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柴田鉄治のメディア時評:バックナンバーへ

柴田鉄治のメディア時評(09年1月7日号)

2009年スタートの新連載は、「柴田鉄治のメディア時評」です。
その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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佐藤元首相のノーベル平和賞は返上すべし

 『マガジン9条』読者のみなさん、明けましておめでとうございます。今年から毎月1回、「メディア時評」を担当することになったジャーナリスト(元朝日新聞論説委員)の柴田鉄治です。『マガジン9条』との出会いは、「つぶやき日記」でお馴染みの鈴木耕さんより紹介されたのが最初でした。鈴木さんは、私の著書「新聞記者という仕事」(集英社新書)の編集者だった方です。

新聞記者という仕事
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 先日亡くなった筑紫哲也さんとは朝日新聞の同期入社の親しい友人で、先月、こちらに追悼文を書いたので、読んだ方もおられるかもしれませんが、簡単に自己紹介します。

 私は10歳のときに終戦を迎えた『戦中派』で、学童疎開も、東京大空襲で家も焼かれた体験もあって、子ども心に「二度と戦争はごめんだ」と刻んだ『戦後民主主義世代』のひとりです。この戦争体験から、科学者になろうという夢を捨てて、「平和と人権を守るジャーナリズムの仕事」をしようと新聞記者への道を選びました。
 したがって、いま日本にとって、いや、世界にとって一番大切なものは憲法9条だと思っています。国際情勢も世界経済も日本の政治も、なにもかも暗いニュースばかりの昨今の世相のなかで、唯一の明るいニュースは、憲法9条を守ろうという国民世論が強くなっていることです。改憲派の読売新聞の世論調査でさえ、改憲を主張する声が急速に減ってきています。これも、マガジン9条をはじめ、全国の9条の会の広がりの成果でしょう。
 ついでにもう一つ自己紹介すると、私は、国境もなければ軍事基地もない南極に魅せられ、「南極は地球の憲法9条だ」として「世界中を南極にしよう」という運動を起こしています。世界平和と地球環境を守るためには、世界中の人たちが、愛国心ではなく、愛地球心を持つことが大事だ、と説いているのです。

世界中を「南極」にしよう!
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 自己紹介はこのくらいにして、メディア時評に入りましょう。せめて年の初めぐらいは明るい話でいきたいと考え、昨年の明るいニュースは何といってもノーベル賞だと考えました。物理学賞に3人、化学賞に1人と大当たりの年で、メディアも大喜びし、過去の日本人受賞者全員にあらためて注目する報道まであったからです。  ところが、年末になって、過去のノーベル平和賞の受賞者、佐藤栄作元首相に関する実に情けないニュースが報じられ、私のなかでは、せっかくの祝福ムードが吹っ飛んでしまいました。
 12月22日に外務省が発表した外交文書の中に、1965年1月におこなわれた佐藤首相とマクナマラ米国防長官との会談内容があり、その直前に中国が実施した核実験をめぐって「日中で戦争になれば、米国が直ちに核兵器による報復を行うことを期待している」と佐藤首相が発言したことが明らかになったのです。
 もちろん、これは昨年の物理学賞や化学賞の受賞者たちとは、何の関係もありません。それに、同じノーベル賞といっても、平和賞はもともとちょっと違う政治的な賞ですから、一緒にして考えるのは間違っているのかもしれません。
 とはいっても、私たちは、同じ日本人がひとりでも多くノーベル賞を受賞してほしいと願っていますし、平和賞も含めて過去の受賞者も誇りにしたいと思っています。平和賞といえども、その受賞者が、受賞理由に反する、まったく逆のことを言っていた、つまりノーベル賞の選考委員会を欺いていた、と知ることは悲しいことです。

 佐藤栄作氏は、日本の非核三原則、つまり核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず、の政策が評価されて、74年にノーベル平和賞を受賞した人です。ところが、これまでにも、三原則のうちの「持ち込ませず」を自ら破って、米国が有事の際には核兵器の日本への持込を認める密約を結んでいたことが、米国の公文書で明らかとなり、受賞者として相応しくないといわれていたのです。
 しかし、米国の公文書に記録があるにもかかわらず、日本政府はそんな密約はないと頑強に否定しており、一応、密約は宙に浮いた形になっています。
 ところが、今回明らかになった公文書は、日本政府の発表で、否定のしようもないものです。しかも、核兵器のいざというときの「持ち込み」ではなく、「核兵器の使用」まで促したものなのですから、驚くというより、あきれてしまいます。
 「核兵器を使ってほしい」というような人が、非核三原則を理由にノーベル賞をもらったままになっていていいのでしょうか。佐藤氏だけの問題だけでなく、日本人全体の信用にもかかわることです。先の密約だけでなく、ここまできたら平和賞を返上すべきではありませんか。

 もう一つの問題は、この事実を報じる日本のメディアの姿勢です。40年以上も前の話であり、いまさら目くじら立てることもあるまい、ということなのか、なんとも感度が鈍いのです。
 中国の核実験は遠い昔のことですが、いまはまた北朝鮮の核実験のあとであり、与党の有力政治家から核武装論まで飛び出す時勢ですから、決して昔話ではないのです。ノーベル賞返上論までいう必要はありませんが、少なくとも佐藤元首相の発言に、メディアがそろって厳しい姿勢を見せるべきなのに、そうしたメディアはひとつもありませんでした。

 この種の問題にいつも最も厳しく反応する朝日新聞が、すぐに社説に取り上げたところまではよかったのですが、その内容を読んでがっかりさせられました。「佐藤首相発言 核をめぐる政治の責任」と題する12月24日付けの社説には、こう書かれています。
 「中国の核武装は現実的な脅威だった。核不拡散条約(NPT)もなかった。そんな中、佐藤氏が米国を相手にしたたかな外交を展開していた姿がうかがえる」――なんと佐藤氏の発言を評価しているのです。
 それだけではありません。この社説の最後はこう結ばれているのです。「時代は移り、世界は複雑さを増した。当時以上に冷静で現実的な議論と対応が求められる。情緒で核を語るのは愚かしいことだ。佐藤首相の発言に関する資料は、政治に課せられたそんな責任を思い起こさせてくれる」
 この社説は、何が言いたいのでしょうか。「情緒で核を語る」とはどういうことを指しているのでしょう。佐藤氏の発言を評価したうえで、こういえば、核廃絶のような非現実的な、情緒的な夢物語を言っていてはだめだと主張しているようにも聞こえます。

 核持ち込みの密約の追及を含め、日本のメディアよ、しっかりせよ、とあらためて思います。

いかがでしたか? 年末のどさくさに紛れるように発表された
「佐藤栄作氏の中国への核攻撃容認」発言。
本当にとてもがっかりしました。故人に代わって、日本人として返上したい気分いっぱいです。
さて、次回は1月28日(水)に、1月のメディア時評をお送りします。

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