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2013-01-09up

鈴木邦男の愛国問答

第116回

ベアテさんのこと

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は、<憲法>をどうするか。大いに議論される年になるでしょう。「マガ9」決戦の年になるでしょう。
 12月27日(木)、マガ9の忘年会に行ったら、「来年の忘年会はやれないかもしれません」と悲観的な事を言う人がいた。安倍政権が勢いづいて、7月の参院選でも圧勝し、憲法改正をするかもしれない。そうしたら、9条は変えられる。さらに、21条の改正により、権力者が「公の秩序を害する」と判断したら「結社」が認められなくなる。なので「マガ9」も解散させられるかも…。そしたら「マガ9」もなくなり、忘年会もなくなるかも…。と言うのだ。そんなことにはならない、と僕は思ったが、一抹の不安はある。
 マガ9幹部の、この「悲観発言」の3日後の30日、日本国憲法の男女平等に関する条項を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。89才だった。「護憲勢力」にとっては大きな痛手だ。僕は、ベアテさんには何度も会ってるし、ニューヨークの憲法シンポジウムにも一緒に出ている。ベアテさんに頼まれて、「憲法24条の歌」も探してあげた。あの時はとても喜ばれた。「又、ニューヨークに行きますから、憲法の話をじっくり聞かせて下さい。そして本にしましょう」と僕は言った。ベアテさんも乗り気だった。それなのに亡くなってしまった。残念だ。
 ベアテさんが亡くなったことは、12月31日、ニューヨークの友人からのメールで知った。又、1月1日、何人かの日本の友人からも知らされた。信じたくなかったが、事実だった。1月3日付の「産経新聞」にも載っていた。ベアテさんの経歴がこう紹介されている。
 <1923年、ロシア系ユダヤ人の著名ピアニスト、レオ・シロタ氏の娘としてウィーンで生まれた。29年、作曲家の山田耕作氏から東京音楽学校(現東京芸術大学)に招かれた父とともに日本に渡り、少女時代の約10年間を過ごした>

 この少女時代の10年間が、彼女に大きな衝撃を与える。日本の素晴らしさと同時に、日本の女性の権利は何て低いのだろうと痛感した。封建的なものがまだまだ残り、家の為に犠牲になる。本人の意志で結婚できない。そうした日本の現実を目にし、それが後に、憲法14条、24条を書く動機・原動力にもなった。
 それは直接、ベアテさんからも聞いたが、彼女の著作にも書かれているし、彼女を主人公にした映画の中でも詳しく描かれている。ベアテさん一家は、赤坂の乃木坂に住んでいた。僕は学生時代、乃木坂の「生長の家学生道場」に住んでいた。そうか。30年前は、近くにベアテさん一家が住んでいたんだ、と急に親近感をおぼえた。学生道場の前は、そこが「生長の家」の本部だった。ベアテさんは、そのことを覚えていた。「早朝から、お祈りの声でうるさかった」と言っていた。近くにあった乃木神社にも遊びに行ったという。僕らも「生長の家」の信徒であると共に、この日本を護ろうという「愛国学生」だった。乃木神社の玉砂利の上に正座して、祈った。この国を護って下さいと。左翼の革命から日本を護って下さい。そして、アメリカから押しつけられた憲法を叩き返し、自主憲法を作れますように…と。「そんな事があったんですか」とベアテさんは笑っていた。産経新聞の記事を続ける。
 <39年に米国の大学に進み、米国籍を取得した後の45年12月、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして来日。46年2月、民政局長ホイットニー准将の部下として、両性の平等を規定する憲法24条を書き上げたほか、草案の翻訳作業、日米両政府の折衝時の通訳を務めた>

 ベアテさんは、日本国憲法作成にかかわったことは一生秘密にしていようと思った。職務上の守秘義務もあったし。ところが、日本で改憲ムードが盛り上がり、「これでは危ない」と思い、あえて発言した。僕は、来日したベアテさんの話は以前にも聞いていた。その時はあくまで一聴衆だった。個人的に話が出来るようになったのは2007年からだ。2007年4月にニューヨークで「憲法改正」のシンポジウムがあり、僕も呼ばれたのだ。ベアテさんと、そこで会った。他にもアメリカの憲法学者など「護憲派」の人ばかり。僕だけが改憲派だ、それに、日本でなく、ニューヨークで改憲論議をやる、というので大いに話題になった。
 その後、ベアテさんが来日した時は、必ず会っていた。ある時、「私の書いた24条が歌になってるんだって?」と聞かれた。9条だけでなく24条も、日本人は親しみ、誇りを持って歌にして、うたっている。そんなに親しまれ、支持されてるのか、と思ったようだ。でも、この<証拠>が見つからない。探して下さい、と頼まれて、必死で探した。
 そのことについては、前に、ここでも書いたと思うが、何とか探し出してCDをベアテさんにあげた。憲法や24条について、反戦的・思想的にうたったものではなく、かなりコミカルな歌だった。守屋浩の「24条知ってるかい」という歌だった。好きな娘がいるが、父親は反対している。でも、「両性の合意」だけで結婚は出来るんだ。お父さん、知ってるかい? …といった歌だった。ベアテさんが予想してたのとは随分と違うだろうな。と思いながら渡した。でも、ベアテさんは大喜びだった。こんな形で、楽しく、面白がって歌ってくれた方がいい。と言っていた。
 その辺の感想も含めて、ベアテさんに詳しく話を聞きたいと思っていた。又、ニューヨークに行って、じっくり話を聞こう。そして今、安倍政権のもとで、<改憲>運動がまき起ころうとしている。そのことについても聞いてみたかった。そして、本にしたいと思っていた。「マガ9学校」にも来てもらいたいと思っていた。かなり刺激的なものになったと思う。それなのに、亡くなられた。本当に残念だ。

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最期まで、日本国憲法の平和条項、
そして女性の権利を守ってほしいと訴え続けていたというベアテさん。
「マガ9学校」に来ていただくことはできなかったけれど、
その遺志だけは、なんとしても継いでいきたい。
新年の訃報に、その思いを強くしました。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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