していませんでしたから、HRWも日本政府へのアドボカシー活動にはまったく取り組んでいなかったんです。でも、国際社会の多極化の中で、HRWが長い間協力関係を築いてきた西欧政府だけでなく、アジアの各国政府にも人権問題の解決に前向きになってもらう必要が出てきた。日本政府はアジアの中ではまだそれでも人権尊重の立場に立つ政府ではあるし、まず日本から始めよう、という考えがあったんです。
 そのときは私自身も典型的日本人で、そもそも「日本政府に対するアドボカシー」という発想がなくて。やっぱりNGOのイメージは「途上国に毛布や食料を持って行く」だったし、「日本政府に働きかける? 何ですかそれ?」くらいの感じだったんですけどね。でも、よく考えてみれば、何十万人も難民が出るような人道危機を解決するためには、個人ができることは限られている。国家に取り組ませないと解決は現実的ではないな、と気がつかされて、「目からうろこ」でした。

編集部

 具体的には、どんな活動を始めたんですか?

土井

 HRWのスタッフも私も、そもそも日本の政府がどんな外交政策をとっているのかよく知らなかったので、まずはそこを調査して、みんなで勉強するところから始めました。これまでHRWが日本政府に対して行ってきた提言の内容を洗い出して。その上で、実際に日本政府へのアドボカシーを行うために、他のスタッフと一緒に日本へも行ったんですよ。
 その結果を受けてのHRWの見解は、日本政府は「すごく人権問題に積極的だというわけではないけれど、HRWのような活動を敵視しているわけでもない」というものでした。そして、国際社会が多極化してアメリカやヨーロッパの力が相対的に下がっている今、たとえ時間がかかっても日本にも人権問題の分野で活躍してもらわなきゃいけない、ということになった。それがその後の東京オフィスの立ち上げにつながったわけです。

「人権」と日本政府の外交政策

編集部

 その、最初にHRWのスタッフと一緒に日本政府への働きかけをしたときというのは、何内閣のときですか? ちょうど内閣が次々に替わっていたころですよね?

土井

 2006年で、小泉内閣の終わりのころですね。

編集部

 印象はどうでした?

土井

 まず、外務官僚たちは「人権なんて守る必要ない」とはもちろん言わないけど、かといって人権を踏みにじられている人々にシンパシーを感じて、「守らなきゃ」と思っている、みたいな感じはほとんどなかった。つまり、現地の人々の人権状況を大事にするとか、人権侵害されている人たちを救うといったことは、外交政策におけるプライオリティとしては低い、と。
 ジャーナリストや弁護士を暗殺したり、拉致したりと人権侵害する政府にたくさんのODA(政府開発援助)を渡していること、日本国民の多額の税金をもらった現地の政権が人権侵害をしていることについては日本政府にも倫理的責任があると思うのですが、それには基本的に無関心。状況はよくなったほうがいいという考えはあっても、それを「自分たちがやらなきゃ」とは思っていない、と感じました。これは外務省の官僚と話した印象なので、民主党政権になった後も、官僚の考え方が自然に変わるとは思えませんね。政治家のリーダーシップがなければ変わらない。
 政治家については、自民党の政治家はあまり会ってくれなかったです。もちろん、誰の紹介かにもよるし、たとえば現総裁の谷垣さんはお会いくださって、誠実に話を聞いていただいたと感じました。でも、「人権は大事」「世界中の人びとが最低限の人権は守られる世界をつくるのは大事」という議員は少ないというのが全体的な印象でしたね。

編集部

 特に近年は、日本政府にとって「人権侵害」というと、まず北朝鮮による拉致問題、ということになりがちなのかな、と思います。

土井

 もちろん、北朝鮮による拉致は重大な人権侵害。日本だけではなく韓国とか、北朝鮮が世界各地で行った拉致は、人権問題です。ただ、日本政府が声高に主張するのは、日本人の拉致問題だけ。北朝鮮に住む北朝鮮人たちの人権問題についても、しっかり主張してほしいというのが私たちのスタンスです。たとえば、今、北朝鮮の強制収容所には何十万人もが捕まって奴隷労働させられ、拷問や即決処刑なども後を絶たないと言われていますが、そっちの問題は無視していていいんですか?
 「人権」は国籍にかかわらず普遍的なもの。だからこそ、国際社会の関心事とされていて、重大な人権侵害に対しては国際社会が行動を起こします。日本政府が日本人の「人権」しか守らないのであれば、それは国際社会からすれば、単なる「邦人保護」であって、国際社会の支援を求めるのは利己的と見えるのが現状です。日本の今のアプローチには「モラルハイグラウンド」、つまり日本語では「道徳的な権威」みたいなものですが、これが欠けている。このやり方では、拉致された日本人の方々の救出にとってもプラスではないと思います。

編集部

 その後、政権交代がありましたけど、それによる変化はどうですか。

土井

 変化の兆しを感じます。でも、今のところは、現実の政策の変化が見られた部分は、限られていると思います。
 民主党政権は、前政権より市民社会の意見を聞こうという姿勢はある。また、リーダーである鳩山首相や岡田外務大臣などは、世界中の人々の最低限の人権が尊重される世界を作りたいという気持ちは比較的強い方々だと思うんです。鳩山首相は、長年ビルマのアウンサンスーチーさんを支援されてきてもいます。
 ただ、それが具体的な政策になっていない。具体的に外務官僚たちに、「人権は、新しい日本外交の柱だ。しっかり行動せよ。行動すれば評価するし、人権侵害の被害者を今までのように傍観していたらマイナスの評価をする」って命令することが必要なんです。さもないと、外務官僚の行動は変わりません。あるいは、行動したいと思っている良心派の人たちも行動をとれません。その意味で、民主党政権には、早く具体的な行動を取って欲しいですね。
 政権交代後、環境問題とか対等な日米関係の実現などについての発言は多いですが、外交の中での「人権」の位置づけはまだ低いですよね。たとえば昨年末に、長い間、中央アジアの北朝鮮とも言われてきた世界でも最悪の抑圧国家・人権侵害国家のひとつ、トルクメニスタン大統領が初来日した際にも、一言も「人権」が提起されなかったのにはとても落胆しました。これは日本のメディアにも責任がありますが。
 一方で、変化もあります。

編集部

 たとえば、どういうことですか?

土井

 昨年12月、20人のウイグル人難民申請者を、カンボジア政府が中国に強制送還したという緊急事態が起こりました。この20人には子どもも含まれていて、中国に帰れば逮捕・拷問・処刑の危険がありました。
 これに対し、プノンペンのイギリス大使館やオーストラリア大使館など西欧の大使館の多くがウイグル人を守るためカンボジア政府に緊急で強力な働きかけを行い、米国のクリントン国務長官もカンボジアの外務大臣に電話して抗議したのですが、現地の日本大使館の外務官僚たちは何も行動を取らなかったんです。しかし、その後すぐに、岡田大臣が遺憾の意をカンボジア政府に伝えた。政治家がリーダーシップをとって、外務省のこれまでの「傍観」路線を変えたもので、評価できると思います。また、岡田大臣はビルマの人権・民主化問題や、スリランカの人権問題への関心も高い。あとは、これを現実の政策に落とし込めるのかが重要だと思います。
 たとえば、昨年11月に、アフガニスタンに対して5年間で最大50億ドルの民生支援を行うと発表されましたけど、あれも「アフガニスタンで虐げられている人々に対して、日本は何をやるのか」ではなくて、「給油をやめるかわりに、アメリカに認めてもらえる、喜んでもらえる国際貢献は何か」という思考回路から出てきていて、それ以上になっていないところなどももったいないですね。
 HRWのアフガン人の調査員たちも、「日本はすごく太っ腹にお金をくれている。ただ、ほとんど『インビジブル』(見えない)んだ。もったいない。アフガン市民の権利を守るために日本ができることはいろいろあるのに。もっと発言し、行動してもらいたい」と言っていました。
 今後アフガン政策を進めていく中でも、人権を中心に置いてほしいと思います。最低限の人権も守られていない社会では、平和をつくることは無理ですから。

編集部

 今は「人権を守るため」ではなくて「対米関係のため」が重視されてしまっている感じですね。

土井

 それでも、私の感触としては、以前は外交政策の中のプライオリティでいえば「人権」が、レトリックは別として実際には20番目くらいだったのが、政権交代があって15番目くらいにはなったかな? という感じ。そこをもうちょっとプッシュしていきたい。せめて5つの柱には入ってほしいし、3番目、4番目くらいにはしていきたいという思いです。そのためには、もちろん私たちのほうも、どんな提言の仕方をすれば政府にも受け入れてもらいやすいのかとか、いろんな面で努力が必要だなと感じています。

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政権交代後も「外交」といえば「日米関係」で、
それ以外の面については目立つ報道さえないのが現状。
国際社会の中で、私たちには何ができるのか? 何をすべきなのか?
次回、より具体的なお話をお聞きしていきます。

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