マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

「マガジン9」トップページへ森永卓郎の戦争と平和講座:バックナンバーへ

2011-03-09up

森永卓郎の戦争と平和講座

第47回

ポスト石原の都政を考える

 石原慎太郎東京都知事が四選に出馬するかどうか、本稿執筆時点では、まだ明らかになっていない。渡邉美樹氏、小池晃氏、松沢成文氏などの有力候補が、すでに出馬表明を行っているため、知事選の行方は混沌としてきた。ただ、誰が都知事になるにせよ、問われるのはどのような政策を取るのかだ。

 石原都政は、確実に一つのカラーを持っていた。タカ派の思想、強いリーダーシップ、公共事業の抑制、福祉の削減などだ。小泉構造改革路線と政策的にはよく似ている。

 過去に行ってきた具体的な政策に関しても、シルバーパスの有料化や寝たきり老人への老人福祉手当の廃止、新銀行東京の設立、築地中央市場の豊洲への移転計画など、議論をしなければならない問題はたくさんある。ただ、ここでは都政のなかでも、都立高校の問題を採り上げたい。私自身が都立戸山高校の出身で、しかも私の人格形成に最も大きな影響を与えたのが、戸山高校での生活だったからだ。

 私は1973年に東京都立戸山高校に入学した。その前の新宿区立落合中学校の時代、私は精神的に大きなストレスを抱えていた。厳しい校則があり、制服もあり、時計を学校にしてきてはいけないなどといった細かいルールで学校生活が縛られていた。髪の毛を染めることも、長く伸ばすことも禁じられていた。私は縛られるのが大嫌いな性格なので、欲求不満の固まりになっていた。だから、中学時代は荒れていた。教諭にいちいち反抗し、廊下に立たされることは日常茶飯事だった。それどころか、教室にバリケードを築き、ちょっとした「学園紛争」の真似までした。卒業式には確か私服の機動隊が入っていた。同級生の親友は、その勢いのまま、三里塚闘争に参加し、その後、国労闘争に人生のかなりの部分を捧げた。

 ところが、私は戸山高校に進学してから、すっかりノンポリになってしまった。その理由は、戸山高校があまりに自由で、欲求不満がなくなってしまったからだ。

 戸山高校には、制服がなかった。そしてうるさいことを言われることもなかった。早弁、自転車通学、長髪など何でもありで、学校の目の前にあった雀荘に入り浸っていても、誰からも文句を言われなかった。クラブ活動の部室は、治外法権のようになっていて、それこそ何をやっていても、チェックにくる人さえいなかった。

 戸山高校の教諭は、型にはまらない自由人が多く、個性が強いが、誰もが生徒を対等の存在として扱ってくれた。一年生の担任だった有賀先生は、我々の学校生活を何も縛らなかった。高校生なんだから、自分で考えて自分で律しなさいと言うのだ。当時、都立高校の教諭には、週に一日の研究日というのがあった。週に一度は、平日に教諭が校務から離れて、自由な研究をできる日を作っていたのだ。「研究日は何をしているんですか」と有賀先生に聞くと、「いつもは本を読んでいるんだけど、最近は妻に言われて朝からスーパーに並んで、トイレットペーパーを買っているんだ。一人一パックしか売ってもらえないんだ」。石油ショック後のトイレットペーパー不足の時代だった。いまなら、糾弾されてしまうような発言だが、私はその発言で経済に興味を持ち始めた。有賀先生は、英語の教諭だったが、最初に我々に教えたのは、何とスペイン語だった。

 国語の田代三良先生は、いかにも学者然としたタイプで、岩波新書から「高校生」という本を出していた。教科書どおりの授業などするはずもなく、その時々の先生の関心にしたがったプリントで作って、授業時間に配布して、講義をした。生徒は、「まあこんなもんでしょ」くらいの気持ちでプリントを受け取ったのだが、そこで先生が切れた。「お前ら、このプリント一枚を作るために僕がどれだけの本を読み、どれだけの時間をかけたか分かっているのか。できるものなら、作ってみろ」。

 とにかく、どの先生も自由人ではあるけれど、生徒には真剣に立ち向かっていた。戸山高校で一番勉強になったのは、定期試験の答案が返された後だった。私を含めて何人もが、採点で納得できないところを、すぐに先生に抗議した。考えさせる問題が多いので、正解が一つではなかったからだ。「何故、この回答にバツをつけたのか。これでも正しいじゃないか」と私は必死で食い下がった。点数が復活することも、そうでないこともあったが、そうしたやり取りが授業よりもずっと頭に入る実践的な講義だったのだ。

 最近、都立高校の凋落が叫ばれる。確かに、戸山高校も東大合格者は激減した。しかし、私は有名大学への進学率を上げることが都立高校の復権ではないと思っている。生徒を一人前の大人として認め、自由と自己責任の精神を与えることが、いま都立高校に求められているのではないか。

 すでに都立高校では、教諭の研究日は廃止されてしまったという。それどころか、日々膨大な報告書類を書くことに教諭は疲れ果て、十分な研究をする時間を取れなくなっている。石原都政の下で、教員の自由裁量が奪われ、国旗掲揚、君が代の斉唱が義務づけられた。反抗すれば、厳しい「研修」を受けなければならなくなった。また、都立高校の進学校化が図られ、中高一貫教育までが導入された。

 しかし、そんなことで型にはまった生徒を作っても意味がない。自ら学び、自ら考え、自ら行動する、日本の未来を担う人材を育成することが、私はいまの高校教育には求められているのだと思う。

 新しい知事には、まず都立高校教諭に、自主的に研究を行い、生徒と真剣に向き合うことのできる時間的余裕を与えて欲しい。

←前へ次へ→

石原都政のもとで、
年々教員に対する締め付けが厳しくなっていった都立高校。
都立高校が担うべき「教育」とは何なのか。
指摘されることは決して多くないけれど、
都知事選に向けて注目したい論点の一つです。
今週の「伊藤塾 明日の法律家レポート」もあわせてお読みください。

ご意見・ご感想をお寄せください。

googleサイト内検索
カスタム検索
森永卓郎さんプロフィール

もりなが・たくろう経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

「森永卓郎の戦争と平和講座」
最新10title

バックナンバー一覧へ→