今週の「マガジン9」

 1ヵ月ほど前、「マガジン9」掲載の田中優子さんインタビューが、ネット上でちょっと話題になりました。田中さんは、江戸文化の専門家として知られる研究者。昨年秋には、勤務先である法政大学の「総長」(いわゆる「東京六大学」で女性トップが誕生するのはこれが初めてなんだそう)にも選出されました。
 その田中さんがインタビューの中で語っているのは、自民党政権が「愛国」「伝統」といった言葉を多用していることに対する違和感。〈日本の文化・伝統とは一体どういうものなのか、という検証をまったくせずに、軽々しくこの言葉を使っている〉というのです。
 ところが、記事を最後までお読みいただくと分かるのですが、実はこのインタビュー、2006年末から2007年初めと、なんと7年も前に掲載されたもの。中に登場する「政権」とは、第一次安倍政権のことなのです。Twitterでも、最近行われたインタビューとして普通に読まれている方や、7年前のインタビューということに気がついて驚いている方など、いろいろなつぶやきを読むことができました。

 この頃行われたインタビューを読んでみると、今との類似性に驚くと同時に、心底恐ろしくなってきました。「愛国心」が声高に叫ばれ、改憲への道筋が着々とつくられる。外の「脅威」が煽られ、「強い日本」が強調され、反対の声を押しつぶすように法律がつくられ、締め付けはどんどん強まっていく…。一度は立ち消えた(ように見えた)そんな空気が、さらに力を増してよみがえってきていることが、まざまざと感じさせられるからです。

 以下に、過去のインタビュー記事をいくつかご紹介しておきます。今だからこそ読んで欲しい。そしてみんなで考えていきたい。どうしたら日本は、「戦争への道」を進まずにすむのか、ということを。

・高橋哲哉さんインタビュー「21世紀の靖国が準備されようとしている」

・伊勢崎賢治さんインタビュー「外交力のなさを、9条のせいにするのはフェアじゃない」

・古関彰一さんインタビュー「日本国憲法誕生の真実」

・新藤兼人さんインタビュー「いかなる正義の理由があっても、戦争には反対する」

(水島さつき)

 

  

※コメントは承認制です。
vol.439
私たちは、「戦争への道」を、止めることができるのだろうか? 
」 に8件のコメント

  1. ピースメーカー より:

    >そしてみんなで考えていきたい。どうしたら日本は、「戦争への道」を進まずにすむのか、ということを。

    今週月曜日に放映していたTVタックルで法政大学の萩谷順教授が述べていたように、「日本が嫌なのに戦争の当事者にさせられてしまう」道というのがより正確であり、そういった未来は想定外だったのが問題の一つです。
    そして、解決法を一言でいえば「外交力」といえるでしょうが、7年前の伊勢崎さんはこのように指摘しました。
    ”(抜粋)「軍事を否定することが平和につながる」というパラダイムではいけない、ということです。平和を築くためにはまず、軍事というものを直視しなくてはいけない。それなのに、平和というのを、あたかも軍事に対して目をつぶることと取り違えている人が多すぎるんですね。軍事力で平和は築けません。軍事そのものを否定することもまた、“平和をつくること”には現実的につながりません。「軍事」とか「自衛隊」とかに関することは何でもだめだと頭から否定するんじゃなくて、まず軍事というものを直視して、その意味をきちんと理解した上で、何が必要なのかを判断する。そうした姿勢があってこそ初めて、非武装による平和構築が可能になるんです。(終了)”
    しかし、この伊勢崎さんの指摘を受けて自省し、現実に足をつけた外交論を展開するような人は皆無でした。観念論で9条に依存していたから、「日本が嫌なのに戦争の当事者にさせられてしまう」道に対応できないのです。

  2. ピースメーカー より:

    水島さんが紹介した田中さん、高橋さん、伊勢崎さん、古関さん、新藤さんのインタビューを改めて拝見しました。
    五名とも本心から平和を希求しているのはとてもよくわかるのですが、伊勢崎さんを除く四名の論調は「体制批判」であって、「平和構築」ではないという事がよくわかりました。 勿論、皆様の研究や発言や表現が、戦後から20世紀末の日本においてはそれなりに戦後民主主義や平和主義への重要な役割を果たしていたと思えます。米国以外に比類するものがない程の経済力を持ち、米国という世界最強国と堅固な同盟を結んでいたからこそ、日本の体制を批判し、その権力を縛る事に特化した活動でも東アジアの平和に貢献していたといえるでしょう。
    しかし「外の『脅威』を煽るな!」と叫ぶ人はいたりしますが、フィリピンの大統領が公然と「中国は第二次大戦前のヒトラー」と国際社会に警鐘を鳴らす程度の『脅威』がある以上、「軍事」というものに精通した上で外交を論じる事が可能な人材でなければ『脅威』という言葉に説得力を持たせる事ができないのが21世紀という時代です。
    日本の国家権力を縛る手法でしか研究や発言や活動ができないのならば、平和に貢献できない時代なのです。
    韓国にはニューライトというのがいるそうですが、とりわけ日本にはニューレフト、つまり平和を希求するが9条という制度には依存せず、常に現実を直視し、故に軍事というものにも直視でき、体制を攻撃するのではなくむしろ利用する位の強かさを持つほどのタフ・ネゴシエータの活躍こそが、日本を「戦争への道」から遠ざけるでしょう。

  3. hiroshi より:

    >規制すべきは歴史の検証により過去を明らかにすることではなく、歴史を政治・外交的な武器として相手に謝罪と賠償を要求する運動や表現は相手のプライドを踏みにじり、反動と再反動のナショナリズムの連鎖をもたらしている為、それを規制して和解してくれという事です。

    前回のコメントでこう書いておられるのですが、伊勢崎さん以外の記事は規制すべきとお考えでしょうか?

    >日本の国家権力を縛る手法でしか研究や発言や活動ができないのならば、平和に貢献できない時代なのです。
    立憲主義に反対という事でしょうか?

    >つまり平和を希求するが9条という制度には依存せず、常に現実を直視し、故に軍事というものにも直視でき、体制を攻撃するのではなくむしろ利用する位の強かさを持つほどのタフ・ネゴシエータの活躍こそが、日本を「戦争への道」から遠ざけるでしょう。

    伊勢崎さんはこう言ってます。<アフガンで軍閥の武装解除が成功したのは日本がやったからです。その責任者だった私はよく、軍閥に「日本の指示だから従う」と言われました。彼らは日本が経済大国であると共に、戦争をしない人畜無害な国だとちゃんと感じ取っている。この日本人の「体臭」は9条が培ったものです。なぜそれをもっと利用しないのか。国際紛争の調停に、日本ほど向いている国はないのに。><軍事力で平和は築けません。軍事そのものを否定することもまた、“平和をつくること”には現実的につながりません。「軍事」とか「自衛隊」とかに関することは何でもだめだと頭から否定するんじゃなくて、まず軍事というものを直視して、その意味をきちんと理解した上で、何が必要なのかを判断する。そうした姿勢があってこそ初めて、非武装による平和構築が可能になるんです。9条という、このユニークな憲法を持っている日本がやるべきことは、まさにそういうことなのではないでしょうか。>

    伊勢崎さんは、9条に依存するなとは、言ってないですよ。

  4. hiroshi より:

    田中さん、高橋さん、古関さん、新藤さんのインタビュー、読んでみましたが、日本の伝統文化についてや靖国の歴史についてや憲法制定の経緯についてや日本軍での軍隊生活についてなどの話で、米ダートマス大学のジェニファー・リンド准教授が言うように「だから日本は口先だけの謝罪を繰り返すよりも、加害の過去を直視し、認める方がアジア諸国との関係を改善できるだろう」、過去を直視するうえで役に立つインタビューだと思いました。

    こういったマガ9のインタビューが、、「平和構築」の役に立たないとは思いませんが、如何でしょうか?

    <規制すべきは歴史の検証により過去を明らかにすることではなく、歴史を政治・外交的な武器として相手に謝罪と賠償を要求する運動や表現は相手のプライドを踏みにじり、反動と再反動のナショナリズムの連鎖をもたらしている為、それを規制して和解してくれという事です。>との事ですが、

    従軍慰安婦を取り上げたNHK教育テレビの番組が01年の放送直前に改変された問題でも。これからは合法的に政治介入すべきということでしょうか?
    http://www.magazine9.jp/article/shibata/7457/
    現在でも、こういった番組が制作され放送される事がほとんどない状況で、こういった番組を制作し放送する事で、反動と再反動のナショナリズムの連鎖がもたらされるとは思えないのですが。

    >日本の国家権力を縛る手法でしか研究や発言や活動ができないのならば、平和に貢献できない時代なのです。
    中国や韓国での、「体制批判」(国家権力を縛る手法での、研究や発言や活動)も、平和に貢献できない(「平和構築」ではない)とお考えでしょうか?

    憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治が行われているかチェックする事が、日本を「戦争への道」から遠ざけるのではないでしょうか?

  5. ピースメーカー より:

    >伊勢崎さんは、9条に依存するなとは、言ってないですよ。

    確かに言ってません。 しかし、hiroshiさんが引用された伊勢崎さんの言葉に後にこんな続きがありますよね?
    「だけど、今の日本の『護憲派』と言われる勢力を見ていると、そういった方向にもそれほど期待はできないかな、と思うことがあるんですよ。」
    そして、「きつい言い方だけど、『民度』という言葉があります。日本のそれが、軍事的なものに関してはあまりにも低すぎると感じたんですね。これは『右』も『左』も、どちらにも言えることだと思います。」ともおっしゃっております。
    あくまで私の解釈に過ぎませんが、こういった状況に『左』が陥ったのは、9条に依存していたからだと思います。
    新藤さんは無条件に「こういういいものが生まれた」なんて言っているし、高橋さんも田中さんも「憲法1条から8条まではいらない。9条からでいい」なんて言っている位ですから、「9条ありき」と言わざるを得ないでしょう。
    とはいえ、「そうかそうか、では平和憲法がなかったら(戦争に)反対しないわけか」と加藤典洋さんの『敗戦後論』でツッコまれて何も言えないか激昂するかしかないのならば、それは9条に依存していると言わざるを得ません。
    私も伊勢崎さんも9条を無くせと論じているではなく、従来の『左』に反省点は無いのかと問い質しているのです。

  6. ピースメーカー より:

    >中国や韓国での、「体制批判」(国家権力を縛る手法での、研究や発言や活動)も、
    >平和に貢献できない(「平和構築」ではない)とお考えでしょうか?

    でも、昨日の池上彰さんの番組で、池上さんは「中国では憲法で保障している人民の人権を実際に守るように政府に主張している市民団体が、片っ端から共産党政権に逮捕されている」という趣旨のことを言ってました。
    これは共産党が憲法の上位に規定されていると中国の憲法に明記されていることから起こっている事なのですが、「左」の人々からすればこのような状態に日本が陥った時は悪夢の極みに他ならないでしょう。
    しかし、今の安倍政権が秘密保護法や解釈改憲や憲法96条改正やらを推し進めていることで、「恐ろしい」といっておきながら、「体制批判」が機能していない中国という隣国があるにもかかわらず、「外の『脅威」が煽られ」と言って、これまた日本の方が「恐ろしい」と怖がっても、聞き手は矛盾を感じざるを得ないのではないでしょうか?
    そういう訳で、日本国内には従来通り国家権力を縛る姿勢は維持しつつも、「東アジアでは立憲主義が機能せず、政府への不満を愛国主義教育によって封殺し、その過程で日本の負の歴史が強調され、反日感情が高まっている」という現実を見据えた上で、その現実に対応した知性と姿勢を「ニュー・レフト」に私は求めています。

  7. hiroshi より:

    <フィリピンの大統領が公然と「中国は第二次大戦前のヒトラー」と国際社会に警鐘を鳴らす程度の『脅威』がある>ので、<日本の体制を批判し、その権力を縛る事に特化した活動(研究や発言や表現)>は、平和に貢献できない。

    (そもそも田中さん、高橋さん、古関さん、新藤さんのインタビューが、そういった活動に当たるのか?と言う疑問もありますし)上記の理屈は、ちょっとムリがあるのではないかと思います。むしろ、「満蒙は我国の生命線である」といった言説から、日本が「戦争への道」へとなぜ至ったのか?といった歴史の検証なども、日本を「戦争への道」から遠ざけるのに貢献できるのではないかと思います。

    <歴史を政治・外交的な武器として相手に謝罪と賠償を要求する運動や表現は相手のプライドを踏みにじり、反動と再反動のナショナリズムの連鎖をもたらしている為、それを規制>すべき。

    慰安婦問題などの様々な市民運動を規制すべき、と読めるのですが、こういった運動が、ナショナリズムの連鎖をもたらしていると言う理屈も、無理があるのではないかと思います。在英国際ジャーナリスト 木村 正人氏の指摘「貧富の格差が拡大し、健全な中産階級が弱体化すれば、右翼勢力が台頭するのは世の常だ。」の方が、自然ではないでしょうか?

  8. hiroshi より:

    返信ありがとうございます。下のコメント送信した後に、返信が表示されたのですが、、
    ピースメーカーさんの主張よく判りました。上記の意見に異論はないです。
    私もそう思います。

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