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2010-02-02up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第四十九回

現代の農村問題とはなにか

 昨年11月(第46回)の、このおたよりで「農村問題は農村の問題だが、農業問題(食料問題)は本質的に都市の問題ではないでしょうか」ということを申し上げました。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関しての、わたしなりの発言でした。
 では、その「農村の問題」とは何なのか? この〈マガジン9〉を読まれる方は、都会の方が多いとおもうので、農村の実態を知っていただくために、今回はその「農村問題」にふれてみたいとおもいます。

 かつては、医療不足による新生児の死亡率が高いとか、暗くて狭い台所を明るく使いやすくしたいとか、便所や風呂を外でなくおもやの中に作りたいとか、姑だけでなく嫁にも家計の財布をわたせとか、せめて都会並みに電気洗濯機を使いたいとか、そういう「農村近代化」「生活改善」をめざすことが、農村問題でした。
 そのあと、高度経済成長期には、都会に出稼ぎ労働者として男たちが出て行き、農村も豊かになった代わりに、3ちゃん農業(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんだけが農業を支える)問題、あるいは農家の嫁不足が、農村問題とされた時代がきました。
 やまねこムラでも、外国から来た嫁さんたちが、今ではムラに溶け込んで、たくさん活躍しています。フィリッピン、ケニア、中国、韓国・・・と国際色豊かです。小学生・中学生・高校生になったその子どもたちは、ムラの元気を支えてくれる力になっています。

 しかし、現在の日本の農村問題といえば、なんといっても少子高齢化にともなう過疎化でしょう。「限界集落」ということばを耳にした方もいるかとおもいます。定義はこうなっています。①65歳以上の人口が50%以上で、②冠婚葬祭などの社会的共同生活が困難になっている。この2条件を満たして、将来集落として存続していけない危惧がある集落のことです。
 やまねこムラは、20ほどの集落からなっているムラなのですが、この限界集落の定義に当てはまってしまう集落がもういくつかあるようです。農業の将来、という以前に、集落の日常の暮らしの将来が危ういのです。

 過疎化の実態がわかりやすいように、具体的な数字を挙げてみましょう。ほぼ同じ面積の東京江東区と比較してみます。(2011年1月現在)

 
やまねこムラ
(38平方キロ)
東京江東区
(40平方キロ)
世帯数 552世帯 225,228世帯(408倍)
人口 1,788人 472,429人(264倍)
人口密度(k㎡あたり) 47人 10,657人(227倍)
60歳以上の割合 46% 22%

 いかに東京区部の人口が密集しているかというのか、あるいは、いかに岩手の農山村が高齢化の過疎なのかというのか・・・。まあ、そのどちらでもあるということが分かるとおもいます。

 菅総理や農水省、あるいは多くの政治家や識者は、「農業の規模拡大」「農業の効率化」「意欲ある営農者への農地の集約化」をはかることで、今後の日本の農業を強化して国際競争力をつける、ということを主張されているかとおもいます。農地法を「改正」して、企業にも農地所有を認めよう(これまでは、農地の借用のみ認められていた)、という動きもあるようですね。そこまでして、農地の集約化(つまり戦前のような大地主が生まれる)をしたいのでしょうか。
 しかし、それはやまねこムラのような中山間農村の実態を見ないでいう議論だとわたしはおもいます。平野部の圃場でしたら、大規模農家や農業法人(さらに、将来は大企業)に農地を集約化することで、効率化も規模拡大も可能でしょう。
 だが、1枚1反(10アール)もないような、しかも三角形だったり台形だったり曲がりくねった段差だらけの圃場を、どうやって「効率化」するのか。たとえば、わたしの田んぼの1枚は扇形をしています。しかも、隣の田んぼとの標高差が5~6メートルもあります。隣の田を見ると、二階から見下ろすような段差があるのです。
 こんな田んぼは、効率化も規模拡大もできないのです。「意欲ある営農者」も、わたしの田んぼを見たらはだしで逃げ出すのではないでしょうか。こんなめんどうな田んぼを任せられたらタイヘンダ、というわけです。

 でも、わたしはこの扇形の田んぼが大好きなのです。森に囲まれていて、ときどきカモシカやキツネも出てきます。カエルやトンボや蝶がたくさんここから生まれます。だんだん田んぼのてっぺんにあるから、景色がいいのです。いい風が吹いてきます。この田んぼの畦に座ってムラの景色を見わたすと、川筋の谷の向こうにまた緑豊かな丘や森があって、その上に浮かぶ雲がなんともいい形なのです。
 わたしが生きている限りは、この田んぼでお米を育て、そのお米を食べたいとおもいます。わたしが死んだら、たぶんこんなめんどうな田んぼを耕作する人はいなくなるでしょう。そしたら、またこの田んぼはもとの森に返っていくのだとおもいます。

 いまムラの小学校は、全学年で50名。1年生は4人。子どもたちが少ないので、みんながひとつの家族のような学校です。
 でも、高校を卒業するころには、ほとんどの若者がムラを出て行ってしまいます。農業だけでは生計が立たないし、それ以外の仕事も少ないからです。かくして、ムラには老人ばかり残る、ということになります。その老人もいずれ死んでいきます。(わたしの所属する自治会は、10年前は120戸ありましたが、今は105戸になっています。昨年だけで、一人暮らしの老人が3人亡くなりました)

 でも、もちろん、希望は残されてされているとおもいたいです。政治や行政にも期待はありますが、それよりも基本は、ムラの問題はわたしたちムラの住民が、自分たちの問題として自主的に解決すべき問題だとおもっています。これまでムラが養ってきた「結(ゆい)」という共同体の互助精神をどれだけ発揮できるかが、カギになるでしょう。
 都会は「結」がなくなって共同体としては瓦解した、とみえます。孤独死や世の中から孤立した生活しかできない人々が多いのがその証拠です。税金がたくさん集まるから、あとは行政まかせ、でいいのでしょうが、どうも金だけがたよりの不安定な社会、という気がいたします。

 その点、ムラにはまだ「結」の精神が生きています。この「結」の精神が生きているうち、がムラの問題を解決するためのタイムリミットだとおもいます。過疎なら過疎なりに、ジジババが多いのならそれなりに、現状に見合った生きがいのある暮らしやすいムラをどうやって回復していくか・・・。
 やまねこムラは、まだまだ雪の中です。考える時間はもう少しありそうです。

(2011.2.2)

厳寒のころ行われる、岩手の火祭り(蘇民祭)。
月にむかって火柱が躍ります。縄文のエネルギーです。

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「ムラの問題はわたしたちムラの住民が、自分たちの問題として自主的に解決すべき問題だ」
とするやまねこムラ村長さんの考えを尊重したいと思います。
「平成の開国」という耳当たりのいい言葉の裏にある、
乱暴で無計画なやり方に不安と憤りを感じます。

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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