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この人に聞きたい
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鈴木聡さんに聞いた その1

憲法や政治について語ってこなかった僕たちの世代
「政治の話はやめておきましょう」という雰囲気は、日本独特のものとも言われます。
政治や社会への無関心層の広がり。これはいったいどこから生まれたものなのでしょうか。
59年生まれの脚本家、演出家の鈴木聡さんにお聞きしました。
かわださん
鈴木聡(すずき さとし) 1959年東京生まれ。
1982年、早稲田大学政経学部卒業後、博報堂に入社。
コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍。
1984年、劇団サラリーマン新劇喇叺屋(現ラッパ屋)を結成。
主宰、脚本、演出を担当。現在は脚本家として、
演劇、映画、テレビドラマ界などで幅広く活動している。
憲法9条こそ、日本が世界に誇れるものだと思った
編集部 鈴木さんはラッパ屋以外にも、ミュージカルの台本やNHKのテレビ小説の脚本の執筆など幅広い活動をされていますが、2005年4月に劇団青年座に書き下ろされた『妻と社長と九ちゃん』という芝居における、主人公九ちゃんのセリフが印象的でした。

  芝居の設定は、社員や地域の人々との関係を大事にしていた老舗の文具会社「昭和堂」の会長と、グローバリズム時代に合った合理的な経営によって会社を刷新しようとする社長(会長の息子)との対立を軸に、会社という世界における新旧のぶつかりをハートフルなコメディとして描いたものですが、そこには会長を敬愛する“九ちゃん”という中間管理職が登場します。

  九ちゃんとは「おばけのQ太郎」似ということからつけられたニックネームですが、彼は芝居の終盤で「たとえ古いと言われようと、会社のよき伝統は守るべき」と主張する際に、憲法9条を持ち出します。

セリフ引用)

社長  「確実に時代はそうなってますよ。日本だけのルールはもう世界に通用しないんです。会社のルールも法律も、いますぐ世界に合わせて変えていくべきでしょうね。でないとあっというまに他のアジアの国に追い抜かれて、そのうち誰にも相手にされなくなる」

同僚社員 「憲法もありゃ変えたほうがいいね。戦争をしないなんて言ってる国はほかにないだろう。理想論の時代は終わったんだ。これからは現実を見ていかなきゃ」

   (中略)

九ちゃん 「戦争する国がいいのかよ。人が人殺すのがいいわけねえじゃねえか。よその国がぜんぶいいって言ったって、俺たちはちがうっていやいいじゃねえか。原爆落とされたの日本だけだぞ。ちがうって言えんの俺たちだけじゃねえか。それがなんだよ。ルールがど−たら、グローバルがこーたら、みんないっしょくたの国になんのかよ、いっしょくたの会社になんのかよ。おもしれーかそんな世界が。いろんな奴がいるからおもしれえんじゃねえか。いいとこは昭和のまんまで止まってようよ。花見が好きで、戦争なんか大ッ嫌いな日本のまんまで止まってようよ。憲法九条、改正はんたーい!」


この『妻と社長と九ちゃん』を鈴木さんが書くきっかけは、何だったのですか。
鈴木 まずこの芝居は「青年座」に書き下ろすということが大きかったですね。僕は学生時代から小劇場で活動してきましたが、僕の目には新劇というものが、現在自らの「立ち位置」を模索しているように見えたし、「新劇では、こういう芝居をやってほしい」という思いもありました。僕としては新劇が娯楽一辺倒になってほしくないですし、9条は新劇が話題にしていくべきテーマのひとつだと思ったんです。また、僕の主宰するラッパ屋では、エンターテイメントに徹してやってますから、ラッパ屋では書けないこと、みんなが触れたがらないものに、触れちゃおうかなというのもありました。

結果、僕にとってこの戯曲を書くことは、自分のなかの社会性をクローズアップするような作業となりました。ただ、僕自身と9条の接点は何かと考えたとき、9条そのものをむき出しにするのではなくて、「失われていく昭和」という文脈のなかで、9条を共鳴させていったらどうだろうと思ったのです。
編集部 平和や戦争とのリンクではなく、「失われていく昭和」と9条ですか?
鈴木 理屈ではなく心情的に、僕が好きな昭和と9条がだぶってくるんです。以前僕が書いた脚本で、クレージーキャッツの方々に出てもらった映画『会社物語』(市川準監督)でも触れたのですが、昭和にはいわゆるムラ的な共同体としての会社があったと思うんですね。もちろんそこにはいろいろな問題があり、僕自身、ときとしてうっとうしい部分を感じることもありました。でも、そういうことも含めて高度成長期があったとも言えるのではないでしょうか。「今日よりも明日のほうが絶対よくなる」という確信を国民に持たせ、経済成長期の土台を敷いたのは、「これからは絶対に戦争をしない」という決意だったと思います。その決意が文言化されたものが憲法9条であり、それを私たちは受け入れ、これまで心の礎にしてがんばってきたわけです。それなのに、現実や国際情勢とそぐわなくなったからと言って、9条を捨てちゃうのはちょっと違うのではないか。そういう気持ちを作品に込めました。 
編集部 ご自身も会社で同じような経験がありましたか?
鈴木 僕が(博報堂に)入社したのは1982年ですが、そういうムラ的な雰囲気はまだ残っていました。春の花見とか、正月の七福神めぐりとか、部署のみんなで行くのが恒例でした。

それに何のためにモーレツに仕事していたかといえば、「(一緒に働いている)仲間が好きだった」からです。 “フォア・ザ・チーム”は、あのイチローも今回のWBCでは言っていましたが、やはり個人の力って限界があるし、チームにいるからこそ自分の能力をより発揮できることもある。だから(昭和時代の会社の)悪いところはあるけれど、何も全部捨てることはない。いいところはいいところでもっていればいい。そうじゃないと、みんな無理をして辛くなったり、切なくなったりしてしまうよ、と思います。
「恐怖」は報道によってつくられている
編集部 ところで、『妻と社長と九ちゃん』という作品を知って、私たちは鈴木さんに、このコーナー(「この人に聞きたい」)に登場願ったのですが、当初は固辞されました。
鈴木 それは高校生の時から「少しでも政治的な匂いのするものには触れまい」と心に決めていたからです(笑)。
編集部 高校生の時からですか?
鈴木 「政治的な発言はできればしたくない」というのは、これは僕らの世代に共通しているひとつの認識だと思います。昭和34年生まれの僕は、いわゆる団塊の世代の少し後になりますが、通っていた中学、高校にも学生運動の名残がまだありましたが、それがいやでしたね。というのも、学生運動が内ゲバに向かっていくのを目の当たりにしたからです。

中学生のときに、浅間山荘事件がありました。あれを見て「(理想をかかげて運動していても)結局はこういうことになるんだ」と強く思いました。親戚に学生運動をやっている人もいましたが、自分では距離をとっていました。あの内ゲバを見て、多くの若者が「これ(運動)には触るまい」と思っていたんじゃないでしょうか。 と思いながらも、学生運動が盛んだった時代に書かれた『青春の墓標』(奥浩平)とか『二十歳の原点』(高野悦子)は好きでよく読んでいたんです。彼らのピュアな心情に共感するところはあったのでしょう。
編集部 学生運動の失敗の後遺症により、鈴木さんの世代、今の40代後半の世代から、政治的な話をだんだんと遠ざけるようになっていき、今なお、語りにくい状況を作り上げていったのですね。
鈴木 内ゲバによる衝撃は本当に大きかったと思いますよ。彼らの失敗は、その後の日本社会に大きな影響を残しました。しかし今の、改憲に向かう若い世代の動きを見ると、僕らの世代にも責任があると思います。僕の祖父母や親たちは「戦争なんて最低だ」と言ってきました。先生たちもそう教えていたし、僕自身もそう思っていた。だから戦争しない日本って、何ていい国なんだと、当たり前に思ってきました。しかし、今の子供たちの感覚は、僕らとは違ってきています。

それは、団塊の世代以降の親が、個人の生活をエンジョイしていくのが新しいライフスタイルだとして、戦争のことをきちんと引き継いでこなかったからではないでしょうか。平和って、がんばって伝えていくべきものなのに、それをおろそかにしてしまった。
若い世代から見たある種の“ぬるさ”
編集部 親の世代への反発という形で現れているのでしょうか?
鈴木 今、若い世代には、上の世代の“ぬるさ”に対する嫌悪があると思います。若い世代には、日本的なムラ的な共同体に安住し、政治や社会に対して議論をしてこなかった上の世代が、ずるくてぬるくて、曖昧ないやなものに見えているのではないでしょうか。例えばホリエモンは、いわば弱者を切り捨てていくスタイルなんだけれども、そういう姿勢に対して当然という感覚が、若い世代にはある。弱肉強食に彼らは賛成なんです。

 9条改定の議論に対しても護憲派を主張する意見に対しては、「自分の手を汚さないで(戦争反対を言っている)ずるい大人たち」というふうに見ているのではないでしょうか。
編集部 17歳の読者から次のような意見が寄せられたことがあります。「9条があるからといって、国際紛争地へ出動せずにいる日本や日本人は、情けないと思う。他の国のようにちゃんと国際貢献ができるように、9条は変えるべきだ」。
鈴木 そういった“ぬるさ”に対しては、NOを突きつけたい彼らは、「9条があっても特に困らないから、現状維持でいいじゃないか」とか「9条があるから自衛隊は軍隊ではない」といった矛盾やごまかしは、絶対に受け入れがたいと思っているはずです。  戦後60年の間、与党である自民党は、何度も改憲をしようとしたのに、大きな動きにはならなかた。しかしここにきて、改憲が現実問題として浮き上がっているのは、それは、ストップをかけてきた民衆の声がちいさくなったというか、一番大きく変わったのは世論なのでしょう。なぜ、世論が変わったのか、それをきちんと考えていかないと、(改憲への)この流れは変わらないと思う。
つづく・・・
たった今、国民投票が行われたら、大きな議論もなく9条は
改定されてしまうでしょうね、と鈴木さん。そうならないための、
私たちの問題である憲法をみんなで考える場所づくり、
将来の日本のビジョンづくりなどについて、
クリエイティヴディレクターでもある鈴木さんに
引き続きお聞きしていきます。お楽しみに!
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