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2012-05-30up

佐藤潤一の「カエルの公式」

第3回

フランスの原発に
パラグライダーで侵入? 
こんなことしていいの?(後半)

<まだ前半を読んでいない方はまずこちらを>

 前回に続いて、今回もグリーンピース・フランスが行ったパラグライダーで原発上空を飛行するという活動について紹介します。前回は、「なぜ、そんなことをしたの?」という理由について書きましたが、今回は「その後、どうなったの?」という質問に答えます。

•パラグライダーマン、数時間で釈放

 まず、フランスの原発上空をパラグライダーで飛行して、原発敷地内に着陸した彼はどうなったのでしょうか? いまでも警察に捕まっているのでしょうか?

 答えは、「いいえ」です。

 警察での数時間程度の事情聴取後、その日のうちに釈放されそのまま帰宅したということです。(まだ今後、起訴され裁判になる可能性はあります。)

 「えっ」と思いませんか? 日本だと、「反省しなさい」という意味も込めて長い期間警察に捕まっていそうです。でも、そうではなかったのです。なぜでしょうか?

グリーンピース・フランスが撮影した飛行の様子。赤い煙の発煙筒は、原子炉の真上を飛行したことを示すために活動家が落としたもの

•大前提は冷静で穏やかな態度

 このパラグライダーマン、原発敷地内に着陸後は、原発施設の作業員や警察の言うことに従い、冷静かつ穏やかに応対しました。もちろん、作業員の方々や警察の方々に対して叫んだり、抵抗したり、暴力をふるったりということは一切しません。地上で彼のフライトをアシストしていた人々も同様です。

 抗議したいポイントは「原発の安全性に不備があること」で、作業員の方々と論争したり争ったりすることではないことをしっかりと理解した上での行動でした。

•ニュースはフランスの安全管理の話に

 日本であれば、どんなに平和的に行動したからと言って「なにをバカなことをしているんだ」と活動家への批判がワイドショーを独占するかもしれません。しかし、フランスではそうはなりませんでした。

 むしろ、ニュースは、「簡単に原発上空を飛行することができた」という事実を重く受け止め、仏原発の安全性への疑問を報道し、国に対して安全性の不備を問います。その結果、同日行われた大統領候補者のテレビ討論会では、当初の予想に反して、原発についての討論に多くの時間が費やされたのです。

 グリーンピースや活動家への批判もないわけではありませんが、「よくやってくれた」という意見が圧倒的だったとのことです。

•どっちが大事?「天秤の原則」

 今回グリーンピース・フランスは、大統領選挙という国の政策を決める重要な決定の前に、「原発の安全対策が万全かどうかを知ることは市民の権利である」と判断して行動に訴えました。
 なぜなら、もし原発事故が起きた場合には、影響は広範囲に及ぶため、国民は「原発の安全対策が十分かを知った上で投票を行うべきだ」と考えたからです。

 そして実際に原発上空を飛んでみせることによって「原発上空を平和的にパラグライダーで飛ぶこと」と「安全性の不備を市民に知らせないこと」のどちらが民主的な社会で批判されるべきなのかという判断を社会に迫り、ドラマチックに市民やメディアに議論を投げかけたのです。

 日本では、このようなことが起きた時、目的や背景に注目するよりも、そのやり方に注目してしまう傾向があります。
 しかし、訴えたい事柄が「公益(みんなが知っていた方が良いこと)」につながる場合には、市民の直接的な行動が正当化される場合があるという考え方がヨーロッパを中心にして根付いています。

 ようするに、社会が「原発上空を平和的にパラグライダーで飛行すること」の良し悪しを単独で決めるのではなく、「原発上空を平和的にパラグライダーで飛行すること」と「安全性の不備を市民に知らせないこと」を天秤にかけて判断しているのです。

 これを私は「天秤の原則」と言っています。

•冷静かつ倫理的に行動することも大事

 もちろん、「公益性」があればなんでもやっていいわけではありません。

 「原発の安全性に不備がある」といって、人を傷つけてまで原発に侵入したらどうでしょうか? これでは、誰も理解してくれませんし、議論にもなりません。 

 「天秤にかけて判断する」ということは、いくら公益性の高い目的であっても、それに見合わない手段が使われた場合には厳しく社会が対応することになります。 

 このブログの最初の方に、パラグライダーマンが冷静かつ穏やかに振る舞ったと書きましたが、それはこの「天秤の原則」をしっかりと理解していることを示したかったからです。

 「天秤の原則」では、「公益性」についても同様に、社会が公正に判断することになります。個人の逆恨みのようなことを「公益性」があるとしても、受け入れられないでしょう。

•検察や裁判所の対応 「非暴力行動」の尊重

 公益性の高い目的を果たすために、冷静かつ暴力を用いずに行動で指摘することを「非暴力行動」と言います。

 ヨーロッパなど人権を尊重する国々の検察や裁判所も、基本的には「公益性のある」平和的な行為(非暴力行動)を厳しく取り締まることは民主的な社会の育成にとってマイナスであると考える傾向があります。

 今回のパラグライダーでの行為もそうですが、市民が政府などの問題点を指摘することを「表現の自由」という市民の「権利」として広く認めることが、民主的な社会にプラスだという考え方だからです。

 政府の間違いを堂々と批判できなくなることが、戦争など過去の間違いを引き起こしたという反省に基づいているのでしょう。

 ですから、政府を批判する行動が、たとえ軽く刑法に触れる行為であったとしても、厳しく取り締まるのではなく、「無罪」もしくは象徴的に「罰金」程度の有罪とするのです。

•国連も認めている「非暴力行動」

 ここまで読まれた方の中には、「目的が手段を正当化する場合がある」なんて「こいつはなんだか危険な思想の持ち主だな」なんて思われる方もいるかもしれません。

 しかし、日本人の多くが信頼する国連が、私と同じく、「非暴力行動は大事だ」と訴えているのを知ったら少しイメージが変わりませんか?

 国連は「非暴力行動」が20世紀中ごろから様々な社会変革の流れで重要な役割を果たしたことを重要視しています。そして、イギリスから非暴力行動でインドを独立に導いたガンジーの誕生日である10月2日を毎年「国際非暴力デー」とし、「非暴力」の重要性を確認する日と定めているのです。 

 国連のWebサイトによると「非暴力行動」は以下の3つに定義されます。

1)抗議、説得、行進やセレモニー(protest and persuasion, including marches and vigils)
2)非協力(non-cooperation)
3)バリケードや占拠などの非暴力介入 (non-violent intervention, such as blockades and occupations)

 参照:国連非暴力デーWeb

 1の「抗議、説得」は国連が認める行動として私たちにも比較的簡単に理解できますが、3の「バリケードや占拠などの非暴力介入」という行為までが社会正義を実現する行為として尊重されるべきだって国連のウェブサイトに書いてあることは驚きではないですか?

 次回は、この国連の「国際非暴力デー」の解説を中心に「非暴力行動」についてご紹介できたらと思っています。

 まずは10月2日が「国際非暴力デー」だとカレンダーに書き込んでおいてください。
 そんな日が書いてあるカレンダーは人に見られたくない?

 そんな場合は、ぜひ次回をお楽しみに、「非暴力」についての考えが少し変わるかもしれません。それでは、また!

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公益性やその手段の正当性を、
「天秤」にかけて判断する。
日本ではあまりなじみのない考え方ですが、
認めるのと罰するのと、
どちらが社会にとってより有益か、ということなのでしょう。
次回、「非暴力行動」とは何か? お楽しみに。

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佐藤潤一さんプロフィール

さとう じゅんいち グリーンピース・ジャパン事務局長。1977年生まれ。アメリカのコロラド州フォート・ルイス大学在学中に、NGO「リザルツ」の活動に参加し、貧困問題に取り組む。また、メキシコ・チワワ州で1年間先住民族のタラウマラ人と生活をともにし、貧困問題と環境問題の関係を研究。帰国後の2001年、NGO「グリーンピース・ジャパン」のスタッフに。2010年より現職。twitter はこちら→@gpjSato