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この人に聞きたい
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橋本治さんに聞いた

必要なのは軍隊ではなく交渉能力
小説や評論から、古典の現代語訳、エッセイ、
戯曲と幅広い執筆活動のほか、芝居の演出も手がける橋本治さん。
サラリーマンから小学生まで世代を越えて支持されている
橋本さんに、今のニッポンをズバッと斬っていただきました!
橋本治さん
はしもと おさむ 1948年東京生まれ。作家 東京大学文学部国文科卒。
’77年『桃尻娘』で作家デビュー。『宗教なんか恐くない』で第9回新潮学芸賞、
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞受賞。
近著に『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書)
『勉強ができなくても恥ずかしくない(1)〜(3)』
『ちゃんと話すための敬語の本』(以上、ちくまプリマー新書)など。
「不都合がないからそれでいい」は日本人の才能である
編集部  橋本さんは、最近急速に高まっている改憲への動きについて、どう見ていらっしゃいますか?
橋本

 まず初めに言っておくと、私は基本的に憲法改正に関しては「何で改正しなきゃいけない理由があるんだろう?」というだけの人間なんです。何が何でも変えさせじ、というわけではなく、ただ「別に不都合がないのにどうして変えなきゃいけないの?」と思っているだけなんですね。

編集部  たとえば、改憲派の主張の中には「自衛隊が肥大化し、実質軍隊のようになっているのだから、このままあいまいにし続けるよりは、きちんとその存在を明記した方がいい」という声がありますが。
橋本

 憲法で言っているのは「交戦権の否定」ということだけで、自衛隊に関してはうやむやですね。でも私は、うやむやでも不都合がないのだから、それでいいじゃないの、と思う。
 不都合がない、というのは、実はとても重要なことなんですよ。不都合がないからうまくやる、というのは、アメリカ人にも中国人にもできない、日本人ならではの特性なのです。グローバリズムの中でもこれはずば抜けた才能だと思っていい。
 だから、日本人の知恵として「自衛隊は自衛隊であって、軍隊ではない」という言いのがれがあったほうが、逆に歯止めになる。その言いのがれがあるから、アメリカに「国際貢献のために軍隊を出せ」と迫られても「いやあ、自衛隊は自衛隊なんで、軍隊っていうのはちょっと無理なんですよね」と言えるはずだし、海外に派遣した場合でも「自衛隊は“自衛”隊ですよ」と言える。それが外交の知恵ですよ。
 そもそも交戦権を放棄する、というのは、外交に戦闘という手段を使っても意味がないということをふまえての話なわけです。有能な頭脳外交をすればいい、それだけのことなのです。

「外交」がわからないニッポン
編集部  著書『戦争のある世界 ああでもなくこうでもなく4』(マドラ出版)では、日本の「防衛と外交がリンクしていない」ことについて強く断じていらっしゃいますね。橋本さんは、日本の防衛と外交はどうあるべきだと考えますか?
橋本  「有事」を考えるときの基本中の基本は、「防衛を考える前に外交を考える」ということです。でも、日本の今の外交は、はっきり言って最低ですよ。日本に外交能力がないことに対して、どうしてみんなこれほどまでに危機感を感じないのか、不思議でなりませんね。
 日本に外交能力がないことは、2002年、中国・瀋陽(しんよう)の日本総領事館に北朝鮮の一家が駆け込んだ一件で、誰の目から見ても明らかになりました。中国の警官たちが領事館の敷地内に立ち入って、家族を引きずり出したのに、日本側は何も抗議しなかったどころか、敷地内に落ちた帽子を拾って差し出した。領事館の敷地を侵されるという主権侵害をされていながら、それを黙認したのです。これが有事じゃなくて何でしょうか。
 それなのに、そのことについてはまったく無関心のままで、軍隊を持てば外交は何とかなると考えている。そのような短絡的な思考は、非常に危険だと思いますね。
 この春に中国で反日デモが起こったことも、まさに日本に外交能力がないことの表れですよね。でも、日本は外交とはどういうものかをわかっていないから、日本には外交能力がない、ということすらもわからないのです。
 考えてもみてください。「北朝鮮に対して毅然とものを言う」と日本が主張するようになったのは、北朝鮮が拉致を認めたあとですよ。しかも、向こうが認めた後でさえも、毅然とした態度をとれずにまごまごしていた外務官僚もいたくらいなのです。自分の国の立場を守るために毅然とする、ということでさえも、こんなふうに満足にできなかった国なんですよ。だったら外交などわからなくて当然でしょう。でも、今は「外交をわかっていない」ということを解決しようともせずにまったくすっとばしてしまって、外交官僚がいいかげんだから武器を持つ、となっている。そんなの、誰が考えても間違いでしょう。
 相手と渡り合うというのはとても面倒臭いことだけれど、その面倒臭いことをクリアしなければ大人じゃないですよ。「外交」は人間関係と同じ。自分の利益を考え、相手の利益も考える。ときどきぶつかることもある。じゃあどうしよう、と考える。それだけの話しでしょう? 自分の利益を考えられない人や、他人にくっついていれば何か利益があるんじゃないかと思っている人に、外交能力はないのです。
「国会は議論の場ではなく承認の場である」
編集部  大ベストセラーとなった著書『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書)の中では、「会議というのは議論の場ではなく承認の場である」と述べられていますね。そうであるのなら、国会の場でも、改憲、憲法9条についての議論は議論にならず、なし崩しに改憲が承認されていくような危惧を感じますが・・・。
橋本

 9条に関して議論しようとすると、ひたすら忍耐力を必要とするようなしんどい議論になります。そこで求められるのは「議論がさっさと終わること」です。
 たとえば、自衛隊を海外に派遣させたい人たちが国会で主張するのは非常に現実的な議論で、一方の海外派遣させたくない派は、その現実的な議論をなかなか駆逐できません。それは、これまで憲法第9条を水戸黄門の印籠にしていて、“「9条」さえ出しておけば大丈夫、ダメなものはダメなんだから”という観念的な反対しかしてこなかったからです。今まではそれでなんとかなっていた。しかし、それがもう通用しなくなってしまったのです。
 では、9条保持派はどうすればよいかというと、承認の場でしかない会議、つまり国会に参加しなければいいんです。定員割れになったら法案は成立しません。会議のテーブルにつかないということは、一番の積極的な行為になるわけですから。

憲法は生きていくための基本だから、観念的でいい
橋本  このところ、市民のあいだでも、憲法9条支持という声はかなり少なくなりました。それは「観念的に憲法支持って言っているだけで、なんの意味があるの」という人が増えてしまったからだと思うんですね。
 先ほど話したように、9条を印籠にして「9条を守れ」「9条に従え」としか言われてこなかったから、逆に9条のことを考えるのが嫌になった人もいると思うのです。つまり、「9条は観念的なものでしかない。だから現実的な軍隊を持った方がいい」という反作用だってあるわけです。
 でも、9条が観念的なのではなく、そもそも憲法そのものが観念的なのだ、ということを、日本人はもっと考えたほうがいい。憲法が観念的でよいのは、それが生きていくための基本だからですよ。それを現実に引き寄せようとするからおかしなことになるんです。
編集部  そうですね。「憲法9条に書かれているのは理想の未来であって、現実的でない」と言われがちですが、橋本さんは著書(『戦争のある世界〜』)の最後のほうで「未来を論ずることが現実を考えることだ」とお書きになっていますよね。
橋本

 日本人は「現実」と「未来」を切り離して考えているから、「未来を論ずること」を「現実的でない」と考える。そうじゃないでしょう。現実を考えるというのは、「現実からつながっている未来を考える」ということ。未来を考えることが現実的なことなんですよ。

つづく・・・

「憲法は私たちが生きていくための基本である」ということばに、
あらためて憲法というものの意味を思い知らされました。
次回は引き続き橋本さんに、私たちは9条のことを
どう考えていったらよいのかについて語っていただきます。
お楽しみに!

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