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この人に聞きたい

080903up

寺脇研さんに聞いた(その1)

撃ちこまれることも覚悟した上での9条維持

「ゆとり教育」のスポークスマンとして、マスメディアでの発言も多かった寺脇研さん。
「役人は裁判官同様、憲法をしょっちゅう使っています」との言葉通り、
行政行為が憲法に抵触していないかどうか、
まさに憲法を道具としていた寺脇さんに、9条について語っていただきました。

てらわき・けん
1952年福岡県生まれ。1975年文部省入省、初等中等教育局職業教育課長・広島県教育長・高等教育局医学教育課長・生涯学習局生涯学習振興課長、大臣官房政策課課長を経て、大臣官房審議官。2002年より文化庁文化部長。退官後、映画評論家、京都造形芸術大学芸術学部教授、NPO法人教育支援など多方面で活躍中。著書に『なぜ学校に行かせるの?』(日本経済新聞社)、『中学生を救う30の方法』(講談社)、『どうする学力低下』(PHP研究所 共著)、『21世紀の学校はこうなる』(新潮OH!文庫)、『格差時代を生きぬく教育』(ユビキタ・スタジオ)、『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(扶桑社)、『さらばゆとり教育』(光文社ペーパーバックス)、『韓国映画ベスト100』(朝日新書)など。

役人はしょっちゅう憲法を使っている

編集部

 9月に「マガジン9条」の発起人でもある姜尚中東大教授と憲法に関する共著『憲法ってこういうものだったのか』(ユビキタ・スタジオ)を出版するそうですね。

寺脇

 はい。対談をまとめて出版します。姜さんは政治学者だから、憲法についてもいろいろと考えるべきお立場にありますが、わたしは一介の元公務員で、憲法を専門に勉強しているわけでもない。最初はちょっと釣り合わないかなと躊躇したんですが、考えてみれば、裁判官と並んで役人ほど憲法をしょっちゅう使っている人種はない(笑)。
 ご存知のように、憲法とは国家や政府を縛るものですから、役人をやっているとあらゆる行政行為が憲法に抵触していないか、常に考えていなきゃいけない。だったらその体験をベースに、自分なりの日本国憲法に対する考えを対談で出していけばいいのかなと思い直したんです。

編集部

 寺脇さんの憲法に対する基本的な考えってどんなものでしょう?

寺脇

 憲法を不磨の大典とは考えていません。それじゃ、聖書になっちゃうでしょ? 本来、憲法はしょっちゅう使いこんで手垢のついた古本みたいなものじゃないといけない。だから、必要に応じて変えることもありうるはずなんです。ところが、これまで護憲派の人々は9条を守りたいがために、いっさいの改憲はまかりならんと主張してきた。「マガジン9条」のインタビューの中ではちょっと異質な意見かもしれないけど、9条のおかげで日本国憲法は変えることが難しくなっているというのが、私の意見です。

編集部

 9条ですら、改憲する時はするべきだと――。

寺脇

 姜さんと対談したのは昨年の7月から8月にかけてです。その直後に安倍政権は退陣しましたが、もしそのまま続いていれば、おそらくその年の12月頃には集団的自衛権を認めるという政府判断が出かねない状況でした。これはとても危うい動きでした。「集団的自衛権はこれを認める」と憲法を書き直すことなく、解釈のみでやるわけですからね。

時の政権の解釈で
集団的自衛権まで認めてしまうおかしさ

編集部

 たしかにあの時、安倍政権は9条を維持したまま、拡大解釈で海外派兵を強行しようとしていました。

寺脇

 憲法を読めば、集団的自衛権の行使が許されないのは明らかです。日本に集団的自衛権なんてものは要らないと、私は思っています。ところが時の政権の解釈だけで、それが実現されかねないなんておかしいでしょう。だから、集団的自衛権なんてものは絶対に認めないという文言をしっかりと9条に書き込むべきなんです。そういう改憲なら、あっていいんじゃないですか? そもそも憲法を制定した時点においては日本がアメリカを守るとか、軍事的にお手伝いをするなんていうことは想定されていなかったわけです。それなのに9条の墨守一点張りでやっているから、「だったら、解釈でやってしまおう」なんていう、とんでもない動きが出てくるんです。

編集部

 集団的自衛権どころか、自衛のためなら先制攻撃も許されるという論議すらされています。

9条を維持する日本の覚悟

寺脇

 9条って早い話、「ミサイルを一発撃たれるまでは絶対にこっちは撃ち返さないよ」という意思の表明なわけです。なのに、最近は右翼の人どころか左翼の人々ですら、「敵国から1発撃たれたらどうする? それはまずいよね」という話になってしまっている。私は撃ち込まれてもいい、当たってもいいと思っていますよ。9条とはそういう理念と覚悟が込められたものすごい条文なんだから。
 この論議はオウムに破防法を適用するかどうかで揉めた時の論議と似ているかもしれません。私は破防法の適用に反対の立場ですが、かなり進歩的と自負する人たちでも「あなた、サリンをまかれて平気なんですか?」と、賛成に回りました。でもね、自由という価値を重んじるなら、オウムみたいにいきなりサリンをまくグループが出現して、それを自分が吸ってしまうかもしれないというリスクを覚悟すべきです。

編集部

 その価値観と覚悟を引き受けてこその9条というわけですね。

寺脇

 だからこそ、制定当時、9条は世界から驚きを持って賞賛され、尊敬された。戦争は放棄する。だけどミサイルが当たるのは嫌だ。だから、9条という条文はあるんだけど、集団的自衛権も先制攻撃も解釈で認めるというのでは、世界の誰からも尊敬なんかされるはずがない。
 集団的自衛権をめぐる論議では「お友達のアメリカが攻撃をされようとしている時に、同盟国の日本が知らない顔をしていていいのか?」という主張がさかんにされました。でもね、知らない顔をしていいんです。だって、日本は自分が先に1発撃たれることを覚悟してまで、9条を維持しているんです。よそ様が撃たれようが撃たれまいが、そんなこと関係ありません。

編集部

 そう断言されると、説得力があります(笑)。

寺脇

 ですから、解釈で9条がなし崩しにされないよう、しっかりと歯止めの条項を書き加える必要があります。ところが、「憲法9条を死守する」という人々にかぎって、そこまで踏み込んで考えていない。9条を守りたいなら、まず自分自身が「他国から1発撃たれても平気なんですね?」と確認しなきゃいけない。それに肯いて初めて、憲法9条をどう守ろうとか、どう活かそうとかいう話ができる。それが私の意見です。9条は守りたい、でも1発撃たれるのは嫌というのでは、本当に9条を護ることにはなりません。

その2へつづきます

福田総理の後継には、麻生太郎氏の名前があがっています。
さてその麻生氏ですが次のように語っています。
「(憲法解釈では行使できないとされる集団的自衛権について)
あるが、使えないというのはよく分からない。
法律を守って国が滅びたら、順番が違う」
(2006年8月24日、読売新聞などの取材に答えて)。
集団的自衛権をめぐる政府与党の拡大解釈については、
今後、さらに注意深く見ていかなくてはいけません。
次回は、寺脇さんに9条以外のことについても聞いていきます。
お楽しみに!

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