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この人に聞きたい

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永井愛さんに聞いた 

9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…

人気劇団「二兎社」の主宰者であり、
劇作家・演出家として数々の話題作を世に送り出してきた永井愛さん。
今年6月、東京で行われた「ピースリーディング」のために書き下ろされた、
「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…」のお話を中心に伺いました。

ながいあい
東京生まれ。劇作家・演出家。
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒後、1981年、大石静と二人だけの劇団「二兎社」を設立。1991年、大石が脚本家に専念するため退団した後は、永井愛の作・演出作品を上演するプロデュース劇団として主宰、活動を続けている。
社会批評性のあるウェルメイド・プレイの書き手として、今最も注目される劇作家の一人。「戦後生活史劇三部作」 「見よ、飛行機の高く飛べるを」「ら抜きの殺意」 は高い評価を得て鶴屋南北戯曲賞をはじめ、多くの賞を受けた。「兄帰る 」では、第44回岸田國士戯曲賞(白水社主催)を受賞。その後も「こんにちは、母さん」「歌わせたい男たち」など多数の作品を執筆し、演出を担当している。「非戦を選ぶ演劇人の会」の実行委員のひとり

9条を守る意味を、護憲派に
再確認してほしかった

編集部

 今年6月、永井さんが所属されている「非戦を選ぶ演劇人の会」による「ピースリーディング」の第10回として、永井さん脚本・演出の「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…」が上演されました。まず、これについてお話を伺いたいと思います。
 これまでの「ピースリーディング」は、ドキュメンタリータッチのものが多かったと思うのですが、今回の「9条は守りたいのに〜」は、ひとりの主婦を主人公にした物語仕立ての作品でしたね。パッチワーク教室に通う主婦が、教室の人たちや家族、友人たちと、9条について、憲法について「世間話」をしながら、さまざまなことを考えていく。こうした「物語」の形を選ばれたのには、何か意図があったのでしょうか。

永井

 前回のピースリーディングの、渡辺えり子さんが書いた作品がすごく面白かったんですね。それを書き上げるまでに、本当にえり子さんが頑張っていたのも知っていたし、次はいよいよ私もやらねばなと思って。時期的な意味でも、テーマは絶対に9条にしようと思っていました。
 ただ、内容について仲間たちとミーティングを開いて話し合ったときに、「憲法改悪反対の人たちの前で憲法改悪反対という主張を、しかも演劇という一過性の表現でやることに、どれだけの意味があるのか」という意見が出たんです。役者さんたちにもノーギャラで出ていただいていることもあってワンステージしかできないし、そこにはやはり私たちのシンパといえるような人が多く集まってくるわけですから。
 そこで考えたのが、来る人の大半が護憲派なのなら、その護憲派の人たちに憲法9条を守る意味を再確認してもらおう、そしてその考えを広めていってもらうための「世間話のハウツーもの」にしよう、ということだったんです。

編集部

 「ハウツーもの」ですか?

永井

 改憲派の論理って、すごくわかりやすいんですよね。「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」「軍隊がないと国際貢献できない」…それに対して護憲派というのは、9条を守るということはもう自分の中で検証する必要がなくなってしまっていて、そういう改憲派の具体的な問いに対して答えることができなかったりする。それに、割と心優しき人が多くて(笑)、攻撃的に反論もできなくて口ごもりがちだったりするし。そういう護憲派に、けんか腰ではなく、「でも、こういう見方もあるんですよ」と、会話をしてもらうきっかけ、材料を提供するのはどうだろうと。
 そのアイデアに基づいて、ゼロから自分では考えられませんから、いろんな方の発言が載った資料を使わせていただいて、台詞にしていきました。「あの人はこう言っている、この人はこう言っている」という、いわば「いいとこ取り」です。

「例え話のトリック」に騙されるな

編集部

 たしかに、「9条は守りたいのに〜」の中には、そういった「反論」の材料になりそうな場面がたくさん出てきましたね。
 たとえば、主人公が通っているパッチワーク教室の先生は護憲派なんだけれど、生徒のひとりに「国が戦力を持つのは、強盗から身を守るために家に戸締まりをするようなもの。非武装中立を主張するなら、家のセキュリティシステムを解除して、鍵をかけるのもやめないとおかしい」と言われて反論できず、しょうがないから鍵を閉めずに暮らし始めて、あまりの不安のために病気になってしまう。主人公がそれを夫に話したところ、夫は「家の戸締まりは外からの侵入を防ぐだけだが、武力は人を殺す。家の戸締まりをいくら厳重にしても周囲には不安を与えないけれど、軍備を増強すれば周囲の国を警戒させる。そもそもそれは例えになっていないんだ」と指摘する——というシーンがありました。たしかにこの「国家戸締まり論」は、9条を守りたいと思っている人の「弱点」の一つになっていますね。

永井

 「家にも戸締まりが必要なように、国にも戸締まりが必要だ」と言われると、一瞬「なるほど」とか思ったりしそうになるんですよね(笑)。本当は「鍵で人は死なない」というところまで言わないと意味がないのに。例え話という古典的なトリックですね。
 あとは「軍備を持たないというなら、あなたは道で暴漢に襲われても抵抗しないんですね」とかね。

編集部

 これについても、主人公の夫が「暴漢を他国の襲撃に例えるのなら、“暴漢に襲われるかもしれないから必ずナイフを携帯して、教われたら迷わず刺して、その暴漢の家も壊して、家族も殺しましょう”というところまで言わないと「軍備を持つ」ことの例えにならない。そもそも、他国が攻めてくる前には、必ず両国の関係が悪化する期間があるのだから、ある日突然襲いかかってくる強盗や暴漢に、国を例えること自体に無理がある」と指摘していました。

永井

 以前、テレビの討論番組で、こういうことがあったそうですよ。「9条を守りたい」という若い女性に対して、やっぱり「じゃあ、あなたは夜道で暴漢に襲われてもやられっぱなしで抵抗しないのですね」と言う人がいて。女性は最終的に「しません!」と言っちゃった。それを聞いて、思わず「バカ!」と言いそうに(笑)。
 本来は、夜道で暴漢に教われることと、他国が攻めてくることとは全然違うんだということを言わなきゃいけないのに、その例えを受け入れてしまうから、「襲われても我慢します」みたいな変なことになってしまう。そうすると、ほかの人たちも「9条は守りたいけど、襲われても無抵抗なんて、そんなのは嫌だ」となっちゃうでしょう。

編集部

 そもそもの例えが間違ってるんだということを、きちんと指摘していく必要がありますね。その意味で、主人公がさまざまな改憲派の意見に出合いながら、またそれに対するきっちりとした反論にも出合っていくこの物語は、とても勉強になりました。

永井

 私自身もこれまで、心情的に「9条を守りたい」とは思っていても、そこから「なぜ9条が必要なのか」を考えてみることがなかったんですよ。ただ「9条っていいよね」ではなくて、「なぜ」かを知った上でもう1回9条を選び直さないとならない時期に来ているんだと思うし、ちょうどいいときに私も勉強できたなと思っています。

もっともっと、世間話で「憲法」を語ろう

編集部

 あと、9条を扱った物語でありながら、主軸になっている「主婦の世間話」という設定が、ユニークで面白いなと思いました。現実として、今の世の中で主婦が世間話の中で憲法の話をするなんてまずありませんよね。もちろん、永井さんもそうした現実を踏まえて書かれたのだろうと思うのですが。

永井

 今、割合憲法論議が盛んだと言われていますけど、いったいどこで盛んなのかということです。実は永田町とかの改憲論者の間で盛んで、それから護憲論者の間で盛んで、あとは集会とかブログ。そして巷ではほとんど語られていないというのが現実ですよね(笑)。
 もちろん私も、たとえば家で毎晩憲法についての討論会だと言われたら「そんな堅い話嫌だあ」とは思いますけど(笑)、それにしてもあまりにも語られなさすぎる。ある問題について「賛成」「反対」となって意見が対立すると気まずくなるから、できればそういう話はしないで当たり障りのない話をして、なんとなく和んでいたいというのがあるんじゃないでしょうか。

編集部

 特に日本では、政治的なことに関する話題がある種のタブーになってしまっている部分がありますよね。

永井

 さらに言えば、そもそも憲法が「政治問題」になってるということ自体が非常に不思議なんです。だって、今私たちは憲法9条のもとで暮らしているのであって、それを守るというのが特殊な立場だというのがおかしい。学校の先生が9条のことを話したりすると、政治的な発言だといって注意を受けたりするというのは、とても変だと思います。
 やっぱり、あまり堅くなく、もうちょっと普通の言葉で憲法が語られるようになったらいいですよね。日常レベルで、頭を柔軟にほぐしながら、大いに世間話をしてもらいたい。そう思います。

戦争という大きな歴史が、
家族関係にも影響を与える

編集部

 さて、ピースリーディングでの脚本以外でも、永井さんが描く作品から、「平和への願い」や「反戦」のメッセージを受け取ります。たとえば、新国立劇場で公演され、今年NHKでドラマ化もされた『こんにちは、母さん』は、数年ぶりに実家に帰ってきた息子とその母親を中心に、さまざまな人々の姿を描く群像劇でしたが、最後に母親と息子が話をするシーンがとても印象的でした。亡くなった父親は、戦争から帰ってきた後生まれた息子を自分の腕に抱こうとさえしない人だったけれど、それは多分、戦争に行ったときに小さな子どもを殺してしまった経験があったからではなかったのか、という会話が交わされるんですよね。

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永井

 私たちが「戦争体験を語らなければ」というときに出てくるのは、だいたい大空襲やヒロシマ・ナガサキのこと。もちろん被害体験を語るのもすごく大事ですが、加害の体験はなかなか語られることがないんですね。
 でも、被害の体験だけではなく、加害の体験もトラウマになります。ある国が他国に侵略して人を殺したときには、どこの国でも精神的な障害を負って社会復帰できない元兵士がある数まとまって出てくるという話を聞いたことがあります。

編集部

 ベトナム戦争後のアメリカがそうですね。イラクやアフガニスタンに行っていた兵士の中にも、そういった例があるそうです。

永井

 ところが、日本ではそうしたケースがほとんど見られなかったみたいなんですね。しかし、日本の兵士も相当な体験、しかも被害体験だけではなくて加害の体験をしているはずです。彼らは戦後、一般市民に戻ったときに、家族に対しても自分がどういうふうに人を殺したかということを決して言えず、言わず、戦争については一言も語らないで来たのではないかと思うんです。
 「こんにちは、母さん」を書くときに取材した中に、こういう話がありました。あるお父さんが、夜中になるといつもうなされていた。お父さんは何も言わなかったし、誰も怖くて聞けなかったけれど、それはおそらく戦争の記憶だったんだろうと。そういうお父さんは、多分たくさんいたんだと思います。
 しかし、そうした加害のトラウマというのは今ひとつ表に出てこない。だからそれを書いたんです。戦争という大きな歴史が、家族という個人的な人間関係にまで影響を与えるんだということを示したいと思いました。

編集部

 加害者であれ、被害者であれ、戦争はその当事者の人生だけでなく、家族である妻や戦後生まれてきた子どもにまで、影のようにつきまとい影響を与える・・・。それこそが戦争なんだと、戦争を知らない世代の私ですが、ドラマを見ながらそう感ぜずにはいられませんでした。

肩肘張った討論会やディベートではなく、
普段の生活の中で「憲法」を語り合ってこそ見えてくるものがあるはず、という永井さん。
次回、永井さんご自身の9条についてのご意見などをお聞きします。

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