中島岳志の「希望は、商店街!」

それは、ラジオ番組から始まった

 ―――「隣の町の駅前商店街が大変なことになっている」。そんな話を耳にしたのは、2008年2月のことでした。
 私は、札幌市西区に住んで4年目になります。もともと大阪生まれの大阪育ちで、30歳までは関西かインドでしか生活したことがなかったのですが、北海道大学に就職することになり、思いがけず一度も行ったことのない北の大地に定住することになりました。
 以来、あっという間に4年がたち、私はすっかり<道民>になってしまいました。もう冬の雪道でも転びません。「なまら」(「とても」という意味の北海道弁)を使いこなすまでには到達していませんが、どうもちょっとずつイントネーションが北海道なまりになってきているようです。
 北海道は、よそ者に極めて寛容な土地です。そもそもアイヌの人々以外はよそ者なわけで、100年もさかのぼれば、ほとんどの人が外からやってきた「移民」です。
 だから、関西人の私も、あっという間に北海道人の仲間入りをさせてもらいました。大学院生時代をよそ者に厳しい京都で過ごした私にとって、これはとっても開放的で楽しい体験でした。今や、私にとっての根拠地は、自信を持って北海道だといえます。
 そんな私は、2年前から札幌市西区の地域FM局で、月一度、3時間の番組を担当しています。放送局の名前は「三角山放送局」。地域FMに詳しい方でしたら、「ああ、あの三角山放送局!」とうなずかれることだと思います。
 「いっしょに、ねっ!」を掛け声に、小さな声、弱者の声をラジオに乗せるこの放送局は、「放送人グランプリ2008」の特別賞を、代表の木原くみこさんが受賞したことで知られています。障害者や難病を抱えた人などがパーソナリティとして番組を放送するあり方は、幅広い層から支持を集め、高い評価を受けています。今や、日本を代表するコミュニティFMと言って間違いないでしょう。
 この三角山放送局で、第一金曜日の16時から19時まで「中島岳志のフライデー・スピーカーズ」という番組を担当することになり、私は人生で初めて「冠番組」を持つことになりました。研究者の道に進もうと考えたときには、まさか自分がラジオ番組のDJをすることになるとは夢にも思いませんでしたが、私は放送局の方からの依頼を喜んで引き受けました。
 三角山放送局は、番組をネット配信しています。
 ぜひ一度、下記のHPにアクセスして、番組を聞いてみてください。
 三角山放送局HP
 私は機械音痴なので詳しいことはわからないのですが、i-phoneでも番組を聞くことができるようです。すごい時代ですね。

シャッター通りと化した発寒商店街

 さて、私が担当する「中島岳志のフライデー・スピーカーズ」ですが、毎回、地元札幌の問題を取り上げています。「札幌の貧困対策」や「区民センター・地区センターの問題」、はたまた「公立の図書館はベストセラーを大量に買う必要があるのか」「三岸好太郎美術館の新しいあり方」「札幌のカフェ・ニューウェーブ」「町の本屋のこれから」など、身近なローカル・ネタを取り上げつつ、現代世界が直面している普遍的な問題を考えていこうというのが番組の趣旨で、札幌市内だけでなく、全国で聞いてくださっているリスナーがいます。
 そんな番組ですが、番組を立ち上げるときに地元の問題を調査していたところ、たまたま耳にしたのが冒頭のような声でした。三角山放送局があるのは、JR琴似駅前。札幌駅から小樽方面に向かって2駅目が琴似駅なのですが、その次の発寒中央駅の駅前にある「発寒商店街」が、近年、一気にシャッター通りになっているというのです。
 発寒商店街には、かつて庶民的な市場が複数存在したそうです。しかし、80年代に入って商店街に地元の中型スーパーが進出すると、市場の経営は一気に苦しくなり、あっという間につぶれてしまいました。商店街は、中型スーパーに集客を依存するようになり、生鮮食品の多くをこのスーパーに依存するようになりました。
 しかし、今世紀に入るとナショナルチェーンの超巨大スーパーが近くに進出し、さらに地元スーパーを傘下に収め、市場を独占していくようになります。この大型店は巨大な駐車場をもち、若者に人気のブランドショップをテナントに入れることによって、大規模な集客を行いました。
 その結果、商店街を支えてきた中型スーパーの客数は減少し、ついに2008年1月、この店は閉店することになりました。
 困ったのは商店街の人たちです。生鮮食品のほとんどを、この中型スーパーに依存していたため、商店街に残ったのは「金物屋」「ふとん屋」「餅屋」「糸屋」「燃料屋」「時計屋」「散髪屋」といった専門店ばかりでした。中型スーパーが撤退すると、商店街で生鮮食品をすべてそろえることができなくなり、一気に人通りがなくなってしまいました。これはどこの地方でも同じで、商店街で生鮮食品がそろわなくなると、急激に人通りがなくなりシャッター通り化していくのです。
 考えてみてください。生鮮食品の店がないと、商店街に毎日買い物には行かないですよね。「ふとん屋」なんて数年に一度、行くか行かないかでしょう。金物屋も、せいぜい一カ月に一回程度ではないでしょうか。

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発寒商店街の風景。閉まるシャッターが目につく

 そんなわけで、発寒商店街は急激に活気を失いました。そして、一気にシャッターを閉める店が増えたのです。この現象によって困ったのは、商店主だけではありません。最大の被害者は、地元に住む高齢者の人たちでした。札幌の冬は、当然、雪に埋もれます。ちょっと買い物に行くだけでも、大変です。足元は滑るし、雪の日は外を歩くこと自体がひと仕事です。
 だから、若い人たちは自動車で出かけ、買い物を済ませようとします。そうなると、当然、大型の駐車場が併設されていて、すべての買い物を室内で済ませることができる大型店に人気は集まります。
 しかし、自動車の運転が難しい高齢者の人たちは、そう簡単に毎日、大型店に行くことなどできません。できれば住んでいる近くで買い物を済ませたいわけですが、商店街では生鮮食品を買いそろえることができません。
 そして、どうなったか。多くの高齢者の人たちは、週に一度、電車に乗って隣の琴似の町に出て、駅前の大型店で一週間分の買い物を済ませ、重い荷物を両手にさげながら雪道をとぼとぼと帰ってくるという生活になってしまったのです。
 私は、すぐに発寒商店街に行ってみました。
 まだまだ雪の日が多い2月の末。
 駅からの道はあちこちでシャッターが閉まり、大きな買い物袋を持って雪の中をゆっくりと歩く老人の姿がありました。昼間だというのに、通りは閑散としています。
 ―――「これが190万人都市の札幌の現状なのか…」  茫然として、その場に立ち尽くすしかできませんでした。
 たまたま横で信号待ちをしていた高齢者の方に話を聞くと、冬の間に外に出かけるのは週一回の買い物の時ぐらいで、その買い物も、もう体力的に厳しくなってきているとのことでした。そして、その人は寂しそうにこう言いました。
 「大型店に行っても、店の人と話をするわけじゃないし、買い物も楽しくないわよね。」
 このお婆さんにとって、買い物はもはや体力を使う「苦役」のようなものになっており、ワクワクするような時間ではなくなってしまっています。昔の市場や商店街だったら、お店の人と世間話をし、近所の顔見知りの人がいれば立ち話をして、楽しい時間を送っていたのでしょう。商店街は、かつて「長い縁側」のような機能を果たしていたのですが、シャッター通りになってしまった商店街は、そのような「社会的包摂」の機能までも失ってしまっています。
 ―――「コミュニタリアンであることを自任する自分としては、これを何とかする必要がある。この問題に具体的に取り組むことは、自分にとっての最大の思想課題ではないか!」
 私は、そう思いました。

コミュニティ・カフェから始まる

 2008年5月。私は始めたばかりのラジオ番組に、発寒商店街振興組合の中心メンバーの方々をお招きし、1時間半にわたってお話を聞きました。
 札幌の再開発によって商店街に大きな自動車道路が横切り、通りが分断されてしまったこと。郊外型の大型店に若いお客さんが流れていること。地域のお年寄りや体の不自由な人たちが地元で買い物ができず、「買い物難民」が生じていること。地域のつながりが希薄になり、多くの人が孤立していること。
 聞けば聞くほど、絶望的な地方の現状が浮かび上がってきました。
 発寒商店街には、東京の下町の商店街のような風情もありません。だから、最近はやりの「町歩き」をするにも、魅力的な場所とは言えないのが現状です。商店街を代表する名物も、特にありません。これといった特徴が、なかなか見あたらないごく平凡な町の商店街が、「発寒商店街」なのです。
 私は頭を抱えました。しかし、ふと大阪のある風景を思い出しました。
 ―――中崎町。
 私が生まれ育った町から少し行った梅田近辺の下町が中崎町なのですが、ここがこの10年ほどで大きな変化を遂げ、今や大阪を代表する注目のスポットになっているのです。
 活性化の起爆剤となったのは「長屋改造カフェ」。
 これまで若い人には見向きもされなかった古い長屋を改造して、新たにカフェをオープンする動きが進み、連日、多くの若者が訪れる新しい街に変貌しました。しかも、これまでの景観を損なうことなく、地元のお年寄りや子供たちの生活と若者のアートスペースが共存しており、新しい活力が街にあふれかえっているのです。
―――「商店街の空き店舗に、僕たちでカフェをつくってみませんか。」
 私は番組中、不意にそうつぶやきました。商店街振興組合の「おじさん」たちは、ぽかーんとしていましたが、私は本気でした。
 番組が終わり、商店街の方々と別れたあとも、私は毎日、このことを考えつづけ、コミュニティ・カフェに関する先行事例や商店街活性化事業の事例などを調べました。
 そこから得た結論は、まずは人が集まる場をつくらなければならないということと、それを通じて商店街の人のやる気を引き出す必要があるということでした。
 この頃、商店街の人たちが「後ろ向き」でした。一気に寂れてしまったことへの嘆き節ばかりが聞かれ、新しいことをやってみようという活力は全く感じられませんでした。 
 「これは、よそ者が少しかきまわしてみるしかない」
 そう思った私は、一気にカフェづくりの具体案の作成と、商店街の人たちの説得に乗り出すことにしました。
 そんなわけで、私の思いつきから始まった「カフェ構想」は、紆余曲折を経ながらも8カ月後の2009年2月に「カフェ・ハチャム」として実現することになります。そして、最近では、道外はおろか、関西や九州からも多くの人たちが視察にやってきて、発寒商店街の取り組みを熱心に見て行くようになりました。このカフェを契機として、どんどんと新しい動きが起こり、これまででは考えられなかった若者たちが溜まる空間に発寒商店街は変貌しようとしています。

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カフェ・ハチャム。若者から地域の高齢者まで幅広い層が集う

 この連載では、発寒商店街の「カフェ・ハチャム」の歩みと今をレポートすることによって、ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)や居場所づくり、街づくり、地方分権、住民参加、「官と民」の関係、新しいコミュニタリアニズムなどについて皆さんと共に考えて行きたいと思います。そして、全国の商店街から新自由主義への反逆の流れを起こしていくきっかけを提供したいと思っています。
 「希望は、商店街!」。私はいま、本気です。

【お知らせ】

発寒商店街では5月15日(土曜日)に、空き店舗のシャッターを一斉にオープンし、無理矢理、一日だけ賑わった商店街にするというイベントを行います。
題して「もうシャッター通りとは言わせない!!」。
 当日は、音楽ライブあり、落語会あり、地元の神社の祭りあり、無差別級古本市(札幌の古本ニューウェーブが集結!)あり、過疎化に悩まされる自治体の特産市あり、豚汁あり、子育て支援あり、潰れた酒屋のコップを全部売っちゃうぞ市あり、ニート支援事業あり、ヨーヨー釣りあり、コーヒー(100円)あり、各商店のワゴンセールあり、(そしてついでに私の講演あり)。
 まとまりやコンセプトなんて、この際、気にしていません!
 とにかくぱっと明るい一日にしようという企画です。
 発寒商店街の空き店舗に興味がある方、漠然と店を始めてみたいと考えている方、楽しいことが好きな人、暇な人、最近ちょっと落ち込んでいる人、みんな発寒に集まりましょう!!

 

  

※コメントは承認制です。
第1回
発寒商店街と私
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    インタビューや対談にも登場いただいた、中島岳志さんによる新連載。
    活力を失っていた商店街が、いかに元気を取り戻していったのか?
    読んだあなたもきっと何かを始めたくなる、
    そんな「ハチャム」の話を中心に、
    ときにはその時々の時事トピックにも触れていただく予定です。
    お楽しみに。

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なかじま たけし: 1975年生まれ。北海道大学准教授。専門は、南アジア地域研究、近代政治思想史。著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)、『中村屋のボース─インド独立戦争と近代日本のアジア主義』(白水社)、『パール判事─東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、西部邁との対談『保守問答』(講談社)、姜尚中との対談『日本 根拠地からの問い』(毎日新聞社)など多数。「ビッグイシュー」のサポーターであり、「週刊金曜日」の編集委員を務めるなど、思想を超えて幅広い論者やメディアとの交流を行なっている。近著『朝日平吾の鬱屈』(双書Zero)

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