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柴田鉄治のメディア時評(10年03月31日号)

その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、
ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

しばた てつじ 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

『組織ジャーナリズムの敗北 続・NHKと朝日新聞』 (岩波書店))

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「誤報」の後始末はきちんとやらねば

 先月のメディア時評で、米国務長官が日本の駐米大使を「呼びつけ」普天間問題の先送りに不快感を表明した、と日本のメディアが一斉に報道したことを取り上げ、これは一種の誤報ではなかったかと論じた。翌日、国務省のスポークスマンが、呼びつけたのではなく大使のほうから会いに来たもので会談の中身も違うと否定したのに、そのことをきちんと報じなかったからである。

 誤報はもちろん、あってはならないものだが、かといって、すべてなくせるものでもない。メディアにとって最も大事なことは、誤報をしたときその後始末をどうするか、という点にあるといえよう。前述の記事でいえば、米側の否定をきちんと報じなければいけないのである。

 とくに昔と違って、インターネットなどでメディアのウソはすぐ分かってしまう時代だけに、誤報の後始末を怠ると、メディア不信はいっそう深刻になってしまうのだ。前回に続き今回もまた、同じようなケースがあったので、再度、警鐘を鳴らしたい。

 3月24日の朝刊各紙は、郵政改革法案について一面トップで「ゆうちょ銀上限2000万円、かんぽ保障2500万円に 政府出資3分の1超」と報じた。小泉政権の郵政民営化路線を転換し、政府の関与を大幅に強める方向のこの改革法案を今国会に提出するというのである。

 ところが、この改革法案に閣内から異論が噴出、翌日の各紙には「郵政改革、修正議論へ」「上限2000万円再調整」などの大見出しが踊った。断定的に報じた前日の記事は誤りだったと修正したのである。

 しかし、こういうのは誤報とはいわないのだ。断定的に報じたのはメディアの独断ではなく、発表した側の独断だったのである。むしろ、鳩山政権のお粗末さを示すもので、メディアは今後の動きを的確に追って、それを報じていけばいいのである。

 ただ、その報道のなかに1紙だけ、わざわざ「政府最終案」と見出しにうたって報じた新聞があった。読売新聞である。読売新聞がなぜ、政府最終案とうたったかといえば、それが同紙にとっては第2報であって、2月13日の朝刊一面に「特ダネ」として報じられた第1報が載っていたからだ。そして、その第1報はどこからみても明らかな誤報だったのである。

 その記事とは、「ゆうちょ限度額撤廃 政府、郵政改革で最終調整」という見出しで、「亀井郵政改革相と原口総務相が12日に協議し、大筋で合意した、3月中に法案を固める」とあった。その内容は、これまで1000万円だったゆうちょ銀行の預入限度額を3年後に撤廃する方向で、それまでの暫定措置として上限3000万円とする、かんぽ生命保険の加入限度額も同じく5000万円とする、というもの。

 この記事に対して、翌週の閣議後会見で、亀井大臣は記者団の質問に答えて「完全なガセだ。原口総務相とは12日に会ってもいない」と全面否定。原口大臣も「話し合った事実もない」とはっきり否定した。

 もちろん政治家がそろってウソをつくこともあるだろうから、これだけで誤報と決めつけるわけにはいかないが、公開の記者会見の席で「ガセ報道だ」といわれた新聞が黙っているはずはないから、読売新聞の続報に注目が集まっていた。

 ところが、それから1ヶ月あまり、何の続報もなく、いきなり3月24日の一面トップ記事に飛ぶのである。しかも、その記事に「政府最終案」という見出しを付けることによって、先の報道が「検討途中の案」だったと暗に示して、訂正もせずにお茶を濁してしまったのだ。

 こういうやり方がメディアへの信頼感をどれほど損なうか、報道関係者は考えたことがあるのだろうか。

 状況は少し違うが、似たケースとして思い出すのは、2005年9月の朝日新聞長野総局の「記者退社処分事件」である。ある政治家が長野県知事と会ったはずだからその様子を知らせてほしいという本社からの要請に、長野総局の記者が取材もせずに回答を創作したため、クビになった事件である。

 その記者は、回答がそのまま記事になるとは思っていなかったようで、気の毒な面もあったが、報道の世界では捏造が許されないことは当然のことで、厳しい処分もやむをえないところだろう。報道の仕事にはそのくらいの厳しさがあるべきものなのである。

 読売新聞の記事についても、亀井・原口両大臣が本当に会っていなかったのなら、処分とまでは言わないが、少なくとも訂正記事は必要だったろう。誤報をそのまま「頬かぶり」してしまうのは、最もよくないことだ。

 ところで、話はまったく変わるが、触れておきたいことがある。日本ではなく中国のメディア状況だ。中国は、経済こそ開発開放政策によって自由度を増しているが、政治の面では共産党の一党独裁体制がつづき、言論・報道の自由は相変わらず制限されている。

 今回、米インターネット検索最大手のグーグルが中国政府の検閲を嫌って中国から撤退したのを契機に、報道規制をいっそう強めているようだ。メディアを管理する共産党中央宣伝部が18分野の報道や独自取材を禁じる通達を報道各社に出した、と報じられている。

 チベット騒乱や新疆ウイグル騒乱などは従来から規制している分野だろうが、「官僚の腐敗」「高額な医療費」「貧富の格差」などとならんだ項目をみていると、そんなところまで報道を禁じることができるのだろうか、と不思議な気がしてくる。

 「報道の自由のないところ常に人権侵害あり」という言葉がある。中国の人権状況も心配だが、世界の中に存在感を強めつつある中国だけに、一刻も早く「言論・報道の自由」のある国になってほしいものである。

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誤報を100%防ぐことはできないからこそ、
「起こってしまった」あとの対応が重要。
これもまた、「メディアの良識」が問われる場面です。
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